旅商人の影
宴の翌日になり、朝食を済ませて旅立ちの準備を始めた頃。ミアたちの泊まっている旅館に、侍王テンシュが将軍エンゴウを連れてやって来た。旅立つ前の挨拶をしに行く予定だったので、態々来てもらわなくてもと思ったミアだったけど、二人が来たのは挨拶が理由では無かった。
「旅の商人……ヘルスターですか?」
「ああ。昨日薬を配らせていた時に、数か月前から伝染病の原因を調べさせていた御庭番が漸く情報を持って来たのだ」
テンシュがここに来たのは、御庭番に調べさせていた伝染病の原因の情報を漸く得て、それをネモフィラに伝える為。そしてそれは、チェラズスフロウレスにとっては無視出来ない内容のものだった。何故なら、チェラズスフロウレスで一時期謎とされていた旅商人が、この国でも表れたからだ。
旅商人の正体はアンスリウム派に所属するヘルスター。天翼会に引き渡して刑を受けた筈の男だ。その男の目撃情報とあらば、無視出来るわけがない。そしてその旅の商人が都に現れた時に売り歩いていたのは、魔装ではなく化粧水だった。
化粧水を一人の貴婦人に売り、その貴婦人こそが、最初に病を発症させた者だったのだ。しかし、タイミングが悪い事に、その貴婦人は発症前に旅行に出かけて帰って来た所だった。その為に貴婦人は旅先で病原菌を持って帰って来てしまったと勘違いして、自分が被害者側ではなく加害者側になるのではと恐れて、恐怖で誰にも言えなかった。そして、病で痩せ細る自分の体を着物を着こんで隠し乍ら生活して、普段通りを装った結果この病が広がってしまった。この情報は目撃者も被害者となって病気に侵されていて身動きが取れず、薬で元気になったからこそ漸く話す事が出来たものだった。
「その旅の商人は本当にヘルスターだったのでしょうか?」
「分からん。しかし、商人を目撃した者は以前ヘルスターを見た事がある者だ。間違いはない」
「目撃したと仰った方は、ヘルスターを見た事があるのですか?」
「ああ。彼女は天翼学園の生徒で、チェラズスフロウレス寮主催の夜会に招かれた時に見たようだ。その時ヘルスターが給仕をしていて、学園で初めて見る顔だったのに、ディアボルスパラダイス寮のフラウロスと随分仲良く話しているのが印象的で覚えていたようだ」
「フラウロス……とは、誰なのでしょうか?」
「そうか。王女は知らないのだな。フラウロスはディアボルスパラダイス寮の教師だ。あまりいい噂を聞かない……な」
「……?」
いい噂を聞かないと聞いてネモフィラが首を傾げると、テンシュが失笑して言葉を続ける。
「彼女は生徒に……アンスリウムに肩入れしている傾向があると噂されているのだ。アンスリウムが捕まった今、彼女が何かやらかさなければいいが」
「それって……」
ネモフィラは嫌な予感がしてミアに視線を移し、目がかち合う。ミアも同じように感じていて、ジャスミンが逃してしまった密輸犯を思い出した。
「話が逸れたが、旅商人が本当にヘルスターであるなら、この先は気を付けた方がいいだろう。目撃した時期を考えると、目撃はヘルスターが捕まったとされる後の事だ。魔人の国を目指すと言うのなら、まさかとは思うが奴が本当に天翼学園から脱走していて、其方等の前に現れるかもしれん」
「はい。ご忠告ありがとう存じます。知らせて頂いた事を感謝致します」
「礼は良い。この程度の事では、其方等から受けた恩を返しきれないからな」
「そんな事はございません」
「うむ。知っているのと知らないのでは、これから先の心構えも全然変わってくるからのう。本当に助かるのじゃ」
「そうか。ならば良かった」
テンシュは微笑み、ミアとネモフィラの頭を同時にクシャクシャと撫でた。
「息災でな。王女と近衛騎士よ」
「はい。侍王様もお元気で」
「お主も家臣に迷惑をかけないで体を大事にするのじゃぞ」
「ハッハッハッハッハッ! 努力しよう」
ミアとネモフィラの頭をクシャクシャにすると、テンシュはエンゴウと共に城に帰って行った。二人を見送ると、ミアたちも馬車に乗って出発だ。
「次の目的地は何処かのう? ルニィさん」
「ここからですと、魔宝帝国マジックジュエリーを通るのが近道になりますね」
「ほお。魔宝帝国なのじゃ? クリマーテさんがいたら喜びそうじゃのう。どの位で入国できるのじゃ?」
「そうですね。だいたい二ヶ月かからない程度でしょうか」
「な、長旅になるのう」
(つまり一ヶ月はかかるのじゃ……)
陸地から魔人の国に向かうのは、想像以上に長かった。




