第四章 7
アレクシスの問いかけを、黒い球体はただ静かに聞いていた。やがて虫の羽音のような不快な音波が中空を伝い、アレクシスはそっと目を瞑る。
『……なるほどね。それじゃあもう一つ。今、冥府を支配しているのは――』
だが質問の最後を待たずして、突如「ギャアアア!」というけたたましい悲鳴が響き渡った。浮かんでいた球体はべしゃっと音を立てて落下し、そのまま黒い穴ごと姿を消す。
それを見たアレクシスは、忌々しげに「チッ」と舌打ちした。
「勝手に切りやがって……。まあいい、これで僕のことは伝わるだろう。あとは――」
そう言うとアレクシスは立ち上がり、「うーん」と大きく伸びをする。するとバキバキ、と骨が変形する嫌な音がし、まるでコウモリのような鋭い黒翼がその背中に広がった。
「今から行けば、追いつくかな」
そのまま上空に飛び上がると、アレクシスはまっすぐ城へと向かったのだった。
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しんと静まり返った人気のない城内。
リタは中庭にある温室のベンチにぐったりと座り込んでいた。時間の流れが異なる空間にいたせいか、いつの間にか時刻は真夜中を超えている。
(さ、さすがにきつかった……)
連続した精霊言語に希少精霊の特定、命名。さらにプレッシャーのありすぎる契約まで終えたのだから、そりゃあ精神も魔力も削られるというものだ。
(でも『冥王教』に関する情報も得られたし……)
ただ、王族の紋章を身に着けた何者かの正体はまだ分からない。王宮に住んでいた頃ならまだしも、今のリタでは調査することすら難しいだろう。
(それにあの話――もしも『冥王』が使者を送っていて、人間側がそれを一方的に亡き者にしたのであれば、戦いを始めた理由ががらりと変わってしまう……)
四百年間、疑うことなく信じてきたものが足元から崩れてしまう気がして、リタはぶるりと身震いする。するとどこかから扉が開く音がし、目の前にアレクシスが現れた。
「やあリタ。こんな時間に何してるの?」
「アレクシスこそ、どうして……」
「君が『灰の森』に飛んでいくのが見えたから、心配で待ってたんだよ」
(……っ! 見られてたんだわ)
ランスロットの目をかいくぐるのに必死で、アレクシスの動向まで気にしていなかった。どくん、どくんと周囲にまで聞こえてしまいそうな心臓の音をごまかすように、リタはつとめていつものように話し始める。
「ちょっと眠れなくて、散歩に出てただけよ」
「へえ。あんなに暗くて陰気な森までわざわざ?」
「あ、あそこって、『冥府』と繋がったことがある珍しい森らしくて。ほら、魔女としてはそういうの気になるっていうか――」
まずい。疲労で頭が全然回らない。とにかく余計なことを口にする前にこの場を離れなければ――とリタはさりげなくアレクシスの脇を通り過ぎようとする。
だがその腕をアレクシスがすばやく摑んだ。
「!」
「そうなんだ。真面目なリタらしいね」
よく見れば彼は眼鏡をしておらず、その状態のままどこか楽しそうに切り出した。
「ねえリタ。強い者がより強くなるためにはどうしたらいいと思う?」
「しゅ、修行する、とか……?」
「それも正解だろうね。でも僕は『同じくらい強い仲間を得ること』だと思うんだ」
アレクシスの手には、ほとんど力が込められていない。だが名状しがたい何かがまとわりついているかのようで、リタはそれを振りほどくことができなかった。
やがてアレクシスが穏やかに口にする。
「あらためてお願いするよ、リタ。僕のパートナーになってくれないかな」
「パートナーって……私はほら、今エドワード殿下と」
「そういうお遊びのじゃなくてさ。学園を卒業したら、二人で生きていきたいなって」
「なっ⁉」
話がいきなり飛躍し、リタは大きく目を見開く。
その反応を見たアレクシスは嬉しそうに笑うと、摑んでいた手にぎゅっと力を込めた。
「大丈夫。心配しなくても大事にするよ?」
「ア、アレクシス、離して……」
「あの二人に君はもったいない。僕は君をひと目見た時からずっと、ずうっと好きだったのに――」
その時、リタの後ろから手が伸びてきて、アレクシスの腕をがしっと摑んだ。
「おい、何してる」
「ランスロット……!」
そこに立っていたのはランスロットだった。
すぐにアレクシスの手が離れ、リタは急いでランスロットの背後に身を隠す。それを見届けたあと、ランスロットが苛立った様子でアレクシスに詰め寄った。
「アレクシス、お前いったい何のつもりだ」
「何って、少し話をしていただけだけど?」
「ふざけるな。どうみても嫌がっているだろうが」
そう言うとランスロットは振り返り、リタに向かって「大丈夫か」と尋ねた。
「怪我は? あいつから何もされてないか」
「う、うん……」
「そうか……」
ほっとした表情のランスロットを前にして、リタは少しずつ自分の心拍が落ち着いていくのが分かった。そんな二人を見ていたアレクシスは「あーあ」とつぶやき、ランスロットの拘束を乱雑に振り払う。
「余計な邪魔が入っちゃったな。まあいいや。リタ、さっきの提案よく考えてみて」
アレクシスはにこっと微笑み、そのまま温室をあとにした。彼の気配が完全に遠のいたのを確認し、ランスロットが複雑な顔で問いかけてくる。
「提案ってなんのことだ?」
「え⁉ ええと、その……そ、卒業したら、二人で生きていきたいって、言われて……」
「はあ⁉」
ランスロットにしては珍しい大声に、リタは思わずびくっと肩をすくめる。それを見てランスロットは「っ、悪い」とすぐに自身の口元を押さえた。
「それってつまり、その……プ、プロポーズってことか?」
「わ、分かんない。でも、そういう意味なのかも……」
「――っ、いいか、落ち着いて考えろ。知り合って一年にもならない奴が求婚してくるなんて、どう考えてもおかしいだろ‼ 絶対何か裏があるに決まってる!」
「ラ、ランスロットだって、ヴィクトリア様に出会ってすぐプロポーズしたくせに!」
「そ、それは、その……」
恥ずかしくなったリタが反論すると、ランスロットもまた真っ赤になって口を閉ざす。張り詰めていた緊張がようやくなくなり、リタはほっと息を吐き出した。
「でも来てくれてありがとう。……実はちょっと、怖かったから」
「……ああ」
「それにしても、よくここに気づいたね。こんな遅い時間なのに」
「そ、それは……」
リタの疑問に、ランスロットがぎくりと肩を強張らせる。
「だって……帰って来なかっただろ、お前」
「え?」
「中庭を散歩するって言ったっきり、いつまでも帰って来ないから、心配で……」
「もしかして、あれからずっと寝ずに待ってたの⁉」
「わ、悪いか!」
ぽかんとした顔でランスロットを見ると、彼は先ほど以上に赤面していた。それを見た瞬間、心臓がきゅんと引っ張られた気がして、リタはすばやく辺りを警戒する。
(な、何⁉ 今の……)
なんらかの魔法攻撃を受けたのか、と身構えたがどうもそうではない。おそるおそる胸元を押さえると心臓がいつもより早く拍動しており、リタはひとり首をかしげた。
(……?)
やがてランスロットがこほんと咳払いし、リタの前にすっと片手を差し出した。
「ほら、もう帰るぞ」
「あ、うん」
「…………」
「あの、この手はいったい……」
「暗いから、足元とかつまずいたら危ないだろ! それにまだアレクシスの奴が近くにいるかもしれないし……」
あれこれと理由を挙げ連ねるランスロットの姿に、リタの胸がまた謎の音を立てる。ものすごく緊張しつつ、リタはおずおずと目の前にある手を取った。
「じゃ、じゃあ、お願いします……」
「あ、ああ……」
ダンスの時も感じていたが、小柄なリタの体で握ると想像以上に大きい。温室を出て歩いていると、ランスロットがぼそりと口にした。
「アレクシスには、あとから俺がちゃんと釘を刺しておく。もしまたああいうことをされたら、その時はすぐに言え」
「う、うん」
「……遅くなって、悪かった」
繋いでいた手にぎゅっと力が込められ、リタは自分の頬がかあっと熱くなるのが分かった。なんだか顔を上げることができず、二人は無言で部屋まで戻ったのだった。





