クエスト53 雲は暗くのしかかり、消えない傷を呼び起こす#3
それはある雨の日の土曜日であった。
いつも通り家で過ごしていた敬は、ふとコンビニに行きたくなった。
理由は、唐突に甘い物が食べたくなったから。よくある理由である。
ベッドに座り壁に寄りかかる敬は、漫画を閉じると立ち上がる。
同時に、相変わらずしれっと部屋にいて漫画を読む幸に声をかけた。
「幸、ちょっとコンビニ行って来るわ。甘い物食べたくなって」
「え、そうなの? うーーーんっ、そうだな......」
幸は漫画を開いたままベッドの上に置き、両手頭の上にググッと伸ばす。
そのまま胸を張るようにして大きく伸びをすると、一秒後に一気に脱力した。
その間に何かを考えていたようで、言葉を続きを話し始める。
「わたしも行く。なんかジュース飲みたくなっちゃった」
「それぐらいなら僕がついでに買ってくるよ。安心しろ、僕のおごりだ」
「別にそこに安心要素は求めてなかったけど......え、でも本当!?
なんだなんだ~急に妹の好感度を上げて。でも、そういうとこ好き」
「はいはい、それで飲みたいものはなんだ?」
「う~ん......あ、そうだ! んじゃ、当ててみてよ」
「んじゃ、カル〇スな」
「ちょ適当に反応しすぎ! てか、それで合ってるのもムカつく。
はぁ~あ、もっとお兄ちゃんとイチャイチャしたかったな~。
妹とそんなことできる兄なんて早々いないんだぞー。感謝しろー」
「なんか急に恩着せがましいな。というか、妹とイチャイチャとかどうなんだ」
妙にプンスカと頬を膨らませて怒りを見せる幸。
一体なにが彼女を不満に感じさせているのか全然わからない。
敬は一つ息を吐くと、サッと財布だけ持ち出して一階へ降りて行った。
リビングにいる両親に一声かけるために、玄関近くにあるドアを開ける。
少し覗いてみれば、夫婦が仲良くソファに座りながらテレビを見ていた。
ある種イチャイチャしてるようにも見えなくない。
「父さん母さん、コンビニ行って来る」
「お、そうか。なら、俺もちょっと用があるし丁度いいか」
敬が一声かけると、利典は立ち上がった。
そして胸を張り、両手を頭上に掲げ大きく伸びをする。
その動作は幸とそっくりである。さすがに親子か。
利典がソファから移動し、「財布取ってくる」と言って敬の横を通り抜け、二階へ上がっていった。
その視線を追いつつ、視線を母親の方へ戻してみれば、少しふくれっ面である。
母親の姿は
その姿もなんだか幸に似ている気がする。
それこそ、不機嫌な時に頬を膨らませる仕草が。
幸は間違いなくあの両親の娘である。
「お待たせ......ってどうした?」
「いや、なんでもない。行こう」
敬はそう言うと玄関へ向かってすぐに靴を履く。
その後ろを利典が眺めつつ、後に続いて行った。
そしてコンビニまで向かう道中、利典は先程のことについて話しかけた。
「悪いな、妙な場面を見しちまって。
なんか今日はやたらママが機嫌良くってよ」
「別に気にしてないよ。ただ親の惚気は誰得って感じだけど。
強いて僕が言うなら、仲が悪いよりは全然マシってぐらい」
「おいおい思ったより淡白な反応だな。もうちょっと羨ましがってもいいんだぞ?」
「親のイチャイチャを見て羨ましいと思うほど心荒んでないよ。
とはいえ、幸がどう足搔いたってあんたらの娘だってことはわかったけど」
敬が何気なくそんなことを言うと、利典はキュピーンと何かを察したような顔をした。
そしてやたらニヤニヤしたような顔で息子に突っかかる。
「おいおい、比較ができるってことは対象がいるってことだよな?
さてはお前......マイプリティーエンジェルとイチャイチャしたな?」
「してない。少なくとも僕にそんな気はさらさらなかったよ。あっちは違ったけど」
「おいおい、女の子には優しくするもんだぜ?
ギャップだなんだで惚れたりすんのは、所詮子供ん時だけだ。
結局、女の子に優しい奴、理解力がある奴、そして時にユーモアがある奴が一番モテる」
「父さん、全部外れてそうなのに......」
「バカ言え。こうしてママに愛されてんのが一番の証拠だろうが。
それになぁ敬、お前は俺の代わりになれる唯一の男なんだ。
だから、もうちょっと幸ぐらいには優しくしてやれよ」
その言葉に、敬は思わず方眉を上げて利典を見た。
なんの脈絡もなく告げられた意味深な言葉。
一体それはどういう意味なのか。
「......なんだ消えるのか?」
「人間いつ死ぬかわからねぇんだ。んで、俺を除けば男はお前一人。
となりゃ、俺の代わりに家族の大黒柱になれんのはお前しかいないってことだ。
だから、俺はお前に期待している」
利典はそう言うと、すぐに「ま、すぐに譲る気はねぇけどな」と大きく笑った。
同時に、敬の頭に触れてはガシガシと雑に撫でる。
そのせいで敬の髪はあっという間にボサボサだ。
そんな父親の行動を若干鬱陶しく感じた敬は、眉をひそめながらそっと手で払う。
手櫛で軽く髪を直しながら、ため息を吐きつつ答えた。
「期待しないで待ってるよ」
そんな会話をしてコンビニへ到着。
敬は先に支払いを済ませ、外で待っていると、視界の端に何かが通り過ぎた。
小さな何かは一つだけではなく、いくつもパラパラと落ち、次第にアスファルトの駐車場を濡らしていく。
「雨降って来た.....」
空を見上げると、どんよりとした濃い灰色の雲が空を覆っている。
そこからはさながらマシンガンのように際限なく雫が落ち続けた。
雨の強さはほどほどだ。それなりの距離を歩けば、服はずぶ濡れになる程度。
(面倒だ......)
空を見上げながら、そう感じる敬。
玄関から外に出た時から曇っていたことに気付いていたが、「大丈夫だろ」とタカを括っていればこの始末。
当然ながら傘なんか持ってきていない。
帰るためだけにコンビニ傘なんて買おうとも思わないし。
これはもう後で小言を言われるのを覚悟しなければならないだろう。
「これ絶対後でなんか言われるパターンだよなぁ」
すると、コンビニから出てきた利典が敬の横に立ってそう言った。
どうやら心中同じ気持ちらしい。
もっとも、隣は「しゃねぇな」と楽観的であるが。
自分の場合は幸に何と言われるか。
最悪風呂にまでついて来られるというのに。
とはいえ、これ以上考えたとて仕方がない。
「一応、小走りして帰ろう」
「だな。そうと決まれば行くぞ」
利典は腕で目元に傘を作り、駆け足で移動し始めた。
その一秒後には敬も後に続くように走り出す。
それから少して二人は十字路の交差点までやってきた。
その場所は雨のせいか人気はあまりなく、車が多少通る程度。
信号が赤なので、近くの屋根がある場所で待機していると、突然利典が口を開いた。
「なんかこういうのって新鮮だよな」
「......急に何?」
「ほらだってよ、お前あんまし俺達と一緒に何かしようとか思わなかったじゃん。
なんつーか、一方的に俺達のことを気にして距離を保ってる感じでよ」
「......」
「それが今やこんな風に肩を並べて、雨で体も肝も冷やしながら帰ることになろうとは。
いや~、めげずに仲良くしようとし続けた甲斐があったもんだぜ」
そんなことを言ってケラケラと笑う利典。
その姿を横目で見ていた敬は、冷めたようにため息を吐くと返答した。
「僕は今も昔も変わらないよ。強いて言うなら、落ち着いたんだよ。年相応にね」
「おいおいそんな大人ぶんなって。
いいんだよ、ガキはガキのまんまで。ガキの年齢の時はバカするぐらいが丁度いい。
いいか、敬。お前はバカになれ。多分そっちの方が年相応だぞ」
「何を言ってんだか」
敬はそう捨て台詞を吐き、青になった信号を見つめ、一人先を走り出す。
雨の強さは先ほどよりも少し強い。
雨粒で視界があまり確保できず、前が見ずらい。
「―――い、危ない!!」
その時、後ろから声が聞こえた気がした。
だから振り返ろうとしたその瞬間、横から大型トラックが突っ込んでくることに気づいた。
信号は青だった。それは確かに見た。
ならなぜトラックは直進してくる?
しかも速い。というか、これは避けられな――
「敬ッ!!!」
刹那、体にドンッと軟らかい衝撃が伝わる。
正面にトラックがあるので、ぶつかった位置は側面からだ。
加えて、体がその位置から跳ね飛ばされた。
体が傾き、足が宙に浮く。
そんな体勢で敬が見たのは、先ほどまで自分がいた位置にいる利典の姿。
そんな父親の最期は、まるで助けられたことを誇らしそうに笑っていた。
その一秒後には、父親の姿は無くなり、トラックの側面が視界を覆い隠した。
透明なはずの雨の中に、わずかに赤い色が混じり、それが正面から降り注ぐ。
―――ガンッ
トラックはそのまま数メートル通過すると、突如左側に回転し電柱に衝突した。
轢かれた父親、電柱に突っ込むトラック、自分の近くにわずかに広がる赤い水。
そんな衝撃的な光景に、敬はほんの少し放心状態となっていた。
口は開き、焦点が定まらない。
まさに状況の理解に頭が追い付いていないという表情。
「とう......さん? 父さん!」
敬は視界をゆっくりと巡らし、地面に倒れている利典に気づいてようやく動き出した。
敬は手首にかけていたコンビニ袋を投げ捨て、すぐさま立ち上がって走り出す。
しかし、その足も次第にゆっくりになっていった。
それは利典に近づいたこともそうだが、原因は彼を中心に広がる鮮血だ。
それがアスファルトのひび割れに染み渡り、雨がその血を押し流していく。
結果、まるで円を描いたように血が広がっていたのだ。
そんなゲームとは違う確かなグロい光景に、敬の内側から吐き気を感じた。
しかしそれを抑えると同時に、すぐに膝をついて利典に呼びかける。
「おい、父さん! しっかりしろ父さん! 起きてくれよ!」
突然起きた目の前の悲劇に未だ理解が追い付いていない。
しかし、利典が目を覚ましてくれさえすれば、まだ悲劇が完全な悲劇で無くなる。
一縷の望みに等しいかもしれない。だけど、ただ今は――それを望んでいる。
敬は希望を抱き続け、ひたすらに声をかけ続けた。
されど利典からの反応はない。
青白い彼の顔に冷たく雫が濡らすだけ。
「きゅ、救急車......」
反応がない。だから死んだ......と、簡単になるはずもなく。
今は痛みで気を失っているだけかもしれない。
となれば、一分一秒でも早い行動が生死を分ける。
敬は小刻みに震える左手でポケットからスマホを取り出し、緊急連絡ボタンをタップ。
そして右手で「119」と入力しようとしたたその時。
タッチした箇所が赤く滲んだことに気づいた。
利典の血だ。それがスマホの画面に落ちた雫によって広がっている。
右手が途端に暴れ出した。まるで自分の手ではないかのように。
押し間違えそうになりながらも、なんとか救急車を呼んだ。
震えた声で、支離滅裂なことを言ってる気がして、言ったすぐ後ですら何言ったか思い出せない。
それぐらい余裕がない。心拍数が極端に上がり、呼吸の仕方がわからなくなる。
それから数分後に、救急車がやってきた。
利典はすぐに担架に乗せられ、敬も一緒に救急車へと乗って病院へ移動していく。
その後、父親がどうなったか......今更語るべくもないだろう。
*****
「――ハッ」
敬はパッと目を覚ました。
寝るつもりは無かったが、どうやら寝てしまったようだ。
ただ目を閉じて体を休ませようとしただけなのに。
懐かしく、嫌な過去を思い出した。
体が熱い。呼吸が苦しい。寝汗が凄いことになっている。
きっと天子が横断歩道を渡る際に、体がフラッシュバックしてしまったのだろう。
「どのくらい寝たんだろうか......」
敬は重たい体を起こすと、ベッドのすぐ近くにある時計を見た。
時刻は18時40分。いつ帰って来たかわからないが、そんなに寝てない気がする。
もっとも、長く見たい夢では無かったので、結果的に助かったが。
「お兄ちゃーん! ご飯だよー!」
その時、ドア越しに幸から夕食が出来たことを告げられた。
その声に、敬は一度大きく深呼吸して、ベッドからおもむろに立ち上がった。
(今さっきの夢のことは幸にとってもトラウマ内容だ。
僕の表情から変に悟られてはいけない)
幸は長年家族をやっていただけに、無表情を貫通して察してくる。
余計な不安を抱かせないためにも、自分は”いつも通り”を貫かなければならない。
「今行くよ」
それはそれとして、これから天子に対してどう接するか。
どう距離感を保ち、好感度調整をしていくか。
それを至急考えなければならない。
読んでくださりありがとうございます(*‘∀‘)
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