皇女、嘘をつく
「ウィルフレッド様!何度言ったらできるのですか!この程度のことも出来ないなんてチェスナット王国の恥ですわ」
「ご、ごめんなさい」
王宮内の最奥部にある王の寝殿。そこには豪華な部屋の中で甲高い声を上げる痩せた婦人、そして涙を流しながら俯く小さな子供――王子ウィルフレッドがいた。
部屋の前の廊下は侍女が行き交うが、皆目を背け通り抜けていく。
誰も止める者のない中、女の目が愉しげに歪む。
「本当に陛下の御子なのかしら?王家の血も母親が賤しいとここまで落ちぶれてしまうのね、嘆かわしい……さあ、お仕置きですよ」
「い、嫌!次はちゃんとするから、許して……」
響き渡る子供の泣き声。
王と成人前の王子以外、男性の立ち入りが許されなかった寝殿。ある事件が起こるまで、幼い王子は一人心に深い傷を負っていった。
◇◇◇
「っうわぁ!!……ちっ、またか……くそっ!」
広々としたベッドで飛び起きたウィルフレッドは、何度となく見る『過去』の夢に、薄暗い部屋で一人毒づいた。
最悪な目覚めとなったウィルフレッドは、不機嫌を振り撒きながら朝食に現れた。
寝坊が標準のウィルフレッドが時間通り現れたことに、侍女や侍従は内心慌てて支度を整える。明らかにピリピリしているウィルフレッドに八つ当たりをされぬよう、誰もが黙って給仕する中、無邪気な声が響いた。
「あ!おにいさまだ!」
「あっ!そちらに行ってはいけませんオスカル殿下!」
止める乳母の言葉も聞かず、勢いよく幼児が走ってきた。
ウィルフレッドの異母弟、御年四歳のオスカル第二王子である。
オスカルが椅子に座るウィルフレッドの右足にしがみつくと、周りの侍女や護衛騎士から声にならない悲鳴のような息が漏れた。
ウィルフレッドの生母である亡き王妃を一途に愛し続けた王だったが、肝心の第一王子の出来があまりにも悪すぎることにより、五年前、遂に周囲の圧力に屈した。
有力貴族の娘を新たな王妃に迎え、まもなく生まれたのがオスカルだ。
第二王子の誕生により一気に立場が危うくなったバカ王子ウィルフレッド。幼いオスカルはともかく、ウィルフレッドが異母弟に良からぬ感情を持っていても不思議ではない……というのが皆の一致した見解だ。
「チッ」
ウィルフレッドは舌打ちし、剣呑な目でオスカルを見下ろすが、この第二王子、鈍感なのか図太いのか全く怖がる様子がない。
そして無垢なまま見たものをそのまま口に出した。
「おにいさま、頭の毛、無くなってるよ」
「!?」
空気が凍りついた。
明らかに切れたウィルフレッドは勢いよく立ち上がると、オスカルが纏わりついていないもう片脚を後ろに引いた。
(蹴るつもりだ!)と認識した護衛騎士が動こうとした瞬間、雰囲気にそぐわぬ明るい声がした。
「あら、おはようございます。ウィルフレッド様」
「え!あ!アレ……皇女」
スタスタと現れた制服姿のアレクシア。予想外の人物の登場にウィルフレッドが一気にたじろぐ。
「な、なんで王宮に!?」
「なぜと申されましても。わたくしは女子寮でも良かったのですが、チェスナットの国王陛下のお気遣いで王宮に滞在させていただいてますの」
そう言いながらアレクシアはウィルフレッドの足元にいるオスカルを、何気なく抱き上げた。
「こ、皇女殿下!」
「いいのよ」
慌てる乳母や侍女を制し、アレクシアはにこやかにオスカルをあやす。
「な、慣れているのだな」
「わたくし、兄弟が多いですから。今は三十人だったかしら、ルナ?」
「正確には皇子殿下十四人、皇女殿下十七人の計三十一人でございます」
「さ、さんじゅういち……」
ルナと呼ばれたアレクシアの侍女がサラリと答える。
唖然とするウィルフレッドにアレクシアは困ったように首を傾げた。
「皇帝陛下の妃は軽く五十人はいますから」
「なんと羨ましい!」
心の声がそのまま出たウィルフレッド。周囲はギョっとしてアレクシアの様子を窺うが、平然とした顔から感情は読み取れない。
アレクシアはウィルフレッドの愚言に反応することなくオスカルを優しく下ろすと、頭を優しく撫でた。
「オスカル様、お兄様と遊びたいのはわかりますが、お食事中の人に突進してはいけませんよ」
「はあい」
「それから髪を剃ることは、フレイヤ帝国のある地方では勇敢なる騎士の証。これはウィルフレッド様の強さの表れです」
「そうなの!?おにいさま、すごい!」
はしゃぐオスカルに微笑むと、アレクシアは「ではウィルフレッド様、学園で」と手を降って軽やかに去っていった。
◇◇◇◇
「シア様、お伺いしてもよろしいですか?」
「なにかしら、ルナ」
王宮内に用意された部屋に戻り、登校準備をするアレクシアと手伝う侍女のルナ。
他の者は下がらせ、二人きりになると幾分くだけた空気が漂う。
「シア様が他の皇子皇女殿下方をあやしている姿など、私は拝見したことがないのですが」
「ないわね。わたくしそれほど小さい子が得意ではないもの」
そう言うと、アレクシアは普段の優美な微笑みではなく、年相応に声を出して笑った。
「ほら、だって殿方は子供に優しい女性に魅力を感じるって本に書いてあったから」
「どんな本をお読みになってるのですか……。というより、シア様はあの王子に魅力を感じさせたいのですか!?」
「……その件についてはノーコメントよ」
幼少期からアレクシアに仕え、アレクシアにとって何でも話せる友人のような存在であるルナ。そんなルナでも、このところのアレクシアの真意が今一つ掴めない。
(「チェスナットに留学する」とおっしゃった時は、てっきり何か政治工作をするつもりかと思っていたけれど……。今のシア様は、まるであのバカ王子を助けようとしているような……ううん、むしろ……)
ルナの脳裏には一つの仮説が浮かんだが、すぐにバカげた妄想だと振り払う。
「ちなみに、坊主頭の騎士がいる地方とは……」
「そんな地域、わたくしが知る限りフレイヤにはないわ」
「……ですよね」
「この際、どこかの騎士団を皇女権限で丸刈りにしようかしら」などと冗談か本気かわからぬトーンで話す主を諌めながら、ルナは再び仕事に集中することにした。




