第三章 5
「ふふ、楽しいなあ。こんな遠方に行くのは久しぶりだよ」
「普段はあまり出歩かれない感じなんですか?」
「第二とはいえ一応王子だしね。でも夏になればジョシュア兄上と避暑地に行くし、隣国の式典に参加することもあるよ。ランスロットとも小さい頃によく遊びに出ていたな」
(あ……)
そう言って笑うエドワードと記憶の中の勇者が重なり合い、リタは思わずうつむく。するとそんなリタに気づいたのか、エドワードが「ねえ」と身を乗り出した。
「あらためて確認なんだけど、ランスロットとは本当に何もないのかい?」
「あ、ありません! パートナーだったってだけで……」
「良かった。それを聞いて安心したよ。聞くところによると、パートナーを組んだ魔女と騎士というのは、結構な割合で恋愛関係に発展するそうだから」
「れ、恋愛……」
なおもぎくしゃくしているリタの手を、エドワードがすっと持ち上げた。
「それで……どうかな?」
「ど、どう、とは?」
「パートナーになってしばらく経つけど、少しはわたしのことを分かってもらえたかな、と思って」
するり、と長い指を絡められ、リタは緊張からか背中にぶわっと汗をかく。何か、何か言わなければ。
「あ、あの! どうして、殿下はそんなに私を気にしてくださるんですか?」
「言っただろう? 君に心を奪われたと」
「で、でもほら、王子様ですし、お付き合いするのにふさわしい身分とかありますよね」
「リタはオルドリッジを卒業した魔女の価値について知らないのかい? 魔力を持って生まれた希少な女性。そのうえ厳しい鍛錬と研鑽を重ねたとされる彼女たちは、いまや王族や貴族たちの花嫁候補筆頭と言われているんだよ」
「そうなんですか⁉」
「うん。その優れた魔法を求めて、養子に迎えたがる貴族もいるくらいだし……。リタも望めばいずこかの令嬢になれるんじゃないかな? まあ、どんな身分でもわたしはいっこうに構わないけどね」
そう言うとエドワードは、リタの指先を捕らえたまま微笑んだ。
「どう? これで君の憂いは晴れたかな」
(ど、どうしよう……)
反論材料を失ったリタは、曖昧に微笑みながらびくびくと視線を外す。ヴィクトリア時代はとにかくディミトリ一筋だったので、他の異性といい感じになったことも、こんな形で迫られたこともなかった。
四百歳になったというのに恋愛経験値は一桁以下だなんて、情けないにもほどがある。
(でも、ちゃんと言わないと……)
リタは覚悟を決め、恐る恐る口を開いた。
「す、すみません! やっぱりその……無理です」
「無理?」
「私は、殿下の気持ちに応えることができません。だからこれ以上は――」
するとそんなリタの言葉を遮るように、エドワードが声を発する。
「それは――君がわたしを見て、つらそうにするのと何か関係があるのかな?」
「……!」
驚いたリタは思わず顔を上げる。
するとこちらをじっと見ていたエドワードと真正面から目が合った。
「はじめて会った時から気づいていたよ。君はわたしを前にするたび、なんだかとても悲しそうな顔で目をそらそうとする」
「それ、は……」
「だから、てっきり嫌われているのだと思っていた。それなのに君は、あの恐ろしい『冥獣』たちから必死になってわたしを助け出してくれた。どうしてだろうと思ったあの時から、ずっと君のことが忘れられなくて――」
新緑色のエドワードの瞳が、今にも泣きだしそうなリタの姿を映しとる。その瞬間、リタはかつての勇者――ディミトリと対峙しているかのような錯覚に陥った。
「ねえリタ。わたしたち、昔どこかで会ったことがあるのかな?」
「い、いえ、その……殿下ではなくて……」
「……もしかして、その男が君に酷いことをした?」
「ち、違います! 悪いことなんて何も――」
心臓がどくん、どくんと嫌な音を立てる。エドワードはディミトリじゃない。そう頭では理解しているのに、まるでディミトリと話しているようで冷静さが保てない。
そんなリタをよそに、エドワードは穏やかな声で続けた。
「わたしは、君のことをもっとよく知りたい。何が好きなのか。何が苦手なのか。どんな人生を歩んできたのか。どうしたらもっと笑ってくれるのか――」
そう言うとエドワードはリタの手を持ち上げ、その甲に軽く口づけを落とした。ちゅ、という軽い音と同時に、柔らかい唇の感触がリタの肌を伝う。
「……!」
「わたしは、君を傷つけた男とは違う。どうかそれだけは伝えておきたくてね」
「殿下……」
ようやくエドワードの手が離れ、リタはすぐさま自身の手を胸元に引き寄せた。
もうとっくに克服した、忘れた、過去のものになったと思っていたのに――どうしてまだこんなに、彼の面影に心がかき乱されるのか。
(……もしもあの頃、こう言われていたら――)
大好きだったけど、ヴィクトリアではない他の人を選んだ勇者。そして今、彼とまったく同じ顔の王子様が自分を好きだと言ってくれる。
でも――。
(私はもう、恋をすることなんて――)
路上の小石を踏みつけたのか、馬車がガタンと大きく揺れる。リタは小さく頭を振ると、馬車の小窓から静かに外を見つめるのだった。
・
・
・
そうして夕方、最初の宿泊地へと到着した。
街の中心を走る大通りを馬車で駆けていくと、やがて正面に一際立派な建物が現れる。錬鉄でできた門扉をくぐり、玄関ポーチに降り立ったリタが呆然と見上げていると、隣に立ったエドワードがさらりと口にした。
「わたしがいつも使っている宿だよ。移動中の宿泊に関しては、各グループで自由に決めていいということだったからね」
「は、はあ……」
「そろそろランスロットたちも来たようだ」
その言葉どおり、後ろに続いていた馬車がようやく姿を見せた。停車後、馭者が外から開けるのを待たずに、ランスロットが勢いよく扉を開け放つ。
「殿下! 移動は目立たないようにしてくださいと申し上げたでしょう!」
「これでもかなり地味にした方だよ? 本当は屋根や馭者席を白い薔薇で飾り付けようと思っていたんだから」
「どこの新婚旅行ですか! まったく……」
頭をガシガシと掻いて閉口するランスロットが珍しく、リタは思わず「ふふっ」と笑みを浮かべる。すると顔を上げた彼とうっかり目が合ってしまった。
「あっ……」
「…………」
なんだか無性に恥ずかしくなり、リタはたまらず顔をそむける。それを見たランスロットはリタの方に一歩近づきかけたものの――その直後、リーディアのびっくりするような感嘆の声に阻害された。
「まあ~! ここって三年先まで予約が取れないと噂のホテルじゃありませんこと?」
「リーディア……耳元で叫ばないでくれ……」
「せっかくみんなでの旅行だからね。ちょっとお願いしたんだよ」
「素敵ですわ! ささ、皆さん早く参りましょう!」
何か言いたげなランスロットを残し、リーディアは意気揚々と建物に入っていく。リタがほっとした表情でそれを見送っていると、遅れてローラとアレクシスが現れた。
「はあ~すごい馬車でした……。ふっかふかでお尻が全然痛くありません……」
「しかも早かったしね。それよりリタ、王子様に変なことされなかった?」
「さ、されてないけど⁉」
じっと観察してくるアレクシスの視線から逃れるように、リタはあたふたとホテルに入る。解放感のある玄関ホールには白と黒の大理石が敷き詰められており、天井にはピカピカに磨き上げられたシャンデリアが三灯も飾られていた。
正面にあるカウンターに向かうよりも早く、ホテルの支配人らしき男性がエドワードのもとに歩み寄る。
「殿下、本日はようこそお越しくださいました。どうかごゆるりとお過ごしください」
「うん。世話になるよ」
「それでは――」
支配人の指示を受け、男女それぞれの使用人が山のような(主にリーディアの)荷物を運んでいく。さらに目の前に、数字が刻まれた立派な鍵が差し出された。
「殿下のご希望で、最上階の部屋をお取りしております。窓からは当ホテル自慢の中庭がご覧いただけますので、ぜひお楽しみいただければと」
「あ、ありがとうございます……」
エドワードたちと別れ、リタは鍵に書かれた数字の部屋へと入る。寮の部屋の三倍はあろうかという広さに、白で統一された最高級の調度品の数々。大きな窓からは完璧に整えられた中庭が一望できる。
聞くところによると『青の魔女』――ミリアが直々に設計し、特別な趣向を凝らした場所らしい。
(すごい……)
美しい茜色の空とともに、リタはしばしその景観に見惚れてしまう。すると廊下に面した扉から、コンコンというノックの音とローラの声がした。
「リター! そろそろ夕食の時間らしいですよー!」
「ありがとう、今行くわ」





