女神の水浴び場での決戦(3)
ミアの視覚と聴覚が失われてしまった。その事実にネモフィラの目から涙が零れた。もう一緒にお喋りする事も笑い合う事も出来ない。そう思うと涙が止まらなかった。
でも、それでも戦わなくちゃいけない。目の前で倒れたメイクーと、演技染みた笑みでこちらを見つめるラーンを見て、涙を流しながらもミアの前に出た。
「わたくしがミアを護ります!」
「ふふふ。本当に哀れで馬鹿な子。気付いていないのね。今の貴女を殺してもミアには気付かれない。今までのように優しくしてもらえると思わない事ね」
「それはこっちのセリフだぜ!」
フリスビー型の魔装がラーンを襲い、ラーンはそれを躱してネモフィラから離れる。すると、ネモフィラの隣に魔装を使ったルーサが現れた。そして、ベギュアやラティノたちもラーンを囲むように集まる。
ミアが先程放った白金の光が幻花森林にいる魔従を全て元の姿に戻した事で、ケレムを含め全ての敵が気を失ったのだ。だから、彼女たちも参戦が可能になったのである。
しかし、ラーンの顔には余裕があった。
「そろそろね」
ラーンが呟くと、その直後に湖の水が噴水のように競り上がり、巨大な蛇が現れた。
蛇の体は、凡そ体長五百メートル以上はあるのではと思わせる長い体。龍のように長く、背中からは幾つかの翼が生えていて、その翼も鱗も龍のようだった。しかし、それは間違いなく蛇の顔をしていて、目の中には瞳が幾つもあり不気味だ。体があまりにも大きいから目立つ事も無いが、龍を思わせる腕や手が生えていた。
そして、それだけでは無い。ミアの白金の光を受けても気を失っていなかったようで、大蛇に注目して気を取られてしまっていたベギュアにジャッカが接近して剣を振るった。ジャッカの奇襲に気が付かなかったベギュアは気を失ってしまう。更にラーンもハッカを狙っていて、ハッカは杖から繰り出された魔力の塊を背中に食らい、その場に倒れてしまった。
「くそっ。油断した!」
「っわ」
ルーサがネモフィラを横腹に担ぎ、ラーンとジャッカから距離を取る。ネモフィラは突然の事で驚いたけれど、ルーさんの判断は正しかった。何故ならジャッカの次の標的がネモフィラだったからだ。ネモフィラはルーサのおかげでジャッカからの攻撃を避ける事が出来たのである。
しかし、事態は最悪だ。ラーンは次にラティノを狙っていたようで、彼女も不意を突かれた事で地面に倒れてしまった。
「不味いぞ。先に強い奴がやられた。まともに戦えるのがオレしかいねえ」
「ブラキにお願いするのは……出来ませんね。ブラキにはサンビタリアお姉様を護って頂く必要がございます」
「ああ。って、涙は止まったみたいだな。ネモフィラ王女」
「え……?」
「どっかに逃がそうかとも思ったけど、その必要は無いみたいだな」
「ルーサ……。わたくしも、わたくしも戦います。ミアを置いて逃げたりなんてしません」
「ああ。そうだな。あのさ、王女様。あんな奴の言葉に惑わされるなよ。日記に書いてあったんだろ? 昔、聖女を救えなかった代弁者が、春風魔法に込めた想いってやつをさ。お前はそれを引き継いだんだ」
「っ……はい!」
ネモフィラは古の聖女の仲間だった春風魔法の使い手の想いを思い出す。
日記に書かれていたのは恋の記憶や聖女との思い出。恋敵だった聖女だけど、別に仲が悪いわけでは無かった。信頼し合える仲間であり、友達だった。
そして、最後まで読み終えてネモフィラは知ったのだ。古の聖女は白金の力で世界を救い、人知れずに命を落とした事を。友を失い無力な自分に嘆く春風魔法の使い手の想いを。だからこそ、大好きな友達であるミアを失いたくない想いを糧に、ずっと努力し続けてきたのだ。
ネモフィラは深呼吸を一つして、想いを強さに変えるべく春風魔法の可能性を心に浮かべる。友を亡くした春風魔法の使い手の無念を、今度こそ同じ過ちを繰り返さないようにと強く念じる。
そんなネモフィラの決心した表情を見て、ルーサは笑みを浮かべた。
「一秒でも多く時間を稼ぐ。後は頼んだぜ」
「っ」
ラーンとジャッカに左右から囲まれて、ルーサが魔装を使ってネモフィラを遠くへと放り投げる。ネモフィラは離れて行くルーサを見て、彼女がラーンとジャッカの攻撃を同時に受けてしまうのを見て目を見開いた。
「ルーサ!」
ルーサは倒れなかった。時間を稼ぐと宣言した通り、ふらついた足で大地を踏みしめ、ジャッカに跳びかかる。
「魔装を手放すとは愚かな事をしたな」
「そうでもないぜ! 時間稼ぎくらいは出来る!」
なけなしの魔力で水を生み出し、それをジャッカに向かって放つ。しかし、簡単に斬り裂かれ、流れるような動きで横腹を斬られてしまう。でも、ルーサは一歩たりとも引いたりしない、歯を食いしばって痛みを我慢し、拳を作ってジャッカの左頬を殴り飛ばした。
だけど、そこまでが限界だった。背後から近づいたラーンに杖で背中を殴打され、そのあまりにも大きな衝撃で血を吐き出す。よろめく体で必死に足に力を籠めて立ち続けるも、前から接近したジャッカに血が噴き出す横腹を蹴られ、耐えられず転がって倒れてしまった。
でも、それでも諦めない。ルーサは立ち上がり、魔力を振り絞って頭上に水の塊を出現させた。しかし、その直後にジャッカが止めだと言わんばかりに剣を振るい、ルーサはその直撃を受けてしまう。そして、頭上に出現した水の塊は地に落ちて、今度こそルーサもそのまま倒れてしまった。
しかし、だからと言ってルーサが悔しがることは無かった。ルーサはニヤリと笑みを零していたのだ。
「うちの王女様を……なめるなよ…………」
「あんな子供に何が出来る。既に大蛇が現れた。それに、あんな何不自由なく生きてきた子供が、過酷な過去を持つお嬢を止められるわけが無いだろう」
ジャッカがそう告げて、ルーサの息の根を止めようとして剣を振るったその時だ。彼の眼前に白金の光が広がり、そして、二人の少女の声が重なって聞こえた。
「女は覚悟が大事なのじゃ」
「女は覚悟が大事なのです」




