第三章 3
ジョシュアはステンドグラスが床に描き出す光の絵を見つめたあと、舞台の前まで歩いて行き、そのまま壇上へと登っていく。その動向をリタが後ろから見守っていると、彼は舞台の上でぽつりとつぶやいた。
「懐かしいな。何年ぶりだろう」
「……? 以前もこちらに来られたことがあるんですか?」
「ある……というか、わたしは一時期ここに通っていたことがあるんです」
「えっ?」
まさかの告白にリタは思わず両眉を上げる。ジョシュアはそんなリタの反応に目を細めると、あらためてステンドグラスの方を振り返った。
「もう随分と昔の話ですけどね。勉強のためというよりは人間関係の構築を主としたもので、期限も一年だけと決められていました」
ステンドガラスを通り抜けた陽光が彼の金髪を淡く照らす。その神々しい姿はまるで創世神話に登場する天使のようだ。リタはその佇まいに目を奪われつつも、何か言葉を求められている気がしておそるおそる続きを尋ねる。
「が、学園生活はいかが……でしたか?」
「うーん、まあ楽しかったですよ。でもさっきの弟ほど馴染めてはいなかったかな。あの子はやや強引な風に見えますが、その実相手をよく見ている。そういうところが周りの人間から好かれる理由なんでしょうね」
「まあ確かに……」
言われてみればエドワードは学園にも社交界にも友人が多い気がする。あのランスロットでさえ、あれこれ文句を言いながら結局長い付き合いを続けているくらいだ。リタが微妙な顔をしていることに気づいたのか、ジョシュアが「ふふ」と笑った。
「でもどうやら、あなたには苦戦しているようですね」
「え、ええっと……」
「大丈夫。弟には何も言いませんよ。恋愛が下手なのはわたしも同じですから」
何やら意味深な発言が飛び出し、リタは触れた方がいいのかと自問する。ジョシュアは再びステンドグラスの方を見上げ、何かを思い出すように口を開いた。
「弟と違って、わたしは将来この国を背負う存在です。生涯をともに生きる伴侶すらわたし一人では決められない。それは今も重々承知しています。でもあの頃のわたしは、それがどうしても許容出来なかった」
(……?)
ジョシュアが壇上からリタを見下ろす。先ほどと同じ、儚く発光するような姿。
だがなぜだろう。先ほど感じた恐ろしいまでの神々しさが今の彼からはまったく感じられなかった。違和感の原因を探ろうとリタが意識を集中させていると、それを乱すかのようにジョシュアが質問してくる。
「ねえリタさん、この世界って不平等だと思いませんか」
「え?」
「誰も生まれてくる場所を選べないのに、ただ貴族の家に生まれたというだけで優遇される。卑しい身分の人間は人並みに生きることすら許されない。偏った正義だけがのさばり、それと違う者は淘汰される。それって本当に正しい世界なんでしょうか?」
「それは……」
抽象的すぎて難しい。しかしまったく感じたことがないと言えば嘘になる。
魔力を持って生まれたリタ――ヴィクトリアは物心ついた時からひとり森の中で暮らしていた。おそらく捨てられたのだろうと察していたが、認めると余計に苦しくなるのであえて考えないようにしていたものだ。
幸い精霊たちがずっと傍にいてくれたし、ディミトリやシメオンとも出会うことが出来た。冥王を倒してからは王宮で色々な人にかしずかれたし、隠居生活に戻ってからもシャーロットをはじめとした養女たちと賑やかに暮らしてきた。
でも――。
(それはたまたま、私が力のある魔女だったから。もし精霊たちの助けが得られなければ、私はきっと……)
リタが返答に窮していると、ジョシュアがにっこりと微笑んだ。
「わたしはね、この国を変えたい。この世界を救いたいんです。だから……力を貸してもらえませんか」
「力……?」
「はい。わたしが望む、本当に平等な世界を作るために――」
するとその瞬間、リタの背後でけたたましい音を立てて扉が開いた。慌てて振り返ると、ようやくクラスメイトたちから解放されたらしいエドワードとランスロットがずんずんと大股で通路を歩いてくる。
「兄上! ひどいですよ、二人だけで先に行くなんて!」
「ごめんごめん。なんだか長引きそうだったからさ」
「リタ、一人で案内させて悪かった」
「う、ううん……」
いつの間にか第一王子の従者であるレオンが合流しており、舞台から下りてきたジョシュアに向かって何かをこそっと耳打ちする。彼は真剣な表情でそれを聞いたあと、あっさりといつもの調子に戻った。
「すみません、そろそろ時間みたいですね」
「最後に学園長へのご挨拶などは――」
「あまり気を遣わせるのも悪いでしょう。わたしたちが帰ったことだけ伝えてもらえれば。見送りも結構です」
「承知いたしました」
ランスロットが折り目正しくお辞儀をし、ジョシュアが講堂をあとにする。エドワードもまた兄の背中を追いかけながら、途中でリタの方を振り返った。
「じゃあね。また学園祭の日に会いに来るよ!」
「は、はーい……」
護衛騎士たちが合流する物々しい音が建物の外で聞こえ、だんだんと気配が遠くなっていく。ようやく静かになったのを耳で確認すると、リタは「はああーっ」と両肩を落とした。
「つ、疲れた……」
「本当にすまなかった。大丈夫だったか?」
「うん。ランスロットこそクラスの用事は済みそう?」
「……これからやるところだ」
珍しくげんなりしているランスロットを見てリタは思わず苦笑する。あらためて舞台――その奥にあるステンドグラスを見上げると、先ほどのジョシュアの言葉を思い出した。
(この世界は、不平等――)
王太子である彼がどうしてそんな思考に至ったのか。
もしかして、彼の短い学園生活に何かあったのだろうか。
(力を貸して、か……)
遥か昔、ディミトリからそう頼まれたことを思い出す。
考えるだけで心臓のあたりが無性に苦しくなり、リタはランスロットに気づかれないよう、ひそかに自身の胸元を手で押さえつけるのだった。
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学園内の視察を終え、学習棟の前に留めてある馬車に向かう途中。
ジョシュアの一歩後ろを歩いていたレオンが、エドワードや護衛騎士たちには聞こえない声量で囁いた。
「アルバ・オウガに滞在していた六名のうち、残り三名に接触してきました。プライスト侯爵家のリーディア様、東国の拳闘士一族のご息女ローラ様、こちらは特段変わった様子は見られませんでした」
「じゃあ最後のひとりか」
「アレクシス。資料を確認しましたが、両親不在のため姓は分からないとのことでした。出身はランドールで養父はベイリー・ヒューザー。グランバルト卿の元部下で入学推薦人にも彼の名前が書かれています」
「孤児か……」
歩きながらジョシュアが思案する。その横顔を眺めながらレオンが続けた。
「舞台の方はいかがでしたか?」
「問題なかった。やはり儀式を行うならあの場所がもっともふさわしいだろう。幸い、冥王様も賛同してくださっているし」
「それはようございました」
「ああ。これでようやく、彼女を蘇らせられる……」
ジョシュアの瞳からふっと光が消える。
レオンは主のそんな変化に気づきつつも、すっと頭を下げて彼のあとに従った。
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王子様二人、突然の視察を終えた日の夜遅く。
実行委員の仕事をようやく片付けたリタは疲弊しきった顔で寮へと向かっていた。
「つ、疲れたぁ……」
他の生徒たちはもうとっくに休んでいるのか、中庭や回廊には誰の気配もない。しかし遠くに見える講堂からは今なお光が漏れており、リタは「ふう」と息を吐き出した。
(演劇か……他にも頑張っている人がいるみたいね)
なんとなく勇気をもらえた気がして、リタはうーんと大きく伸びをする。そこでふと、リーディアから頼まれていた貸室の依頼を思い出した。
「えーっと、予約は談話室のカレンダーに記入する、だったよね」
以前エイダが言っていたことを思い出し、リタは談話室へと足を向ける。もう誰もいないだろうとノックもせずにいきなり扉を開けたところで、思わず「あっ」と声を出しかけた。
(ど、どうしてここに⁉)
見れば三人掛けのソファにランスロットが横たわっていた。
しばらくその場で硬直していたリタだったが彼の反応がないことに気づき、少しずつ距離を縮めていく。その顔が確認出来る位置まで近づいたところでそうっと覗き込んだ。
(寝てる……)
よほど忙しかったのだろう。あのランスロットが珍しく無防備に眠っていた。しばらく見つめてみたが起きる様子はなく、リタはすとんと頭側にしゃがみ込む。
(相変わらず、綺麗な顔……)
伏せられた長い睫毛にまっすぐ通った鼻筋。綺麗な形の唇に整った顔の輪郭。
そのまま体の方に視線を動かすと、長い脚が三人掛けソファの肘置きからはみ出しており、リタは思わず笑ってしまった。次期公爵の彼でも疲れた時にはこうなってしまうのか。
「おつかれさま……」
誰もが寝静まった深夜の寮。二人だけの談話室。
彼がまとっている空気に触れるだけで、胸の奥がざわざわと小さく揺れる。





