魔物学者は、モノクルを外す。
「団長」
ルアドが声をかけると、広場にいた団長が振り向いた。
「来たか」
相変わらず落ち着いた態度の彼の周りには殺気立った村人たちが人垣を作っており、その中央に縄をかけられて座らされた冒険者がいた。
なぜか全く恐れておらず、ふてぶてしくあぐらを掻いている。
「そいつが、村の周りに塩を撒いた奴?」
「そうだ。他の仲間たちも同様に捕らえ、憲兵に突き出した。実際に依頼した相手かどうかを確かめるために連れてきた」
団長がアゴをしゃくったので、ルアドが前に出ると、こちらの黒い白衣を見て何を思ったのか、冒険者が嫌悪感剥き出しの表情に変わって口を開いた。
「近寄るな、邪悪の使徒め」
「邪悪の使徒?」
何の話だろうか、とルアドが首を傾げると、冒険者が答えた。
「魔物などという穢らわしいモノを、村の周りに集めているのは貴様だろう! この魔族どもめ!」
「……団長、どういうこと?」
「こいつらはどうやら、聖協会の熱烈な信徒らしいな」
団長の言葉に、ルアドは納得した。
「それはそれは」
「えっと、ルアド。どういうこと?」
エンリィが強い口調の冒険者に怯えたのか、クーちゃんと一緒にルアドの後ろに隠れながら尋ねてくる。
「聖教会は、教義で魔物を邪悪としているからねー。熱心な信徒なら、まぁこの状況に関する対応としては妥当かなー」
しかしそれは、冒険者の暴挙の理由ではないだろう。
ルアドがこの村に来たのは、彼らがスライムを退治した後のことだ。
「クク、聖教会の連中はいつも面白いことを言う。我々が魔族なら、この辺りはとっくに瘴気に包まれているだろうにのう」
「まぁ、理屈が通じるなら、今まで何度も魔道士協会と衝突してないだろうしねー」
おかしげに笑いながら銀の指先で頬を撫でるニーズに、ルアドは肩をすくめた。
「で、君たちはなぜ塩を撒いたのかな? 土地が死ぬことくらいは知ってるはずだけど」
冒険者は大体が農民の出である。
あまりにも田舎の村ならば、塩の存在を知らない、ということはあり得るが、この辺りの出身者であれば普通に行商人によって流通しているはずだ。
土地が死ぬのは、村にとって死活問題なので、知らないなどということはあり得ない。
すると冒険者は、ほくそ笑んで村の人々を見回した。
「スライムが村の周りに湧くなど、ここは不浄の地。そしてコイツらは不浄の民だ。だから浄化してやったのさ!」
冒険者のあまりにも身勝手で攻撃的な言葉に、ざわりと村人たちがざわめく。
その中から、村長が飛び出して、冒険者の頬を殴り飛ばした。
「そのような下らぬ理由で、我が村を滅ぼそうとしたのか……!!」
吹き飛ぶ冒険者に、他の者たちも続いて袋叩きにしようと動き始めたところで……。
「ーーー止まれ」
団長が圧倒的な覇気を放ちながら口にした言葉に、全員がピタリと動きを止めた。
「……共に女神に仕える相手だから、庇うのかい?」
団長ソア・ヴリトラハンは、自身も女神の敬虔な信徒である。
しかし、彼は首を横に振った。
「女神は教義など定めぬ。ただ、因果と輪廻の内に在るモノたちを見守るお方だ。女神の土地を塩によって殺し、一方的な論理を並べ立てる唾棄すべき輩は、あくまでも『聖教会の』信徒であるだけのこと」
団長の言葉に、冒険者は頬を腫らして転がりながらも引きつった笑みを浮かべる。
「邪悪な者と手を組むお前が、女神スイキの信徒だと? 名乗るのもおこがましい」
「黙れ。俺がお前を殺しても、誰も文句を言えんことを忘れるな」
団長が睨みつけると、冒険者は引き笑いを浮かべながらも黙る。
「庇うつもりがないなら、なぜ止めるのかな?」
ルアドは、村長の思うままにやらせても良い、と思っていた。
この世は弱肉強食であり、己の分を弁えない者は食われても仕方がない。
冒険者は人の縄張りを荒らし、そして捕らえられた。
ならば荒らされた者の怒りによって『肉』になるのは、ごく自然なことだ。
「俺がコイツの身柄を引き受ける条件は、確認が取れたら憲兵の元へ返すという条件でだ。村を滅ぼしかけたことも伝えてある。戻ればいずれ死は免れん」
団長は律儀な男なので、怒りを覚えていても約束があれば、それを違えない。
「目の前に吊るされた獲物を奪われた〝群れ〟の怒りは?」
「より強き俺を殺してでも、それを為す気概があればやるといい」
すると、村長がゆらりと動いて、団長の前に立った。
未だに覇気を放ち続けている彼に対する村長の顔が青ざめているのは、怯えているのではなく極度の怒りによるものだろう。
「……土地ごと我らを殺そうとした者を、見逃せと言うか」
「貴殿の怒りは理解しよう、村長。しかし今述べた通り、この者の命は法の元に奪われる」
彼らの身長と体格は、似通っている。
そして気概も同等だろう。
しかし、村長と団長では、その腕前において比較にもならないくらいの差があった。
それでも彼は、引かなかった。
「我らの手で始末する。邪魔だてをするのであれば、そなたも同様に」
「それが出来ぬことくらい、分かっておられるだろう」
「だが、ここで牙を収めることは、我らの心を殺すと同義。村を守ることが、長の務め」
「……好ましい人物だ」
団長は、笑みを浮かべた。
それはしかし、相手を馬鹿にするものではなかった。
団長は、スッと膝をつくと、村長に対して頭を垂れる。
「貴殿の誇りを、オレは敬おう。女神の名の下に、下劣な者には裁きを受けさせることを約束する。……誇り高く在る者を、殺したくはない」
「団長をそれでも倒して自分の手でくびり殺したい、って言うなら、ボクは協力するけど」
「ルアド!?」
成り行きを、固唾を呑んで見守っていたエンリィが、驚いたような声を上げるのには答えず、ルアドはモノクルを押し上げて言葉を重ねる。
「団長は約束を破らない。それは、ボクが保証する。そして土地は、魔物たちが蘇らせてくれる」
村長は、こちらを見ない。
ただその白髪混じりのヒゲを生やした深いシワの刻まれた顔を厳しくしかめて、ジッと、跪いた団長を見つめていた。
「村長。貴方は、群れの長として矜持を見せた。他の人たちは、今、貴方が牙を収めても腑抜けだとは思わないよ。群れを……村を守りたいという貴方の想いは、ちゃんと伝わっているよ」
しばし、沈黙が落ちた。
その後、村長は大きく息を吐くと、村の者たちの顔を見回す。
彼らは目の前で起こっていることに戸惑っているものの、多くは、村長に心配するような目を向けていた。
「……いい長だな。皆に慕われているようだ」
ニーズが笑みと共に漏らした言葉に、ルアドは頷いた。
「良いだろう。団長、貴殿の顔を立てよう。……貴殿がいなければ、この卑劣な者を捕らえることすら、我らには出来なかった」
「感謝する」
顔を上げて立ち上がった団長と握手を交わし、村長は冒険者に目を向ける。
「この者は、村の牢に。明日にでも連れ出して、目の前から消して欲しい」
「約束しよう」
「再びお戻りになられれば、その時は歓待させていただく」
と、良い空気で終わりそうだったのだが。
「邪悪な者どもには、いずれ女神の裁きが降るさ……貴様らは、いずれ滅ぶ定めなんだよ!!」
まだ強がる冒険者に、ルアドはゆっくりと歩み寄った。
そして膝を曲げて、ちょこんと腰を落とすと、モノクルを外して膝を抱える。
「ねぇ、名前も知らない君。ボクはさ、信仰心に殉じる君の愚かさを、羨ましいと思うよ」
「あ……?」
不思議そうな顔で、こちらを顔を見た冒険者はーーー顔を、青くした。
「君のことを理解してくれる人は、きっといっぱいいるんだろうね。それは、すごく幸せなことだよ」
「う……あ……」
「君の言うことも、きっと正しいかもね。ボクは邪悪なのかもしれない。だって、ボクは、ボクのことを、誰にもあんまり理解してもらえない」
ルアドは、ゆっくりと首を傾げて、脂汗を流し始めた冒険者に少し悲しみを覚えながら、微笑みかける。
「ーーーボクは〝魔物〟だからね」
そんなルアドを、目を見開いて見つめたまま、冒険者は何も答えなかった。
陸に上がった魚のように口をパクパクさせる彼から目を逸らし、ルアドはモノクルをつけながら立ち上がる。
誰からも、ルアドの顔は見えていなかったのだろう。
いきなり怯え始めた冒険者を、全員が不思議そうに見つめていた。
その中で、エンリィが戸惑った顔をしており、団長がいつもと変わらない表情を浮かべて、ニーズがどこか痛ましそうな目をしてこちらを見ている。
「団長。彼を牢屋に連れて行ってくれる? 大人しくなったみたいだし」
「ああ」
団長とパーティーの連中に引き立てられて冒険者がいなくなると、村人たちも散り散りになった。
残ったエンリィが、恐る恐る問いかけてくる。
「一体、何をしたの?」
「何もしてないよ。ただ、目を見て、話をしただけさ」
ね? と同じく残ったニーズに、笑いながら首を傾げて見せると、彼女は腕組みをして鼻を鳴らした。
「確かにそうだな。……しかし、それを外すくらい怒っているのなら、素直にその感情を見せたらどうだ?」
「怒って……え?」
エンリィが目を見張るのに、ルアドは困って頬を掻きながら、ニーズの言葉に答える。
「ボクは怒ってないよ。ちょっとうるさいなと思っただけだよ」
「なら、そういうことにしておいてやろう。それより、あの結界の中を見せろ。本当に魔獣化していないか確かめる」
ニーズが背を向けてさっさとマタンゴ域に向かって歩き出したので、その背中に向けてルアドは口を尖らせた。
「本当に怒ってないってば。それに魔獣化はしないって言ってるのに……」
そんなこちらに、何を思っているのか。
エンリィに黙ったまま横顔を見上げられて、ルアドは少し困惑を覚えた。
「何?」
「ううん。行こう。あのままだと、ニーズさん、勝手に結界の中に入りそうよ?」
「ああ、そうだね」
彼女のそれまでと違う態度に少し違和感を覚えながらも、ルアドは歩き出した。




