没落した貴族の軌跡(17)
「ウドローク様。今、何と仰いましたか?」
「十年近く前、君によく似た美しい女性を見た事がある。と言ったかな」
「…………」
「あ、ああ。すまない。他の女性の話をするべきでは無かったね。今のは私が悪かったよ」
ここは人気の無い少し暗がりの部屋。部屋の外にフカースや護衛を置き、今この場にいるのはラーンとウドロークだけ。そして、ウドロークの言葉はラーンに確信めいたものを与えた。
実はラーンが母カトレアから受け取った日記には、ウドロークとの一夜の恋が書かれていたのだが、そこには名前の記載が無かったのだ。ウドロークの事は“あのお方”としか書かれておらず、相手が誰だかは分からなかった。
ラーンはカトレアの日記を見てケレムが本当の父親では無い事を知り、自分が生まれる前のカトレアがケレムにどんな仕打ちを受けていたのかも知った。本当の父親が母の浮気相手なのだと知ったけど、それでカトレアを非難する事は無かった。毎日のように暴力を受け、居場所の無かった母が浮気したのは仕方が無かったのだろうと考えたからだ。そして、目の前にいるウドロークが、もしかしたら浮気相手なのかもしれないとラーンは思った。
「いいえ。詳しく教えて下さい」
「え? それは……いいや。分かった」
ウドロークは別の女の話をして失言してしまったと思ったけど、ラーンがあまりにも真剣な面持ちで尋ねるので少し驚いた。
当然の事ながらラーンはカトレアに似ていた。数年前に一度だけケレムがカトレアを追いかけてウドロークの許まで来た事もあった。おかげでウドロークにもラーンがカトレアの娘だろうと言う予想は立てれた。だから、いつもであればしない他の女の話をすると言うミスを、ラーンにしてしまったのである。そして、その予想が正解だったのだと驚きつつも確信した。
しかし、彼は気がついていない。彼女が自分の娘でもある事に。
「あれは、もう十年近く前の話だ。私がまだ即位する前に、カトレアと言う名の美しい女性に出会った」
「カトレア……お母さんだ」
「カトレアの娘であったか」
やはりそうか。そう思い乍らも、ウドロークは驚いた顔を見せる。すると、ラーンはとても嬉しそうな笑みを見せた。
「はい。カトレアは私のお母さんです」
「そうか。では、君のお母上の事をもっと話してあげよう」
「はい。はい。お願いします」
嬉しかった。今の生活を苦に思っているわけでは無いけど、母親の事を知る者は誰もいない。モークスに母との思い出を話すけど、誰かから母の事を聞く事は決してない。だから、ラーンは寂しかったのだ。
一方的に話すだけで、一緒に語らい合う相手がいない事が悲しかった。でも、ここにいたのだ。母親の事を知り、一緒に語らえる人が。だから、ラーンは嬉しくなって、ラーンを演じるのも忘れてフリールとしての笑顔を見せた。
その笑顔は本当に母親にそっくりで、ウドロークも驚き、カトレアと一緒に踊った事などを話した。
ラーンは話を聞いて自分の予想は間違っていなかったと、ウドロークが本当の父親だと確信する。でも、言いだせなかった。それを言ってしまえば、もう今の生活には戻れないと思ったからだ。
大好きなパパに拾われ、小言が煩い護衛のジャッカと一緒に過ごす日々は、何だかんだ言ってとても幸せだった。ラーンにとって今暮らしているあの家こそが、帰るべき場所、自分の居場所なのだ。ウドロークに自分が娘だと伝える行為は、それを全て終わらせる事になるかもしれない。そう思うと、本当の事を話す気にはなれなかった。
「お母さんの事を色々と教えてくれて、ありがとうございます。ウドローク様」
ラーンは感謝して礼を言い、親子だと言う事は心の中でしまっておく事にした。きっとウドロークも自分が娘などと今更言われても困るだろうし、それが一番良いと。
しかし……。
「構わないさ。カトレアに似て、とても美しいラーン。私は君がほしい」
「――っ!?」
ウドロークの瞳が怪し気な赤色の光を放ち、同時にラーンは腕を掴まれる。ラーンが驚いて目を見開くと、ウドロークは笑みを浮かべて顔を近づけ、ラーンの口に自分の口を重ねようとした。
「いやっ! 離して!」
ラーンがウドロークを拒絶して腕を振り払い、ウドロークが目を見開いて驚く。その顔は信じられないとでも言っているようで、自分を睨むラーンを見て困惑する。
「何故だ? 何故効かない? 私の能力は血縁者以外にはどんな相手でも虜にする力をもっているのだぞ……」
「能力……?」
「君の母、カトレアだってこの力で……っ! ま、まさか……っ!? 君は私の……っ」
「そんな……じゃあ、お母さんは……お母さんは貴方に騙されてたの?」
ラーンの中から怒りが込み上げていく。
カトレアの日記に書かれていたのは、夫がいる身でありながら別の人を愛してしまった罪と後悔。一夜限りの関係で子供を作ってしまって、そのせいで子供を不幸にしてしまったと自分の愚かさを嘆いていた。それでも優しくしてくれたその相手には迷惑がかけられないと、この事は絶対に黙っていると誓う事も書かれていた。
そして、自分の子供であるフリールに、日記の中で何度も謝罪していた。そのせいで貴女の命が狙われてしまうと。不幸にしてしまってごめんなさいと。
そのどれもが、この男ウドロークの能力によるまやかしから生まれたものだったのだ。この男が力を使わなければ、母親があんな風に死ぬ事も無かった。
「違う! 私は確かに愛していた! だからこそ使ったんだ! カトレアに振り向いてもらう為に! それなのにカトレアは、あの女は私を選ばな――」
「あの女? ですって!? ふざけないで! お母さんは! お母さんは貴方の事を愛していたと思わされたんだ! 私は貴方を絶対に許さない!!」




