穏やかな日常と、不穏な夜 ②
日々は、穏やかに過ぎていた。
・・・少なくとも、その夜までは。
昼間は自警団の仕事をしながら襲撃者を根絶やしにするための狩りを行い、その合間にグレインの忠告に従って妻と食事を共にするために帰宅する。そして、極力妻を外に出さないようにしながら妻が眠るまで同じ寝台で休み、深夜にまた狩りに出るという生活がひと月ほど続いていた。
毎日念を押しているせいか、妻も決して一人で外出せず、同じ寝床で眠ることにもなんとか慣れてきてくれている。
なるべく退屈させないように、リーイスの妻から贈られた手芸用品一式や本などを渡してあるとは言え、ずいぶん不自由をさせてしまっているはずだが、妻は文句も言わず、小物を作ったり、紙と布で花を作って飾ったりと、家の中で何かしら楽しみを見つけて日々を過ごしていた。
ただ盲目的に従うというわけではない。
納得がいかないことがあれば理由を尋ねて来るし、こちらに非があるときはそれを指摘し、正してくることもある。
妻から初めて買い物を頼まれた時。
どの程度の量が必要なのか分からず、足りないよりは、とあるだけ購入して帰ると、出迎えた妻は次々と出てくる荷物にこぼれ落ちそうな程目を見張り、悲鳴をあげた。
それからなぜか涙目になった妻から必死な様子で一日に必要な二人分の食料がどの程度の量で、一つ一つの食品がどのくらい日持ちするものなのかを切々と語られ、無駄になってしまう分を即刻返却して来るように、と諭されたことがある。
確かにこれは、失敗だった。
相手がヴォルフならまだしも、少食な妻と二人分であの量の食料は、いくらなんでも買い過ぎた。
初めて妻からの頼まれ事で、少し浮かれてしまっていたのかもしれない。
それからは買い物を頼まれる時には、品名や量だけでなく購入優先順位、それぞれの食品や商品の特徴を捉えた絵などが細かく書かれた覚書が渡されるようになった。
覚書には時々、ねぎらいの言葉や買い物とは関係のない絵が書かれてあることもあり、なんとなく捨てずに全てとっておいてある。
だが、そこに書かれているのは、食料や日用品など二人の生活に必要なものばかりで、妻自身の個人的な買い物はない。
初めは遠慮しているのだろうか、と思ったが、やはり、他人に頼むには抵抗があるものもあるのだろう。
妻はしきりに自分で買い物に行きたいと訴えていたが、襲撃やグレインの忠告を考えるとなかなか頷けなかった。
・・・そう言う意味では、シディアが月に一度開催するという茶会を兼ねた勉強会は、妻を外出させる良いきっかけになるだろう、とは思う。
もともと指定されていた期日が近づくとシディアは俺とグレインをわざわざ呼び出し、勉強会の意義を一から詳しく説明した。そして、くれぐれも妻たちの出席を邪魔しないように、と念を押されている。
勉強会では、こちらの一般常識を学ばせるだけでなく、訪れし者たちが身体的、精神的にどの程度こちらに適応できているかをシディアが探るのだという。
訪れし者同士が交流することで、言葉を教え合いながら近況を語り合い、精神的な安定を図る狙いもある。
だが、時には故郷を思いだし、塞ぎ込むようになってしまう者もいるという。
やっと生活に慣れてきたばかりの妻を参加させることに抵抗はあったが、妻自身は月に一度のこの茶会をひどく楽しみにしていた。
数日前から、レインやシディアに渡すための菓子を作ったり何か覚書を書き付けていたり、時折何を考えているのか抑えきれない笑みを浮かべたりと落ち着きがない。
午前中の茶会の後は、レインと共に買い物に行ったり、昼食を共にする予定になっているらしい。
これも非常に楽しみにしているようで、幼い子供のように期待に満ちた輝く黒い瞳で見上げられ、「いいですか?」と尋ねられたら、駄目だとは言えなかった。
・・・あとからグレインには痛いほど睨まれたが。
妻が楽しそうなのは良いことだ。
ずっと外へ出ていないのだから、外出を楽しみにする気持ちもわかる。
わかるのだが、なぜか。
・・・少し、面白くなかった。
茶会当日。
少し早めに出かけたいという妻の要望に応えて、開催予定の時刻よりも早い時間にウーマに馬車を引かせて館に向かうことにした。
妻ならば、そのうち直接ウーマに乗せることもできるだろう。
だが、いくらこちらで暮らすようになってから微睡むように穏やかになってきているとはいえ、まだ興奮状態が完全に抜けたとは言えないボウドゥに、妻を乗せることはできない。
それで馬車を引かせることにしたのだが、ウーマは、ふざけるな、と言わんばかりの激しい怒りと抵抗を見せた。
ボウドゥの誇り高さを思えば、それは当然の反応ではある。
荒れ狂い、激しく暴れ、柵を破壊しながら嘶いていたウーマだったが。
「ウーマさん、おはようございます! 今日は一緒にお出かけできますね!」
厩に妻が入ってきたとたん、ピタリ、と動きが止まった。
「よろしくお願いしますね!」
にこにこと嬉しそうに笑いながらウーマの首を撫でる妻に、ウーマが折れた。
がっくりと項垂れ、泣きそうに目を潤ませながら、チラリ、とこちらを見てくる。
乗せるのは、二人だけっ!
と、必死に訴えてくる瞳に、しっかりと頷いてみせた。
俺もたとえ馬車で間接的にであろうと、他人を自分のボウドゥに乗せる気はない。
機嫌が良い妻を馬車に乗せ、落ち込んでいるウーマを走らせて館に着くと、早い時間にも関わらず、レインが館の入口でグレインと共に待っていた。
グレインがウーマを見て、目を見張る。
何かを言いかけたようだが、それよりも早く。
「レイン!」
「早かったね、元気だった?」
妻が馬車の上から飛び降りてそのままの勢いでレインに抱きつき、レインも多少ふらつきながらもしっかりと抱きとめて至近距離で笑顔を交わし合った。
瞬間。
どちらのものともつかない物騒な気配が吹き出し、妻もレインも何かに気づいたのか、一瞬体をこわばらせたが、それと同時に、扇が鳴った。
「おはよう。早かったのね、さぁ、中へお入りなさいな」
いつの間にか扉の前にシディアが立っていて、俺たちを睨みつけていた。
私の可愛い娘たちの邪魔をするなと、いったはずよね?
と雄弁に語るその剣呑な瞳に、俺とグレインは無言で視線を外す。
物騒な気配は霧散していた。
・・・シディアの俺たちに対する刷り込みは完璧だ。
その日の夕食時。
茶会から帰ってきた妻は、夕食時に興奮気味に勉強会での出来事やレインと行った店などについて楽しげにさえずっていた。
いつも一人で自由に外出しているレインと街を見て回ったことで、妻も刺激を受けたのだろう。
夕食を食べ終わり、食後の酒と茶を飲んでいると、妻が茶会以外でも外出したい、と言い出した。
そうなるだろうとは思っていたが、さて、どうするか。
何度か黙殺してみたが、妻はどうしても外出したいのだと訴えてくる。
「お願いします。ちゃんと明るいうちに帰ってきますから」
どこか思いつめたような、絶対に引かないと決意している表情。
それほど、外出したいのだろうか。
いくらグレインの忠告があるとは言え、ずっと家の中に閉じ込めておけるとは俺も思っていない。
なるべく外には出したくないというのが偽らざる本音だが、同時に妻に不自由な思いをさせたくないとも思う。
だが、なぜか対処を即決することができなかった。
妻を外出させるのは、まだいい。
だが襲撃が皆無になっていない以上、妻一人では駄目だ。
何かあった時に、対処できる状態でなければならない。
・・・ならば。
「一緒に」
初めから一人で外出させるよりも、俺の妻だと周囲に知らしめることも含めて二人で出かけたほうがいいと思い、そう口にしたのだが。
妻は、嬉しげに、輝くような笑みを浮かべた。
「はい! レインと一緒に二人で出かけるようにしますね!」
・・・言葉が、足りなかった。




