没落した貴族の軌跡(1)
食が盛んな国で有名な食恵の国オールクロップ。飢えに苦しむ民が一人もいない事でも有名で、職は無くとも食うには困らない夢のような国だとも言われている。
さて、そんなこの国に、没落したての貴族のお嬢様が住んでいた。
「カトレア。貴女は見た目が美しいのだから、それを活かさない手は無いわ。必ず今日の舞踏会で最低でも侯爵以上の相手を見つけて婚約者になるのよ。それが幸せへの第一歩なのだから」
「はい。お母様」
お嬢様の名前はカトレア=フール。没落したフール子爵家の娘である。
娘と言っても歳は十八で数年前には成人済みで、結婚を約束した相手もいたお嬢様だ。と言っても、没落した直後に婚約を破棄されてしまっていて、だから“いる”ではなく“いた”なのだけれども……。おかげで自分に自信が無く、返事をするも何処か不安げだ。
しかし、彼女本人は気が付いていないけれど、自信を持っていい程の美貌を兼ね備えている。少なくともカトレアの母が親馬鹿だから美しいと言っているわけでは無い。カトレアは“立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花”と言う言葉がとてもよく似合う女性だ。彼女の母親は元々春の国チェラズスフロウレス出身で、この食恵の国オールクロップに嫁いで来た令嬢だった為に花の名前を娘のカトレアに与えたが、そのカトレアと言う名に相応しい美しさを兼ね備えているのである。
「ほら。俯いているわよ。顔は常に前を向けて口角をあげなさい。貴女なら出来る。期待しているわよ」
「頑張ります……」
と言い乍らも、自信無さ気な笑みのカトレア。そんなカトレアに母親は苦笑していると、何者かが近づく気配を感じて視線を向ける。すると、そこに立っていたのはよく知る人物たちだった。
「あら? 誰かと思ったらトズール様。今日は何の御用でいらっしゃったの? 今からカトレアが舞踏会に出るので、忙しいのですのよ?」
「ははは。これはこれは相変わらずですねえ。ヒノ様」
そう言って笑みを見せたのは、トズール=ジントンと言う名の男。ジントン侯爵家の嫡男で、カトレアや母ヒノのフール家の親戚である。
トズールは何人かの侍女と執事を一人連れて現れ笑みを見せると、カトレアを舐めるように見て微笑んだ。
「カトレアは今日も美しいね。この姿を見れば、君の亡くなった父上も喜ばれるに違いない」
亡くなった父上とトズールが告げた瞬間、カトレアとヒノの顔が曇る。
カトレアの父でありヒノの夫だったフール子爵と言う男は、数年前に亡くなっていたのだ。それは不慮の事故で、本当に突然の出来事だった。だから、仕事の引継ぎ等が上手く回らず、このトズールと言う男の父であるジントン侯爵が親戚の立場を利用して乗っ取り、殆どが奪われてしまったのだ。
ヒノがトズールに冷たい態度を取るのもそれが理由で、カトレアだって彼を見ていい気分にはなれなかった。だと言うのに、そんな彼女たちの気持ちも考えず、トズールは笑みを浮かべて言葉を続ける。
「どうだろうか? 以前も話していた通り、私の妾になる気は無いか? 今よりも良い暮らしをさせてあげると保証しよう」
「はあ。トズール様。それは以前にもお断りした筈です。何度申し上げればご理解頂けるのでしょうか?」
ため息を吐き出し目を吊り上げて答えたヒノだけど、それは当然と言えば当然の反応。正妻では無く妾。つまりは都合が良いだけの愛人だ。馬鹿にしているのかと言い出したくなる。
ヒノは彼にだけは娘を渡してなるものかと、感情を出来るだけ押し殺して冷静に答えた。でも、当の本人のカトレアは何も言えずに俯いてしまう。
そしてトズールは諦めるつもりが無いらしい。不敵な笑みを見せて、俯くカトレアをジッと見つめた。
「ヒノ様。生憎私は諦めの悪い人間でね。それに、今はカトレアと話しをしているんだ。母親と言えど部外者は黙っていてほしい」
「まあ。なんて失礼な事を仰るのかしら。カトレア。こんな男の言葉を聞いてはいけません。主人が亡くなってから少し調子に乗り過ぎているのよ」
「は、はい……。トズール様。申し訳ございませんが、今日もお引き取り下さいませ」
「やれやれ。今度はヒノ様がいない時に来るとしよう。残念ながら私は舞踏会には呼ばれていないしね。今日の所はきっぱり諦めて帰るとしよう」
「もう二度と来なくて結構です」
笑みを見せて去って行くトズールをヒノが追い払うように手で払う。カトレアはその様子を見つめ乍ら、ホッと胸を撫で下ろした。
これは、それ程遠くない過去のお話。食恵の国オールクロップで没落した貴族の軌跡である。
今回から暫らく過去のお話が続きます。
本編再開は当分先になりますがよろしくお願いします。




