“女は覚悟が大事なのじゃ”
(何も見えんし何も聞こえ無いのじゃ)
幻花森林で暴れる魔従を一掃した直後、ミアは真っ暗で何も見えない現実に焦りと戸惑いを見せていた。今のミアには本気で周囲で何が起こっているのか分からない。分かる事と言えば、閻邪の粒子に吸われていない魔力を読み取れる事で、その位置から何処に誰がいるのか把握する事だけだった。
(困ったのじゃ。因みにこれも治らないやつなのじゃ?)
呑気にそんな疑問を思うも、答えてくれる者は誰もいない。ネモフィラが側によって来た事は魔力から分かったけれど、何も聞こえない状態で話しかけて、果たして上手く喋れるかも分からない。と言うか、喋れたとしても、何も聞こえないのだから意味が無い。
(え? これかなりやばいのじゃ?)
焦りが増し、ミアは考える。まさか目と耳までこんな事になるとは思わず、過去の自分を“ぐう”で殴りたい気持ちになる。後悔するくらいなら周囲の意見をしっかり聞きなさいと言いたいけれど、まあ、そこはミアなので仕方ない。
そして、ミアはふと過去の事を思い出した。
今のミアにとって、この世界は転生してから一年も経っていない場所だ。記憶を失った為に何も覚えておらず、正直言って別人の体を乗っ取っている気分だ。この世界の家族も家族として受け入れはしたけれど、やっぱり少し距離を置いてしまう自分がいる。ネモフィラを始めとした友人たちや侍従たちとの関係も、聞いた話だからミアにとっては思い出が無い。と言うか、今のミア的には転生して半年くらいの気分だからこそ、前世への未練がとてもあった。
長年付き添った妻や子供たちの事を思い出しては、軽いホームシック気分を味わう事もある。何より妻と離れ離れになった事は大きくて、出来る事なら元の世界に戻りたいとも思っていた。
だからこそ、こうして何も見えず、何も聞こえない状況になると嫌な事ばかり考えてしまう。どうして自分は今こんな事になってしまっているのかと。ただ平穏に暮らしたいだけで、他には何も望んでいない。それなのに、目を覚ましたら聖女様と言われて、この世界の命運を懸けた戦いの中心にいる。前世八十まで生きたお爺ちゃんな自分には荷が重すぎると思わずにはいられない。
でも、ラーンの記憶を通して、不思議と惹かれる言葉があった。
“女は覚悟が大事なのじゃ”
ラーンを通して自分が言っていた決め台詞。ここ一番の時にいつも喋っていたこの言葉は、何故か今の自分を形作る大切な言葉のように感じた。その言葉だけは、記憶に無い過去のミアを自分だと思わせてくれる。
「ミア!」
「ネモ……フィ……ラなの……じゃ?」
ミアはネモフィラに呼ばれたけれど、何も聞こえない。それでもミアがネモフィラに気がついて、自身無さげではあるけれど答える事が出来たのは、ネモフィラがミアの手を握って繋いだからだ。
そして、直後にミアのおでこに何かが触れて、ネモフィラのおでこだと直ぐに分かった。
「ミア。その昔、春風魔法の使い手様は聖女様を救う事が出来ませんでした。でも、いつかくる未来の為に、その力を託してくれたのです」
ミアには何も聞こえていない。それでも繋いだ手から伝わる温かさは、ミアの心を動かすには十分なものだった。
(女は覚悟が大事……不思議としっくりくるのじゃ。どうせ目も見えぬし、耳だって聞こえぬ。過去のワシがこの世界で何をしたかったのかは分からぬが、ちょっと諦めてもらうとするかのう。ワシを信じてくれる親友の為に、ワシも一つ覚悟を決めるのじゃ)
一つ深呼吸し、告げる。
「ミミミ、リミッター解除じゃ」
そう告げた次の瞬間に、全ての記憶が頭の中で再生され、目の前の視界が広がって耳から音が飛び込んできた。リミッターを解除して本来の自分の力を解放したその時、ミアの記憶は甦り、聖なる白金の光の力が失った体の自由も再生させたのだ。
そして、ミアとネモフィラの目がかち合う。
「フィーラ。心配をかけたのう」
「っ!?」
ネモフィラでは無く“フィーラ”。その呼び名は失われた記憶と共に消えた筈のもの。ネモフィラは大きく目を見開いて驚き、喜びのあまりに涙を流す。
でも、今は泣いている場合でも喜んでいる場合でも無い。ネモフィラは直ぐに涙を拭って「ミア!」と笑顔を見せた。すると、ミアが少し申し訳なさそうに言葉を続ける。
「心配をかけたついでに一つ手伝ってほしい事があるのじゃ」
「手伝ってほしい事……ですか?」
「うむ。お主にしか頼めぬ事じゃ」
そう言うとミアは耳元で小さく何かを告げ、ネモフィラがそれを聞いてクスリと笑む。二人は顔を見合わせて微笑み合い、繋げた手をお互いに強く握りしめた。
「いくのじゃ」
「はい!」
ネモフィラが掛け声に返事をすると、ミアが白金の光で周囲を照らす。それにラーンやジャッカが気がつくと、ミアとネモフィラは頷き合って声を合わせる。
「女は覚悟が大事なのじゃ」
「女は覚悟が大事なのです」
直後、奇跡が起こる。
白金の光が再び周囲を包んで広がっていき、その後を追うように温かな風が流れていく。結晶化した大地から草花が芽を出し、新たな命が誕生していった。その規模は幻花森林の一帯全てを覆うものでは無かったけれど、少なくとも今この場の全てが春のような空気に包まれたのである。
「ラーン。決着をつけるのじゃ」
それは、この世界で誕生してから今まで培ってきたドヤ顔。ここにはラーンの過去を知って同情し、どうにかしてあげたいと思った心の優しいミアはいない。ここにいるのは、自分の事を何よりも中心に考える“引きこもり計画”の事しか頭に無い駄目なお爺ちゃんなミアなのである。
「ミア? 何が起きて……っ! 貴女まさか……っ」
「お主に恨みは無いが、ワシが引きこもる為に未曾有の異変は諦めてもらうのじゃ。と言うか、お主の過去とか知らんのじゃ。そう言うのは当事者同士でどうにかせい。関係無い者を巻き込むで無いのじゃ」
そうかもしれない。そうかもしれないけれど、言い方を考えろって感じのミア。まったくもって聖女にあるまじき言動。
やはりこのアホ。じゃなくて聖女、最低である。




