魔物学者は、口喧嘩をする。
その翌日。
エンリィが、すっかりルアドの物置になっている小屋に近づくと、何やら言い合いが聞こえてきた。
「白衣は白いからこそ尊いのだ。脱げ! 脱いでしまえ!! この邪悪な魔物学派の犬めが!」
「ヤダよそんなの。それに邪悪じゃないし。白魔道士教会なんだけど、ボクの所属」
「だったらなおさら白を着たらどうだ!?」
「そうすると君と一緒になるけど、それはいいの?」
「む……やはり脱げ!」
「だからヤだってば。ボクは気に入ってるしさ」
ーーーな、何の話?
ルアドの上着のことでケンカしているんだろうか。
エンリィは、恐る恐る小屋を覗き込んだ。
すると二人がお互いに……というか、ニーズが一方的にルアドを睨みつけていた。
「その黒い白衣が視界に入るだけで気に食わんのだ!」
「だったら君が村から出てどっか行けばいいじゃない。ノーブル・ズゥの卵がどうでも良ければだけど」
「ぐぬぬぬぬ……」
ルアドのしごくもっともな提案に、ニーズが肩を震わせる。
どちらも顔を見せたエンリィに気づいていないので、小さく声をかけてみた。
「な、何のケンカ……?」
「あ、エンリィ」
いつものモノクル姿のルアドがへらりと笑みを浮かべて、手を振った。
「ただのニーズの八つ当たりだよー。妙な理屈を言ってくるから、普通のこと言ってただけなのにー」
「何が普通のことだ!? スライムイーターだのマタンゴイーターだの、トノオイ飛蝗が魔獣に変異しているのは事実だろうが!」
その言葉から、エンリィは二人の言い合いの理由にアタリをつける。
多分、村の周りの結界と、その中で起こっていることをルアドは嬉々としてニーズに説明したのだろう。
ーーーちょっと意外。
ニーズもそういうのは喜んで研究するのかと思ったら、どうも違うらしい。
彼女は怒った顔で、さらに言葉を重ねた。
「その上、スライムやマタンゴもちらほら進化しているのが見えるだと!? 蠱毒ではないか! 今すぐやめろ!!」
「だから、多分環境が変わったら元に戻るし、そもそも【魔の領域】じゃないから瘴気の影響もないんだってばー」
「瘴気の正体はまだ分かっていないだろう! 現に貴様は魔獣を生み出しかけているだろうが!! 逆にそれで瘴気が発生する可能性も0ではない!!」
「……ああ、その考え方はなかったなぁ」
ポン、とルアドが右拳で左の手のひらを叩く。
「いやでも、複数の魔物を掛け合わせることで魔物が魔獣化して、結果的に瘴気が発生する、って仮定すると、因果関係が繋がらなくない? それこそ瘴気が他の生物を害する特性って何なのって話になるじゃない」
「儂が知るか! 貴様は毒を持つ生物がなぜ毒を持っているのか分かるのか!?」
「基本的には敵を倒すためか身を守るためだと思うけど。でも魔獣が、同じ魔獣以外の何から身を守るの? 瘴気は魔獣には効果がないし、瘴気域に生息する魔物もいるし……」
二人が何を話しているかさっぱり分からなかったが、とりあえず聞き取れたことを質問してみた。
「魔物って、魔獣になるの?」
「現在の学説では、魔物が瘴気に順応すると魔獣化する、とされているね」
「だが、貴様の行ったことで、魔物が魔獣化するのに瘴気は必要ないと証明されかけているではないか!」
「されかけてないってば。魔物が食物連鎖の中で強くなる速度が速いことは、魔獣化とイコールじゃないでしょう?」
「分からんだろうが! それで瘴気が発生したらこの辺りが【魔の領域】に呑まれるのだぞ!?」
「もしその仮定を真としたところで、発生時にボクが魔法で浄化すれば問題はないよ。最悪、マタンゴだけ殲滅して実験を終わらせればいい」
「一気に極大化する可能性がないとは言えん! 不確定要素が多すぎる!」
「そりゃ、それを確定させるために実験するんだし。それにこれは元々、塩害の土地を浄化するためにマタンゴを、土地を肥やすためにスライムを、エサとしてトノオイ飛蝗を放り込んだだけだし」
「スライムが土地を肥やすというのも貴様のトンデモ学説だろうがァアアアアッッ!!」
ついに癇癪を起こしたのか、ダン! とニーズが足で床を踏みつけると、木の床がぎしりと鳴った。
「学会の連中が認めないだけで、提出した論文に穴はないはずだけどなぁ……」
不満そうに首を傾げるルアドだが、ニーズの言い分のほうが正しいように、エンリィには聞こえた。
危険だ、という面についてだけの話で、魔獣化うんぬんについてはよく分からなかったが。
「……クーちゃんはどう思う?」
瘴気が払われて元気になったクイグルミに問いかけると、クーちゃんは手の中から飛び出して、ぽこん! と膨れてヌイグルミに似た姿になる。
「どうしたの?」
ルアドがクーちゃんに問いかけると、プルプルと震えたクーちゃんが……光に、包まれた。
「え!?」
「何だ!?」
「へぇ……」
エンリィが驚き、ニーズが警戒し、ルアドが興味深そうに見つめる中。
うにょうにょと形を変えたクーちゃんが、最後にぱっ……と光を弾けさせると。
「姿が……変わった?」
エンリィは、戸惑った。
そこにいたのはクイグルミではない。
よりクマの人形に近づいた、ふわふわの二頭身。
四つ這いになった頭には、何やら丸い両耳と瞳が生まれており、背中に宝箱のようなモノを背負っている。
宝箱はパカっと開いており、底のない黒い闇がわだかまる様子は、元はクイグルミの頭部にあった袋口の中と同じに見えた。
「く、クーちゃん?」
『わう!』
答えて鳴き声を上げた変化した魔物……クーちゃんは、丸い尻尾を懐いた犬のようにふるふると震わせる。
「か、可愛い!」
「クイグルミが、進化しただと……?」
「見たことないねー。大クイグルミ以外に進化形態があったなんて驚きだ」
ルアドは目をキラキラと輝かせながらしゃがみ、じっくりとクーちゃんを眺める。
「……ねぇ、ニーズ」
「……何だ」
ルアドは、モノクルを押し上げながら笑顔のまま、クーちゃんを指さした。
「多分、強くなってはいると思うけど。……この子も、魔獣に進化してるように見える?」
ルアドの問いかけに、ニーズは苦い顔で答えた。
「……見えんが、だ、だからといって貴様の結界実験が正しいとは……」
「じゃ、まずはクーちゃんを確かめよう。あ、特に痛いこととかはしないよ?」
立ち上がったルアドは、腕を組んでトントン、とこめかみの生え際あたりを指で叩く。
「この進化が瘴気によるものか、別の要因によるものか。分かれば、魔物が本当に瘴気なしに魔獣化するかどうか、分かるんじゃない?」




