没落した貴族の軌跡(8)
「パパ。ママ。見て? ねこちゃんがいる。ほらあ。可愛いよ」
「ははは。本当だ。可愛いね。フリール。でも、フリールの方がもっと可愛いよ」
「ふふふ。ケレムったら。でも、ママもフリールが世界で一番可愛いと思っているわ」
なんて事の無い仲の良い親子の会話。そんな普通で幸せな生活の中、カトレアは幸せを感じていた。
フリールが生まれてからと言うもの、ケレムは別人になった。カトレアに暴力を振らないようになり、カトレアをイジメる侍女たちを見つければ注意して罰し、酷いようなら解雇した。子が出来ると人はこれ程に変わるのかと驚く程の変わりようだったけれど、おかげでカトレアの笑顔も増えていった。
でも、幸せは続かない。今までの事が嘘のような幸せな日々が続き、フリールが五歳になってお披露目会を迎え終えたある日の事だ。
騎士王国スピリットナイトでは男も女も関係無く、お披露目会が終わると騎士としての稽古が始まる。フリールも例外では無く、師範を呼んで稽古をするようになった。この日も日課となった稽古場にフリールを送り出した後に、カトレアは耳を疑うような報を側近の侍女から聞く事になる。
「ケレムが愛人との間に出来た子を……殺した?」
「はい。旦那様は奥様に隠れて外で愛人を作り、子を孕ませたのです。そして、その子供を産まれる前に愛人と一緒に殺してしまいました」
「そんな……嘘…………嘘よね?」
「私も最初は耳を疑いました。しかし、本当の事です。旦那様の愛人が子を世間に発表して、自分こそが正妻だと名乗り出ようと計画していた様です。旦那様は世間体を誰よりも気に為さる方なので、恐らくそれを知ったのが原因と思われます」
「…………」
「旦那様は愛人を殺した事を……いえ。愛人がいた事すら揉み消すでしょう。この事は世間に発表されません。本当は奥様には黙っているべきだとも思いましたが、知らせないといけない様な気がして、余計な事かもしれませんがお伝えさせて頂きました。申し訳ございません」
「い、いいのよ。ありが……とう…………」
信じられなかった。でも、信じるしかない。教えてくれた側近の侍女は信頼出来る相手だ。
彼女の名前はカレハ=ヨードリーフ。十六歳の成人したばかりの女性で、魔族と龍族のハーフだ。彼女もカトレアと同じ食恵の国で生まれていて、お披露目会の前に騎士王国に引っ越してきた経緯がある同郷の仲だ。
彼女は天翼学園に通っていた経験はあるけど、卒業はせずに中退した身であるが、それはここで仕える事にしたからだ。と言うのも、ナイトスター公爵であるケレムは外面が本当に良く、彼の下で働きたいと思う者は少なくない。憧れを抱く者も多く、彼の本当の顔を知らない多くの者が彼の下で働くのは光栄な事だと思っている。カレハもその内の一人だったのだ。
天翼学園に入学して直ぐの頃にフリールの面倒見役の求人を見て、学園に通ってる場合じゃないと応募した。何ともまあ行動力溢れる少女だった彼女は、その若さと学園に通える強さ等をアピール材料にして、フリールの面倒見役の座を見事に勝ち取った。
そんな彼女だから、昔のケレムとカトレアの関係を知らない。それでもケレムの屋敷内での態度やカトレアを見ていて、だいたいの事は察していた。今はフリールの面倒見役兼カトレアの側近をしていて、同じ食恵の国生まれなのもあって話が合い、カトレアにとって一番信頼出来る者である。
そんな彼女が仕入れた情報だ。疑う余地など無かった。
「奥様やお嬢様には何も無いとは思いますが、念の為に気をつけて下さい。それから他言無用でお願いします。この情報を提供してくれた者の為にも」
「え、ええ。分かったわ。ありがとう。カレハ」
カトレアは返事をするも、とても嫌な予感を感じていた。
“この情報を提供してくれた者の為にも”
つまり、ケレムに知られればただでは済まない。それ程の事件と思うと、カトレアの嫌な予感はどんどんと増していく。もしかしたらフリールが生まれる前の生活に戻るかもしれない。いいや。戻るだけならまだ良い。もっと恐ろしい事態になってしまったらと、恐怖した。
「奥様……? 大丈夫ですか?」
「え? え、ええ。大丈夫。大丈夫よ。ええ。大丈夫……」
震えが止まらなかった。足が竦み、崩れるように腰を落として立ち上がれない。
そんなカトレアに侍女は何も聞かず、カトレアを休ませようと介抱し乍ら寝室に運び、彼女を寝かせた。しかし、侍女は後悔する事になる。あの時ちゃんと話を聞いてあげるべきだったと。いいや。そもそも、あの話をするべきでは無かったのだと。
誰もが寝静まったこの日の夜。カトレアはフリールを連れて屋敷を出て逃げ出した。
フリールは、ウドロークとの間に産まれた子供だったから…………。




