精霊王の失策
話は少し遡り、まだ試合が始まって間もない頃。ここは王木から女神の水浴び場へと続く裏道。限られた者しか知らぬ道を、ウドロークが側近のフカースや近衛騎士を連れて歩いていた。
ウドロークは何やら苛立った様子を見せていて、原因は少し前に彼の許に来たチェラズスフロウレスの王ウルイだった。
「二度とネモフィラと聖女に近づくなだと! なんて無礼な奴だ! ウルイ!」
少し前、試合開始直前にウルイに言われたようで、それを思い出して怒っていたのである。怒鳴り声を上げるとウドロークは更に目を尖らせ、歯ぎしりする。
チェラズスフロウレスの王ウルイは娘のネモフィラやミアにウドロークが手を出そうとしていたので、彼にこれ以上関わらないようにと話しに来ていたのだ。ウドロークはそれを受けて抗議したけれど、ウルイはそれを受け入れなかったし、本人たちも嫌がっているから余計に嫌われると忠告した。しかし、ウドロークはそれで納得したわけでは無いし、護衛に天翼会のリリィも一緒にいたので能力を使って操る事も出来なかったので、それ以上は何も出来なかった。おかげで苛立ちだけが残り、こうして苛立ちをあらわにしている。
そして、そんな彼にただ一人、可笑しそうに笑う者がこの場にいた。
「良い気味よ。アンジュをこんな所に閉じ込めた罰が当たったのよ」
そう言って鼻で笑い、ウドロークに視線を向けたのは女神の水浴び場を管理する精霊神アンジュ=ジェールン。彼女はフカースが持つ特殊な鳥籠の中に閉じ込められていて、鼻で笑うとウドロークを目がかち合い、不機嫌そうな顔をしてプイッと顔を背けた。
「精霊神様。あまり私を怒らせない方が良い。貴女の態度次第では、女神様を召喚する際の生贄にするのをやめてあげても良いのだ」
「ふんっ」
アンジュは女神召喚の生贄にする為に捕らわれていたのだ。
ウドロークは未曾有の異変で万が一の事があった時の為に、女神の水浴び場の管理者であるアンジュを捕らえ、彼女を生贄にしようと考えていた。その万が一の事の一つは、聖女の加護を得られなかった場合である。
つまりミアに嫌われているとウルイから告げられた今、その万が一の事態に陥っていると言うわけだ。彼が女神の水浴び場に向かっているのは、女神を召喚して、女神の力で未曾有の異変を生き残る為なのである。そしてそれは首謀者であるラーンを信じておらず、いずれ敵対すると考えているからだった。
「くそっ。何が罰だ。全てラーンの仕業ではないか……いや。そもそもカトレアに出会いさえしなければこんな事にはならなかった。カトレアが……あの女がラーンを産んだせいだ。あの女のせいで私の人生は狂ったのだ」
ウドロークが足を止め、怒りで肩を震わせる。
「こんな事なら、カトレアの母親の居場所をあの男に、トズールに教えなければ良かったのだっ」
トズールはカトレアのフール子爵家の親戚だ。そして、カトレアの母ヒノの許に訪れて、彼女を刺した張本人である。あの事件があったからこそカトレアはウドロークと関係を持ち、フリールであるラーンが産まれた。
そう。あの事件はウドロークが裏で操っていた出来事だったのだ。当時カトレアとどうしても関係を持ちたかったウドロークは、問題を起こして没落した彼に目を付けた。トズールにヒノの居場所を教えて差し向け、彼が問題を起こした事をナイトスター公爵に情報が流れるように工作したのだ。だからこそ、あの時カトレアが絶望していたタイミングで偶然を装って会う事が出来た。ウドロークにはそうなるだろう事が分かっていたから。
そして、この事を知る者はウドローク本人とフカースと僅か数人の近衛騎士だけ。ヒノを刺したトズールは罪人として処刑され、この事実は闇に葬られていた。全てウドロークの計算通りに事が運んでいたわけだ。しかし、それがきっかけで出来た娘にこうして利用されているのだから、因果応報と言えるだろう。
「今に見ていろ。チェラズスフロウレスの愚王ウルイ。そして私を拒んだネモフィラと聖女ミア。女神の加護を授かった私にひれ伏そうとも、その時になってからはもう遅いのだと、ラーン諸共貴様等に思い知らせて後悔させてやる」
ウドロークは目つきを鋭くしたまま口角を上げて不気味な笑みを見せ、女神の水浴び場へと向かう。そして――
◇◇◇
「ちっ! 違うんだ! ラーン! 私は――っ」
「何が違うと言うの? 精霊王。貴方は実の娘である私をあの女を使って殺そうとした。だから、私も貴方を殺すの」
「た、頼む! お前だけは生かそうと思っていたんだ! 信じてくれ! 私と君は血の繋がった実の親子ではぁあああああっがががっっぁが……っ」
女神の水浴び場で女神を召喚する準備を進めていたウドロークは、その場に現れたラーンの手によって闇に呑み込まれ、全身の骨を折られて死亡する。彼の遺体は湖の中へと沈んでいき、その畔ではフカースや近衛騎士等の遺体が散らばっていた。
「未曾有の異変の礎になりなさい。ウドローク。……お母さん。ごめんね」
この場に誰もいなくなると、ラーンはそう呟いて、悲し気な顔を湖に映した。




