没落した貴族の軌跡(5)
「ふっ。残念だったな」
「え……?」
それはある日突然訪れた。鼻で笑い、残念だったなと告げられて渡された一枚の紙。そこに書かれていた文字を見て、カトレアは目を見開いて体を震わせた。
「うそっ。そんな……お母様が……っお母様が死んだなんて!」
紙に書かれていたのは、カトレアの母ヒノが死去したとの知らせだった。
原因は殺人。カトレアがケレムの許に嫁いでから裕福な暮らしが出来るようになったヒノだったけれど、いつ何が起きるか分からないからと贅沢な暮らしはしていなかった。だから、特に目立つような買い物だってしていなかったし、侍女や警備だって雇わなかった。でも、それが良くなかった。
覚えているだろうか? カトレアの父親が不慮の事故で亡くなった後に、そこに付け込んで財産を奪っていったジントン侯爵の嫡男トズール=ジントンの事を。ジントンはカトレアがケレムと結婚した後に跡を継いで侯爵となったのだが、彼に公務の才能は無かった。いや。無いだけならまだしも、ジントンはそれだけでなく、有能な人材を使い潰すような男だったのだ。
おかげで有能な者が次々と過労の病に倒れて仕事が出来なくなり、あろう事かトズールは仕事が出来ないならクビだと言って解雇していった。気が付けば仕事の出来ない者だけが残り、王族が関わる取り返しの出来ない大失敗を犯して関係者の死刑が決まる。
トズールは直接関わっていなかった為に何とか言い逃れに成功して命だけは助かったが、爵位は当然剥奪されて平民なった。そして、彼はカトレアの母ヒノに図々しくも助けを乞いに行った。
ヒノはとても優しい女性だ。トズールに同情して今までの事を水に流し、彼を受け入れて助けてあげようとした。しかし、それはトズールが彼女を騙す為の一芝居に騙されてのものだった。トズールはカトレアからヒノの許に送られる金が目当てだったのだ。
カトレアのおかげで裕福なはずのヒノが平民と同じ生活をしている事に疑問を思ったトズールは、彼女を騙してお金を奪い取ろうとした。そして、その時に口論になり、頭に血が登ったトズールがヒノを刃物で刺したのだ。
「ケレム様! これはどう言う事ですか!? 何故お母様が!」
その紙には詳細は書かれてない。ただ、没落したトズール=ジントンがカトレアの母であるヒノ=フールを殺害して逃亡中だとしか書かれていない。こんなものを渡されても、カトレアは信じられなかった。でも、もしこれが本当だったらと思うと涙が止まらなかった。
大粒の涙を流し乍ら受け取った紙をくしゃくしゃに握りしめて、ケレムに訴えた。しかし、ケレムは面倒臭そうに、そしてゴミでも見るかのような視線をカトレアに向ける。
「一々騒ぐな。書いてある通りだ。貴様の母親を殺したのは貴様の親戚トズール=ジントンだ。やはり愚図の血縁者は全員愚図だったと言う事だけだろう」
「そんな…………何で……お母様あああああああっっ」
泣き叫ぶカトレアを鬱陶しそうに見て、ケレムはこの場を去って行った。取り残されたカトレアは蹲って泣き続ける事しか出来ず、それを見て侍女たちがクスクスと笑みを浮かべ合う。
「嘘よ! 嘘よ! 嘘よ! お母様ああっ! お母様あああああああ!」
ここは地獄だ。母を亡くしたカトレアを嘲笑う侍女たちを咎める者は誰もいない。妻が大切な人を亡くして悲しんでいるのに、それを鬱陶しいとしか思わない夫。誰も彼女に手を差し伸べない。誰も彼女の悲しみを分かってあげようとも思わない。ここにカトレアの居場所なんて無かった。
そんな事もうずっと前から分かっている筈なのに、カトレアはこの時になって初めて実感した。今までは母親が良い生活を送れるようにと耐えて頑張れてこれたからだ。でも、その母親はもういない。カトレアの生きる意味は、この時完全に失われたのだ。
「死のう……」
泣き続けてどれ位の時間が経っただろうか。陽が落ちかけて、周囲には既に侍女たちの姿も無い。カトレアは泣き腫らした顔を上げて、掠れた声で呟いた。




