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幼なじみと私と子猫

作者: 神崎みこ

 幼なじみに恋をして、そのまま付き合えて、そしてこれから結婚する。

私の人生は割りと平穏で、平凡。

だから、こんな風に修羅場が訪れるだなんて、想像もしていなかった。


「あの……」


あまりに衝撃的な光景を目の当たりにして、私から出た言葉はひどく間抜けな一言だった。


「仕方ねぇなぁ、じゃ、おまえ帰れや」


やや乱暴に、私たちのベッドの上に裸で横たわる女に声をかける。

それは、ずっと知っている声なはず、なのにひどく冷たい知らない男の声のようだった。


「は?っていうか、もういいじゃん、隠さなくてさ」


本当に隠さないほど大胆に、裸のまま裸の男に抱きついた女。彼女はこちらを向いて嫌な笑いを浮かべる。

それでもやっぱり少しかわいい顔をしているのだな、と妙なことを思う。

勘違いでなければ、裸で抱き合っている男の方は私の恋人で、女の方は友人、だったはずだ。

そして、横たわっているのは「私たち」が使うはずだったベッド。

そう、私は三ヶ月後には彼と結婚をして、ここに住むはずだった彼の婚約者、のはず。

疑問符を撒き散らしながらも、私の気持ちは乱高下していく。

まず、私は事態を把握しきれていない。

彼は、私の恋人。

彼女は、私の友達。

ぐるぐると、そんな言葉だけが頭にめぐっていく。


 彼は乱暴そうに彼女を突き落とし、言葉を吐き捨てるように叩きつける。

それは、今までずっと一緒にいた私からは想像もできないぐらい乱暴で、汚い言葉、だった。


「ざけんなよ」


それに激昂した友人は、表面が固そうなバッグで彼の顔面を殴り下ろす。

それが、割りと小振りでよかったなと、そんな検討違いな感想を抱く。慌ただしく衣服を身に付け、彼女は私の方を睨み付けながら去っていった。


「お古だけどあんたにやるわ」


という、言葉を残して。

いや、どちらかというとあんたがお古を、というらちもない言葉を飲み込む。

彼は一瞬にして腫れ上がった左の額を押さえながら、なにかをぶつぶつと呟いている。


「あ、ごはん、食べる?」


間抜けにも会社帰りに買ってきた評判のお弁当の袋をささげ、こんなことを聞いてしまった。

やっぱり、この時の私は普通じゃなかったのだろう。

恋人と友人の直接的な浮気現場、というものを見たわりには、私はすんなりとなかったことにして、彼との日常に戻ってしまっていた。





「大丈夫?」


二つ上の面倒見のよい先輩が、私に声をかけてくれる。

あれから精力的に仕事に打ち込んで、いつもと変わらないように生活を送ってきたはずの私には、よくわからない声かけに戸惑う。


「や、なんか顔色悪いし」


休憩時間に水分補給とタバコを吸うために、喫煙所に漂っていた自分にわざわざ非喫煙者の先輩が話しかける。

それがどれほど特異なことだと気がつかない。それほど、私自身気がつかないぐらい思考回路が低下している。


「それに、痩せた?」


灰皿にタバコを捨てた私の右手首をつかむ。

そこには筋が浮いたかさかさとした肌が露になっている。


「少し、ダイエットしてて」


できるだけ笑顔を浮かべるようにして答える。

何もなかったことにした私は、それでも入籍の日をずらす、という提案だけはしていた。

それでもそれはほんの半年ほどで、どういうわけか両家とも理由を知っているのに私を責める毎日だ。

うんざりして、実家暮らしだった私は友人の家やウィークリーを転々として逃げ回っている。

母親からの小言と、何もなかったかのような恋人からの日常のたわいない出来事の報告と、相手の母親からのほんのりと詰るような言葉。

ああ、いつもの彼らだな、と思いながら、おそらくきっと私の体は正直に拒否反応を示していたのだろう。

それに、両親でも、恋人でもなく、ただの会社関係者が気がつくなんて、と、私は泣きそうになるのをこらえ、精一杯明るく話しかける。

先輩は、あまり納得していない顔をして、それでもさらりと私の頭を撫でて去っていった。


 私は、彼以外の男を知らない。

友達同士の両親たちと、それぞれに生まれた私と彼。

兄妹のように幼なじみとして育てられるのは当然で、私の記憶はいつもいつも二組の両親と彼、に埋め尽くされている。

それを消そうとすれば、私の人生のほとんどのものが消えてしまう。

それは恐ろしくて、私はやっぱり彼の手を離すことができずにいる。




 用がある、といって久しぶりに実家に顔を出した私を、両親と彼の両親と、彼が迎え入れる。

それは本当にいつもの光景で、少しうんざりとする。


「ねぇ、これなんかいいんじゃない?」


少女のような笑顔で、彼の母親がパンフレットを掲げて見せつける。

それは、よくある結婚式場のそれで、無難なウェディングドレスを着た新婦と新郎が描かれている。

私たちはまだ社会人経験が浅いので、少なくとも披露宴はしない、という話し合いは済んでいたはずだ。

そんなことを軽やかに無視をして、彼女は弾んだような声で呪文のような言葉を撒き散らす。

隣に座っている彼の父親は黙って頷いて、自分の母親は追随するかのように嬉しそうに声を弾ませている、。


「あの、披露宴しないって、話し合いましたよね?」


「ええええ」


声を揃えて両母親は不満を口にする。

なんの興味もなさそうに、彼はスマホに目を落としている。

こうなってしまった彼女たちに何を言っても無駄だ、ということは確かに私もよく理解している。そしてそれはいつも彼が見せる態度そのものだ、ということも知っている。

けれども無性に腹が立った私は、今まで一言もこぼさなかった言葉を吐き出す。


「浮気したくせに、このまま結婚するつもり?」


何もなかったことにして、それでもどうにかこうにか色々なことを先送りにして、ここにきてようやく私の気持ちが激しく揺さぶられる。

私は、裏切られたのに、と。


「そんな前のことまだうだうだ言ってんのかよ」


うだうだ、なんて言っていない。

責める言葉も、非難する言葉も、私は口にしていない。


「そうよー、それぐらい、よくあることじゃない」


彼の母親の言葉に、母まで賛同の言葉を添える。


「ほら、よくもてる、ってことじゃない。つまらない男じゃなくてよかったんじゃない?」


私の友人と浮気をする、という浮気のなかでも最悪な無類をしておいて、と言いたいことを飲み込む。

黙ったままの私に、口々にそんな些細なことを気にするな、と私を責める。

ぼんやりと彼らを眺める。

ずっと一緒にいた、これからも一緒にいるはずだった。

思い出を探せば、彼しかいなくて。

手を離せない。

まだ、そんなことが私を支配する。


「私、謝られてないんだけど」


絞り出した言葉に、私は間抜けにもここにきてようやく気がついた。

彼は、私に言い訳もしなかったけれども、謝罪のひとつもしなかった、ということを。


「悪い悪い、まあ、男ならそういうこともあるってことで」


私の中で思いきった吐露は、あっさりとした彼の謝罪擬きの言葉にかきけされる。

そして、彼らはまた私と彼を残して式場がどうの、という会話に戻っていった。

スマホに視線を戻した彼と、呆然としたままの私を除いて。


 声もかけずに、引きずるようにして実家から立ち去った自分は、誰にも伝えていない寝場所へと帰るべく、ただ機械のように足を動かす。

のろのろと、けど確実に。

そんな状態でも、私はまだ、あの人たちを切ることができないでいる。

彼は私の全てで、彼がいない未来を描いたことがちらりともないから。

でも。

ぐるぐると、まるで生産性のない思考が蓄積していく。

それは、全く意味がなくて、そして私にとってはなんのプラスにもならない停滞。

ぼんやりと、帰るはずの電車のホームにたたずむ。視線はきちんと並ぶべき場所を見つけ、のろのろと前の人に続く。

ホームドア越しの線路を見つめる。

ふらり、とそちらの方に吸い寄せられそうになった私に、何かの着信音が響く。

正気に戻って、私は列を離れ、それを確認する。


子猫が子猫を産んだの!


そういう字とともに、猫と、もっともっと小さい、幾匹かの猫の写真が飛び込んでくる。

そして、里親募集中!

という言葉に、私はいつのまにかホームから走り出していた。




「かわいいでちゅねぇぇぇぇ」


古いけれどもペット可の物件を見つけ出し、私はあっという間にあの猫の里親に収まった。

私のあまりの勢いに少し引いた友人は、それでも色々と私にアドバイスをくれた。

すぐさま一時的な寝床から、きちんとした賃貸物件へ。もちろん猫飼育可のところ。それを友人のネットワークやら会社の人たちから口コミから探しだし、子猫を迎え入れる準備を早々に進める。

その間、あちらのことは「結婚なんかするわけないだろ」というメールとともに放置している。

色々となにか連絡をとろうとしていた、ようだが、あいにくとスマホは買い替えたし、住む場所は転々としていたし、で捕まらなかったようだ。会社で待ち伏せしていたらしい、という情報は聞いたけれども、件の親切な先輩のあれやこれやで私は鉢合わせすることなく現在にいたる。

私は、周囲をもっとよく見なければいけなかった。

思い出に浸って、しがみついて、色々なものを見落としたままにするところだった。

思えば、人生もったいなかったな、と。

お勧めのキャットタワーを設置して、見上げて頷く。まあ、ここに登るにまだ早すぎるのだけどね。


彼女の家で出していたご飯を準備して、かわいいかわいい子猫に差し出す。


「これからもよろしくね」


一人と一匹、ようやく私は自由に息ができるような気がした。

変な家と変なしがらみに絡みつかれた二人のお話。彼女の方は脱出しました。

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― 新着の感想 ―
気持ち悪い両家(特に母親たち)と離れて良かったです。 ニャンコ可愛いから癒してもらいながらリハビリに励んでください。 彼氏は何がしたかったの・・・母親(彼母主導)が希望するから愛情がないけど結婚を決…
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