幻花森林沿いの決闘 前編
ルニィとクリマーテがミアを発見し、ニリンとマレーリアを一緒に救助する頃より少し時間は遡る。
エルリーフの国長から協力を得て幻花森林へと戻って来たヒルグラッセは、幻花森林の手前で魔従を引き連れ現れた仮面の女との戦いは激しく続いていた。そして、二人の戦いは余程激しいものだったのだろう。ヒルグラッセは横腹が爪で引き裂かれたように少し抉り取られていた。しかし、勝負はまだ終わっていない。
仮面の女に着実にダメージを与えていて、その焦りで彼女を魔従化させていた。とは言え、追い詰めたわけでも無い。魔従化した仮面の女の肌には硬い鱗が現れ、おかげで上手くダメージを与えられなくなった。
そんな二人の戦いは激しくなる一方で、周囲にいるエルフの戦士たちも手出しが出来ない程のものとなっていた。そして、漸く一つの変化が訪れる。
ヒルグラッセの魔装振動の剣と、仮面の女の手から伸びる鋭い爪がぶつかり合い、甲高い音を響かせる。二人は何度か斬り合うと、どちらからともなく距離を取り、直後に仮面の女の仮面が割れて地面に落ちた。
「それが貴様の素顔か。体は鱗に覆われて魔従化しているわりには、顔は人の顔を留めているのだな」
「強い意志を持てば魔従化しても人の姿を留めていられるのよ。意志が強ければ強い程にね。ラーンお嬢様の願いを叶える為なら、私は魔従にだってなってみせる。その覚悟の差が他の者達と違うのよ」
「成る程。先程聞こえてきた生徒の声が言った通り、閻邪の粒子は強い意志で克服出来ると裏付けが取れたわけだ」
「貴女も閻邪の粒子を取り入れて魔従にでもなる?」
「それはお断りね。私は聖女であらせられるミア様の騎士だ。聖女の騎士が魔従化だなんて、冗談でも笑えない」
「それは残念ね」
女がもう必要ないとボロボロになった衣服を破り捨て、鱗に覆われた上半身が露出される。
それを見てヒルグラッセが受けた印象は、彼女の体を覆う鱗が竜のようだと言う事。龍神国ブレゴンラスドに住まうドラゴンたちは、今の彼女のような硬い鱗で覆われていた。つまりは彼女は魔従化する事でドラゴンのように強靭な肉体と硬い鱗を手に入れた事になる。更に衣服を破り捨てた直後には、背中からドラゴンの翼が生えて広がった。そして、先程から繰り出される爪の強度は、魔装でも切り裂けない程の硬度を持っている。
ヒルグラッセは犬の獣人であり、普通の人間より身体能力が高い。危険を察知する能力も長けていて鼻が利くし、耳だって良い。しかし、相手がドラゴンと同等の力を持つ魔従であれば、全てに対して劣っていると言えるだろう。それでも弱気になる事も無く、ヒルグラッセは冷静だった。
「ここからが本番と言ったところか」
「いいえ。もう終わりよ。最後に名前を聞いてあげる。貴女が死んだと伝える為にね」
「そんな機会は訪れない。けど、礼儀を欠くのも癪ね。私は聖女ミア様の騎士ヒルグラッセ=ドープルイト。貴様の名は?」
「私はカレハ=ヨードリーフ。もし死後の世界があるのなら、そこで自分を殺した相手だと聖女に聞かせてあげなさい」
二人は互いに向かい合い、ヒルグラッセは振動の剣を、カレハは鋭い爪を構える。
そして、同時に動いた。ヒルグラッセはカレハに向かって駆け、しかし、カレハは翼を広げて上空へと羽ばたく。でも、ヒルグラッセは地上で何も出来ずにジッとしているわけが無い。大地を蹴り、上空へ上がったカレハへと接近した。
「馬鹿ね! 空中で何も出来ない癖に!」
カレハはそう言って息を大きく吸い込み、灼熱の炎を吐き出した。
ヒルグラッセには翼が無く、空中では身動きが取れない。カレハの言う通り何も出来なくて当たり前で、彼女が吐き出した炎を躱す事も出来ずに受けるしかなかった。しかし、それは常識の話だ。
「確かに、貴様の言う通り本番では無く終わりのようね」
「――っ!?」
ヒルグラッセの跳び上がった勢いは止まらない。炎を斬り裂き、カレハに向かって更に加速して突き進む。
「速度が上がった!? そんな馬鹿な事!」
カレハは焦り、更に上空へと飛翔する。しかし、それを追うようにヒルグラッセも上昇し、カレハは驚愕で目を見開いた。
「そんな! どうやって!?」
「どうやら貴様に魔従の力は宝の持ち腐れだった様ね。戦闘経験の差は埋められない」
「黙――――っ!」
黙れと叫ぶその瞬間に、カレハの目の前にヒルグラッセは現れていた。
そして、その時になって漸く気がついた。焦るあまりに見落としていたのだ。ヒルグラッセが足場を作る為に、ほんの小さな石ころを魔法で其処彼処に出現させていた事に。閻邪の粒子で魔力が奪われているとは言え、それは自然界の魔力だけ。自分自身の魔力は僅かに残り、ヒルグラッセはその魔力を使って魔法で石ころを出していたのだ。
ヒルグラッセの言った通りだ。戦闘経験の差は埋められない。どれだけ強い力を手に入れても、それを活かす事が出来なければ、本当に強い相手には勝てないのだ。
(ああ。フリール様。申し訳ございません。貴女様のお役に立てない不甲斐無い私を――)
ヒルグラッセはカレハの左胸から右の横腹まで斬撃を浴びせ、その衝撃で地面に叩きつけた。




