53 レティシア・ポストマ公爵令嬢
「クロエ、ここはどうなっているんだ?」
「ユーグ王子、ここはこうやって……」
いつものようにユーグ王子の質問に答えていると、部屋の外から騒いでいる声が聞こえてきた。
「ユーグ様っ! やっぱりここにいたのですねっ!」
明るい赤い髪をした一人の女の子が護衛を連れて入ってきた。
「……レティシア・ポストマ公爵令嬢。いくら君でも突然入ってくるのは良くないよ」
「ユーグ様、勉強ばかりしていないで一緒にお茶に行きましょう♪」
レティシア嬢はユーグ王子の言葉など気にせずずかずかと歩み寄ってくる。
「ごめん、今は魔術の勉強をしているんだ。後にしてくれるかな」
「いつも勉強、勉強って勉強ばかりで婚約者の私とは最低限しか会ってくれない。まさか、この女のせい?」
レティシア嬢はそう言いながら私を指さしている。
「そうじゃないよ。僕も王子だし、兄を支えるためにしっかりと勉強しなければいけないんだ」
「嘘よ! ぜーったい嘘! この女のせいに決まっているわ。私の女の勘が働いているもの!」
「レティシア様。そんなに勉強が嫌いなら他の子息と婚約した方がよかったんじゃないの? 王族って忙しいんだよ。それが理解できないなら王子妃失格だよね」
「そんなこと知っているわ! それでも私はユーグ様と一緒に居たいのよ」
「ユーグ王子に好かれたいならレティシア嬢も勉学に励んだほうがいい。とにかく、勉強の邪魔するのなら許さない」
私はそう言った後、魔法で彼女を部屋から追い出し、扉を閉めた。
部屋の外ではレティシア嬢が騒ぐ声が聞こえていたけれど、しばらくするとどこかへいったのか静かになった。
「クロエ様、ありがとう」
ユーグ王子は笑顔で感謝を述べた。
「ユーグ王子、嫌なことは無理せず言ってもいいんだよ」
「……そうですね。今度はしっかりと言ってみます」
そうしてまたユーグ王子は勉強を始めた。
ある日、ユーグ王子が私の部屋へとやってきた。
「クロエ様、今度の休みに一緒に森へ出かけませんか?」
「ん? どうしたの? 森に何かあったっけ」
「僕は収穫され、乾燥した薬草しかみたことがなくて。収穫される前の状態の薬草をみたいんです」
「いいよー。じゃあ準備をしておくから楽しみにしてるね」
「はい!」
ユーグ王子は断られると思っていたようではじめは心配そうに聞いていたけれど、私が快諾すると満面の笑みを浮かべて自分の部屋へと戻っていった。
最近森に出かけることは減ったし、たまにはいい運動になる。
私は久々のお出かけを年甲斐もなく心待ちにしながらユーグ王子の休みの日を待った。
「クロエ様、準備はできた?」
「うん、ばっちりだよ」
私は軍服にローブという動きやすい服装をしている。ユーグ王子も同じような恰好をしていた。もちろん今回のお出かけには護衛や侍女も大勢付いてくる予定だ。
私たちは馬車に乗り込み、王都の外れにある森へと向かう。
「クロエ様は旅をしたことがありますか?」
「ううん。ないよ。殆ど魔の森からでたことがないから」
「魔の森?」
「うん。魔獣が沢山すんでいる森に私の家があるの。私はそこに五百年住み続けてる」
「一人で住んでいるのですか?」
「うん。ずっと一人で住んでるよ」
「一人で住んでいて寂しくないのですか?」
「寂しくは、ないかな」
「そんなに長い間、一人で過ごすのに理由があるのですか?」
「んー。そうだね。私はある人を待っているの。そのためにずっとあの家で待っているんだ」
「クロエ様の待ち人……。妬けてしまうな」
ユーグ王子の呟いた言葉にドキリとした。
ユーグ王子は私を好いてくれているのかもしれない。
その気持ちがとても嬉しい。
長い間、誰かを想い、誰かに想われるなんて一度もなかったから。
でも、彼の新しい人生を邪魔したくない。
上手い言葉を返そうとしたけれど、私は言葉が詰まり返すことができなかった。
「ユーグ王子、クロエ様。東の森にもうすぐ到着しました」
同乗していたロシュフォードさんがそう声を掛けてきた。
馬車はゆっくりと道の脇に停まり、私たちは降りて細い道を歩き始めた。
「ここをしばらく道なりに歩いていくと、湖がある。クロエ様、そこで少し散策しませんか?」
「いいよ。ユーグ王子もたまには勉強のことを忘れてゆっくりと羽を伸ばしたいよね」
「クロエ様、足場が悪い。手を繋ぎますよ」
ユーグ王子はそう言って私の手を取った。
ユーグ王子はまだ子供だと思っていたけれど、こうして手を取り歩く姿を見てこそばゆい気持ちになる。
いつかはユーグ王子もレティシア嬢とこうして歩いていくのだろう……。
「クロエ様、あそこで魚が跳ねました。あそこでは魚たちが集まっているみたい。何かあるのかな」
「ユーグ王子、行ってみようか」
「湖の中に?」
「湖の中なんて滅多に見られないから良い機会だよ」
「行ってみたいです」
私の誘いにユーグ王子の目が輝いた。
「二人だけだと何かあった時に困るからロシュフォードさんも一緒においで」
「え? ロシュフォードも来るの? ……仕方がないな」
明らかに嫌そうにしているユーグ王子を見て私もロシュフォードさんも苦笑する。
「ユーグ王子に何かあってはいけませんから。しっかりと付いて参ります」
「じゃあ、二人とも私の傍から離れないでね」
―澄んだ水面に映る幻想の魔力よ、わが周囲を包み込む結界を張り巡らせよ―
私は魔法を詠唱すると、ぴんと張った薄い膜のような結界が私たちを包み込んだ。
「クロエ様、こんなにふわふわしている結界を見たことがないです。本当に大丈夫なのですか?」
「大丈夫だよ。じゃあ行こうか」
私はそう言ってユーグ王子と手を繋いだままロシュフォードさんを連れて湖に一歩、また一歩と入っていく。




