社交界に行こう
※第三章開幕です。
天翼学園には季節ごとの行事や学生たちが独自で開く社交界などがあり、日本で言う所の七月にあたる辰の月では、社交界が集中的に開かれていた。社交界への参加は、聖女である事を隠し【引きこもり計画】などと言う残念な目標を持つ五歳児公爵も例外ではない。この日ついに社交界デビューをする事になったのだ。
「ぬぬう。憂鬱なのじゃ」
窓辺に座り、外を眺める金髪碧眼の美少女。長いまつ毛を持つその瞳に映るのは、空を舞う小鳥たち。憂いのある横顔は悲愴的で、まるで幸薄な少女のような儚さがある。窓から入り込む初夏を思わせる生温い風が腰まで届く長く綺麗な髪を揺らし、少女は短い眉毛の眉尻を存分に下がらせた。少女の名前はミア=スカーレット=シダレ。この物語の主人公にしてTS転生者の聖女である。
ミアは外の景色を眺め乍ら紅茶を一口すると、ため息を一つ零した。
「そんなに嫌なら断ってきましょうか?」
そう言って笑顔を見せたのはミアの侍従のクリマーテだ。だけど、ミアの侍従長であるルニィが鋭く睨み、クリマーテは「冗談です」と顔を真っ青にさせた。
「ミアお嬢様。差し出がましい事を申し上げますが、今回の社交界は大変意味のある大事なものです。それから、ネモフィラ様のエスコートをすると自分から告げたのですから、しっかりと責任を持って実行してください」
「それは分かっておる。ワシだってサボるつもりは無いのじゃ。しかしのう……」
「何か問題でもあるのですか?」
ルニィの質問に、ミアはご立派なモフモフ犬耳尻尾を持つ護衛のヒルグラッセに視線を向けて答える。
「何故グラッセさんは男物の服なのに、ワシはドレスを着なければならぬのじゃ?」
そう。ミアが憂鬱な理由。それは、ドレスを着たくないからと言う本当にしょうもない理由だった。はい。解散。と言うわけにもいかないので、一先ずミアの言い分を聞いてみよう。
「ワシはフィーラをエスコートするんじゃし、男装をしても良いと思うのじゃ。溢れ出る漢前オーラを醸し出したいのじゃ」
「言っている意味が本当に理解出来ませんが、エスコートするのだから男物の衣装を着たいと言う事は分かりました」
「おお! では、早速着替えるのじゃ!」
「却下です」
「なんでじゃ!?」
そりゃそうだろう。と言う感じだが、ミアは納得出来ずにいる。そして、再びヒルグラッセに視線を向けると、ヒルグラッセがミアの熱い眼差しに耐えれなくなって口を開いた。
「ミア様。私は普段はメイド服を身に包んでいますが、ミア様の護衛騎士として流石にドレスは動き辛いので着れません。かと言って、社交界でメイド服を着ていれば、護衛では無く会場の使用人と勘違いされてしまいます。ですから、ルニィやクリマーテと違い、この様に動きやすい男性物の衣装に着替える必要があるのです」
「ぐぬぬう。なんて羨ましい立派な理由なのじゃ。こうなったらワシもフィーラの護衛として参加するしかないのじゃ」
「駄目です。そもそも、ミアお嬢様はアウトゥムヌスにご招待されて行くのです。護衛として行けば相手方に失礼でしょう」
「ぬぬう。ルニィさんの正論パンチはワシの精神を抉る切れ味なのじゃ」
「意味の分からない事を言っていないで、そろそろ準備をしますよ」
「……分かったのじゃ」
頷いて諦めたミアの顔はしょんぼりとしていたが、これは仕方がない事。ルニィとクリマーテは心を鬼にして、ミアの体を清めたり衣装替えなどをして社交界に備えていった。そうして準備が整うと、いよいよ社交界へ出発だ。
綺麗なドレスで身を包み、頭にはうさぎなヘアピンの髪飾りでよく似合う。中身が前世八十まで生きたお爺ちゃんとは思えない程に可愛らしくなったミアは、まずはネモフィラのエスコートをする為に侍従たちを連れて部屋を出た。そうしてネモフィラを迎えに行くその道すがら、クリマーテがうさぎの装飾がされたヘアピンを興味津々に見つめた。
「ミミミちゃんの髪飾りがとっても可愛いですね。ドレスにも合っていますし、ミアお嬢様の可愛らしさを引き立たせています」
「そう言われると照れるのう」
「うふふ。でも、本当の事です。ジェンティーレ先生には感謝しないとですね」
「うむ。いつもはちっともワシの言う事を聞いてくれぬが、今回は良い仕事をしてくれたのじゃ」
と言うのも、このうさぎの装飾がされたヘアピンは、実はミアの魔装なのである。その証拠と言うわけでは無いが、うさぎの耳はしっかりと羽の形をしている。
強制脱衣事件と呼ばれる事になったあの事件がきっかけで、ジェンティーレが魔石を使った装飾品の会話を元に考えてミミミを改良し、この“髪留めモード”への変形を可能とさせたのだ。
髪留めモードでは、狙った対象のデータを分析して直接脳に結果を伝える力があり、髪飾りとしてこうして常に表に出しておける便利さがあった。しかし、何でもかんでも分析できるわけではない。当然の事だが、分析可能なのはジェンティーレの知識の内のものだけで、知識の外にあるものは不可能なのだ。但し、逆に言ってしまえば、学園に登録済みの魔装であれば全てを把握できると言う優れもの。チートアイテムと言っても過言ではなかった。
「頭につけてしまえばミミミの可愛さを堪能できぬと最初はショックを受けたのじゃが、こうして実際に使ってみると気分が高揚するのじゃ」
そう言って、ミアは足取り軽くルンルン気分で笑顔を振りまいた。そのおかげもあってネモフィラの部屋に辿り着く頃には、ミアを見た寮内の生徒を“社交界を楽しみにしているニッコニコな女の子”と思わせて、ほんわかした気持ちにさせていた。
これがきっかけでミアのファンが何人か増えてしまったのだが、ミアは知る由もないだろう。ミアの【引きこもり計画】は今日も元気に遠のいていく。




