没落した貴族の軌跡(3)
騎士王国スピリットナイト。騎士道精神を重んじる騎士たちが憧れる騎士の為の国。この国に生まれた者は騎士として生き、騎士として死んでいく。昔、聖女の伝説に憧れた若者が王になり、いずれは聖女の騎士として仕える事を夢見て築いた国。それが騎士王国スピリットナイトである。と言っても、今はもうその面影はない。時代と共に目的は忘れ去られ、騎士として高みを目指す者が憧れる国へと変わっていた。
この国の中でも有名なのが、ナイトスター公爵家である。ナイトスター公爵家が有名な名家になってからは、まだそれ程の年月は経っていない。けれど、現ナイトスター公爵であるケレムの祖母が無敗の騎士姫と呼ばれる程に有名な王族と言う影響もあり、今この国でナイトスター公爵を知らない者はいない程に有名だ。
そんな彼の許へ嫁いで来たカトレアに待っていたのは、幸せな日々では無かった。
「おい! いつまで時間をかけるつもりだ! この愚図が! 貴様はこの俺様に嫁いだという自覚が足りないのか! カトレア!」
「も、申し訳ございません。掃除をする為に必要な箒が折れてしまってい――」
「口答えするな!」
「――っきゃあ!」
ケレムに肩を殴られ、カトレアが後ろに倒れる。それをクスクスと笑みを浮かべて侍女たちが遠目から眺めていた。誰も助けようとはしない。気の毒と思う者も誰一人としていない。カトレアはナイトスター公爵家に嫁いで来てからと言うもの、ケレムだけでなく侍女たちからも酷いイジメにあっていた。
いいや。イジメなんてものでは無い。最早これは犯罪と言えるものだろう。
最悪な事に、ケレムは外面の良いだけの男だったのだ。カトレアはその外面に騙され、結婚してしまったのだ。
「掃除もろくに出来ない役立たずの女。本当に貴様は容姿だけの女だな。俺様の寝室の掃除を任せてやっていると言うのに、そんな事も出来ないとはな」
「申し訳ございません……」
「最近は貴様を抱くのにも飽きた。怒り過ぎて体が傷だらけだから興醒めするのも原因だ。それもこれも全て貴様が愚図のせいだ。社交界では華として飾れるから俺様の隣を歩く事を許してやっている事を忘れるなよ?」
「はい。光栄に思っております……」
「分かれば良い。この俺様に嫁がせてやったのだ。感謝しろ。騎士でも無い貴様に出来るのは部屋の掃除と社交界の飾りになる事だけだ。今日の社交界でも使ってやるから感謝しろ」
「はい。ありがとうございます……」
カトレアの目は希望を無くした者がする目をしていた。
故郷である食恵の国から遠く離れた地では誰も助けてくれない。大好きな母もここにはいない。侍女たちはケレムの妻と言う立場に嫉妬して、カトレアに嫌がらせをしている。だから、彼女たちに相談なんて出来る筈も無い。それどころか、ケレムの怒りを買う原因になった箒の破損も彼女たちの嫌がらせだった。
カトレアはケレムに嫁いでから直ぐ、このような暮らしを強要させられる事になった。最初は暇を持て余す自分への配慮だろうと思い、喜んでケレムの寝室を掃除したけれど、そうでは無かった。埃が残っていると髪を引っ張られ、ベッドのシーツが数ミリ曲がっているだけで背中を蹴られた。カトレアの幸せに彩られる筈だった新婚生活は、背中に痣を残す程の暴力から始まったのだ。
そして、その暴力は必ず衣装で隠れる所が狙われる。社交界に連れて行っても周囲から気付かれないように、ケレムが狙って暴力を振るっているのだ。誰かに助けを求めたくても、必ずケレムや侍女や執事の邪魔が入る。
それに、彼女は気付いてしまった。もしこれが公になれば、大好きな母親を心配させるだけでなく、また没落の人生を歩ませてしまうと。だから、誰にも相談出来なくなってしまう。
それからは助けを求める事を諦めて、カトレアはその苦しみに慣れてしまった。カトレアの目からは、もう涙は枯れてしまって流れない。虚ろな目で言われた通りに日々を過ごし、夜の相手をするだけ。それで母親が幸せに暮らせるのなら、それで良いと思っていた。
でも、それも最近は減っていた。運が良いのか悪いのか、ケレムとの間には子供が出来なかったのも原因にあった。いつからかケレムは外で愛人を作り、帰って来ない寝室を掃除させられる日々が始まった。
カトレアの生きる意味は、遠い地にいる母親が見せてくれていた笑顔の為だけになっていた。




