没落した貴族の軌跡(4)
綺麗な衣装を身に着け、カトレアはケレムと同じ馬車に乗って社交界の会場へと向かっていた。しかし、決して楽し気な空気が流れているわけでは無い。
カトレアの体は痣だらけで、それを衣装で隠して誤魔化しているだけ。痣は馬車が揺れる度に痛みを与え、それでもカトレアは声を漏らさずただ黙っていた。そして、そんなカトレアの前ではケレムが侍女を隣に座らせて体を触っている。
そんなとても居心地の悪い雰囲気の中カトレアが黙って座っていると、ケレムが口を開いた。
「カトレア。今日は他国の王族が集まる大事な社交場だ。貴様の美貌は奴等を惑わす鍵となる。それを忘れるなよ」
「はい」
「ふん。つまらん返事だ。もう少しやる気を出す事は出来ないのか?」
「申し訳ございません」
「ちっ。まあ良い。愚図で外見だけしか取り柄の無い貴様の使いどころだ。精霊王国のウドローク殿下が来るらしい。殿下はとても人気の高い王太子だ。彼の後ろ盾があれば必ず俺様の役に立つだろう。貴様にはその手伝いをさせてやる」
「…………」
「話によると殿下はまだ女を知らないらしい。だから見た目だけは良い貴様が誘惑してやれば、こちらの手の平の中も同然に動かせると言うわけだ。但し、決して気を許すなよ? 貴様は仮にも俺様の妻だ。例え王太子と言えど、他国の男と一夜を過ごしたなどと噂にでもなってみろ。俺様が今まで築き上げてきた信頼が崩れてしまうかもしれない。同情されるのもごめんだ。俺様は常に羨望の眼差しを受けるに値する男だからな。貴様はただ笑って殿下を夢中にさせてやれば良い。その事を忘れるな」
「……はい」
話はもう終わったとケレムは侍女の体を再びいやらしい手つきで触り出す。カトレアはそれを視界に入れないように、窓の外をただジッと黙って眺めた。
「見つけた。ウドローク殿下だ。カトレア。分かっているな?」
「はい」
社交界の会場に辿り着くと、早速ウドロークに会う機会が訪れる。
この頃はまだ王太子だったウドロークは、少し幼さの残る美少年だった。と言っても、彼はエルフの血が流れているので、見た目ほど若くは無いかもしれない。少なくとも見た目で判断はしない方が良いと、カトレアは彼と挨拶を交わし乍ら思い、ケレムに命令された通りに笑顔を振り撒いた。その甲斐あってかダンスの相手に誘われ、ケレムもそれを光栄な事だと笑みを浮かべて、カトレアをウドロークに預けた。
そして、それはカトレアにとって運命の分岐点とも呼べるものとなった。
「君は本当に美しい女性だ。ナイトスター公爵が羨ましいな。出来れば君とはもっと早く、ナイトスター公爵と君が出会う前に会いたかった」
「ウドローク殿下……そんな、いけませんわ。私は貴方様が思っているような女ではございません」
「そんな事は無い。私は君に――」
ウドロークが何かを伝えようとした時、まるでそれをさせまいとしているかのように曲が終わる。曲が終わればダンスも終わりだ。ウドロークはカトレアにその続きを伝える事はせず、とても価値のある楽しい時間を過ごせたと去って行った。カトレアは去り行く彼の背中を残念そうに見つめた。
「よくやった。貴様のような愚図でも、やはり社交界の場では役に立つな。ウドローク殿下は貴様に良き印象を抱いていた。あの調子なら、上手くいけばお前を通じて私の手駒に出来るかもしれない」
「…………」
社交界からの帰り道。来た時と同じように馬車に揺られ、機嫌の良いケレムの話を聞き乍ら、カトレアは黙って窓の外を眺めていた。
ケレムは機嫌が良くても相変わらず隣に座らせた侍女をいやらしい手つきで触っているけれど、今のカトレアはそれが視界に入っても社交界に向かう前程の不快感は持たなかった。それよりも、不思議な事に一緒にダンスを踊ったウドロークの事を考えてしまう。
カトレアはケレムの付き添いで今まで何度も社交界などに参加はしているけれど、あんな風に会話したり踊ったりする事が無かった。あったとしても、周囲からは名家のナイトスター公爵家に嫁げて羨ましいだの、ケレムは素晴らしいお方だのの話ばかりをされていた。カトレア自身に興味を持つ者は誰もおらず、カトレアはただ流されるように頷くだけだ。
でも、今日の社交界は違う。ウドロークはカトレアの目を見て、カトレア自身の話をしてくれた。優しく接してくれて、それが堪らなく嬉しかったから彼の事を考えてしまうのだと、カトレアはぼんやりと外の景色を眺めながら感じていた。




