54 湖での体験
「凄い! 濡れていない」
ユーグ王子は初めての体験に興奮が収まらないようだ。ロシュフォードさんも辺りを見回し、結界を指で突いている。
「凄いでしょう? 水の中に入る方法はね、こうして結界を纏わせて入る方法と、自分自身が魚に変身する方法があるの。ただ、結界が壊れたら溺れちゃうし、魚に変身しても魔獣に襲われたら抵抗する術がない。使う時にはどの方法を選べばいいかよく考えるんだよ」
「わかりました! 湖の底は深いと思っていたけれど、案外浅いものなんですね。あ、あそこに魔魚がいる!」
彼が指を差した方向に少し大きな魚が泳いでこちらに向かってきた。この湖はそれほど大きくないため魔魚も脅威になるほどの大きさには成長できない。
今は昔ほど強くもないため、他の魚とさほど変わりはないと言っていいが、魔と名前が付くだけあって攻撃性は強いのが特徴だ。
魔魚は私たちを攻撃しようと結界に体当たりを始めた。
「クロエ様、結界が攻撃されています」
「これくらいの攻撃では結界は壊れないから問題ないけど、見ていてね」
―水を凍てつく氷の槍に変じ、敵を貫け―
私は手を翳し、短い詠唱を行うと結界の外で水はいくつもの氷の槍が現れて魔魚を貫いていき、あっさりと魔魚は湖の湖面に浮かび上がった。
「凄い! 魔魚があっという間に倒せた」
「さあ、王子。そろそろ戻るよ」
「はい!」
浮き上がった魔魚は後から回収すれば問題ない。私たちはまた元来た道を戻るように湖の中を後にした。
「クロエ様、貴重な体験をさせていただいてありがとうございました」
ロシュフォードさんはお礼を言って一歩下がった。普段、生活の中では体験することのない世界を味わい、彼の中で何かを得たのかもしれない。
これはユーグ王子も同じようだ。王子は珍しく興奮し、言葉数が多くなっている。
「クロエ様、僕、もっと魔法を覚えてクロエ様をいろんな場所に連れていきたいです」
「楽しみにしているね」
私がそう言うと、彼は花が咲いたような笑顔で返事をする。
そして本日の目的だった薬草を見て回る。目に留まった植物を一つ一つ説明していきながら摘んでいく。その様子をユーグ王子は真剣な表情で見て学んでいる。
後ろにいたロシュフォードさんも魔法についての知識はあるが、こうして見て体験することはなかったので後ろでこっそりとメモを取っていた。
「クロエ様、今日は一日ありがとう。僕、クロエ様ともっと一緒にいたいし、魔法をもっと勉強します」
「ユーグ王子は頑張っているよ。国一番の魔術師になれると思うよ」
「本当ですか!? 僕、もっと頑張ります」
そう言って自分の部屋へと戻っていった。
子供の成長は速い。
あと数年もすれば彼は大人になり、レティシア嬢と結婚する。
私は生まれ変わった師匠を傍で見守るだけ。
ユーグ王子はとても素直な好意を私に向けてくれている。でもそれは彼の肩にある魔法円から漏れ出ているものがあり、影響しているんじゃないかと不安になる。
彼は痣の一部だと思っているので私が触れない限りは意識していないだろう。反対に触れてしまえば彼のことだ、封印したものが気になり、自分で解きかねない。
自分で解いたとしても今はまだ幼い。二百年生きてきた記憶に支配されてしまう可能性もある。
でも素直な好意を向けてくれているユーグ王子に惹かれている自分もいる。
何百年も待ち続けた私にとって我儘を通すことは簡単かもしれない。
でも、彼の幸せを一番に考えたい。
そう考えながらも時間は刻々と過ぎていく。
ユーグ王子は十五歳になり、十六歳になり、十七歳になり、成長し続けている。身長はあっという間に私を追い抜き、声は低くなり、学院に登校するようになって貴族令嬢たちからは人気が出た。
王宮までユーグ王子を見にくる令嬢が現れるようになり、婚約者のレティシア嬢は怒り狂い、ユーグ王子を責めることが多くなったようだ。
そのせいもあり、ユーグ王子はレティシア嬢から逃げるように私の部屋にいる時間も多くなった。
ある日のこと「クロエ様、匿って」彼はそう言いながら私の机の下に身を隠した。
「また? 今月に入って何度目なの? それに護衛たちが防がないってどういうことなの?」
「父上が『いい加減、レティシア嬢との仲を深めろ』ってうるさいんだ。俺はレティシア嬢なんかに興味はないからな」
成長した彼は言葉遣いが変わったけれど、私に見せる笑顔はちっとも変わらない。
「でも、王子だからそろそろ婚姻しないといけないんじゃないの?」
「面倒しかない。俺はもっと魔術の勉強をして国一番の魔術師になりたい。クロエ様、俺を弟子にしてほしい。魔女は多くの弟子を取るものだろう?」
「……多くの弟子を取る。どこでその言葉を?」
「クロエ様が持っていた資料を読んだ」
いつの間に古語を読めるようになったのか。
さすがユーグ王子というべきか。
私が持っていた魔術師向けに現代語に書き換える前の資料を見ていたと思えば。
「いつの間に古語を?」
「分からない。が、いつの間にか読めるようになっていた」
もしかして封印の力が弱まっているのだろうか?
「そんなことはさておき、クロエ様、俺を弟子にしてくれ」
「弟子にするのはいいけど、王族の仕事は大丈夫なの? ユーグ王子は二年後の婚姻も控えているでしょ?」
「婚姻する気は全くない。既にレティシア嬢にも伝えてある」
「レティシア嬢はなんて言ってるの?」
「私と結婚しないなら魔術師たちがどうなってもいいのか? なんて言っていたな」
「それ、かなりまずいんじゃないの?」
「どうだかな」
ユーグ王子はあっけらかんとしながら私の持っている古い書類に目を通し始めた。
彼はこれからどうするのだろうか。
まあ、昔のジルディッド殿下と似ていると言えば似ているかもしれない。
くすりと笑うと、ユーグ王子は不思議そうに聞いてきた。




