クエスト51 雲は暗くのしかかり、消えない傷を呼び起こす#1
林間学校が終わり、再び平日が巡って来た。
束の間の休息はあっという間に過ぎ、誰しもが休日を恋しく感じる。
それはまた敬も同じであり、気分で言えばもう少し自由が欲しい。
しかしそれ以上に、平日の学校が少し憂鬱になった理由がある。
その理由というのが――
「敬さん敬さん、おはようございます!」
「......おはよう、天子。今日も元気で何よりだ」
朝からニコニコの笑顔で挨拶してくる天子の存在だ。
可愛らしい女の子がこうしてあっちから話かけてくれる。
その展開自体は男子としては役得である。
がしかし、敬にとって単純にそれだけであれば問題なかった。
問題は、自分を呼ぶ際の「名前呼び」だ。
思春期の男女において「名前呼び」は誰でもわかる単純な距離感の証明。
例えば、夏休みに仲の良い男女の名前の呼び方がかわっていたら、「あ、こいつらなんかあったな」と思うように、「名前呼び」というのはそれだけ大きいイベントなのだ。
本来であれば、高校時代に女子と親密になれる男子などごく少数だ。
故に、少しでも女子とお近づきになれるのであれば、それに越したことはない。
しかし、敬としては正直その状況はあまり芳しくなかった。
敬にとって、誰かと仲良くなりすぎるというのは不幸を招く。
それは経験則から理解していることであり、だからこそ避けたいこと。
とはいえ、人が人と関わることは避けられない。
故に、最低限の関わりで済ませたかったのだが――
「敬さん、実は今日って徒花咲子先生の新刊が出る日なんですよ!
咲子先生といえば、密室ミステリ代名詞!
とはいえ、事前情報は入れてないので、どんな風な作品なのか楽しみです!」
「おぉ~、そうなのか。それは楽しみだ。
ちなみに、僕はオススメされた『夕暮れのブラックボックス』というのを昨日読み終わったよ。
誰もいない映画館という特殊な状況だったけど、まさかあんな形で話が進むなんてね」
「そうなんですよ! 古い映画館という場所で起きた殺人事件で、そこには当時誰もいなかった。
しかし、管理者が翌日に戻って来てみれば、施錠された映画館の中には人が死んでいた。
それも被害状況からして他殺が濃厚! 管理者にはアリバイがある!
犯人は一体誰なのか.......う~ん、内容は知ってますけど、あらためてまた読みたくなりますね!」
天子のヲタトークが炸裂する。
以前の彼女であれば、ありえないほどのしゃべる量である。
そうなったのは当然、敬と天子の距離が友達以上になったことの証だ。
それは敬にとって嬉しい。が、同時に困ることでもある。
「今日、買いに行くつもりなの?」
「そ、それはその......買いに行きたいのは山々ですが、まだ一人というのはなんとも......」
天子はそう言いながら、敬の様子をチラチラと伺う。
まるで「ついて来て欲しい」とでも言っているかのようだ。
なんともあざと可愛らしいが、これで天然なのだから脅威である。
「......いいよ。いこっか」
「本当ですか! やった!」
敬が了承した瞬間、天子は小さな子のようにガッツポーズして喜びを表現した。
期待していただろうに。しかし、その反応をされると嬉しいものがある。
なんという罪深い子であろうか。もうその可愛さが罪である。
―――放課後
天子との放課後デートもこれで3回目になる。
となると、天子の方もだいぶ慣れてきたようで、だいぶ肩の荷が抜けている。
周りを見る余裕がだいぶあるようで、興味をもったものがあればすぐに話しかけてきた。
「敬さん、那智さんに教えてもらったんですけど、あの店のモンブランケーキがとても美味しいらしいんです。
なので、良かったらその......買い物帰りでも一緒に行ってみませんか?」
「もちろん! 僕は甘い物大好きだからね。
天子は甘い物よく食べたりするのかい?」
「普段はあまり食べません。お姉ちゃんや妹が買ってきたものを少しもらうぐらいで。
ですが、甘い物自体は好きなので、あったら手を出しているかもしれませんね」
「そうかそうか。なら、この際に一緒に美味しい物を食べに行こうか。
だけど、その前に天子の用事を済ませてからね」
「はい!」
敬の言葉に、天子は元気よく返事する。
そして二人は、早速ショッピングモール二階の本屋へ向かった。
そこは平日でありながら、それなりに人の数があり、若者の姿が多くある。
しかし、学生の姿はあまりないようで、制服姿の敬達が目立っていた。
そんなせいか天子は敬の制服の裾を見ながら周囲をキョロキョロ。
わかりやすく人の目を気にする仕草を取っていた。
とはいえ、ゴールデンウィークの時にはいつも通りだったはずだ。
にもかかわらず、今更になって周囲の目を気にし始めるのはおかしい。
一体何があったというのか。
「周囲を見渡してるけど、誰かに見られてる?」
「え?......あ、いや、そういうわけじゃないんですが、その何と言いますか......」
天子は敬の制服からパッと手を離すと、顔を赤くしながらもじもじ。
天子と目も合わなければ、恥ずかしそうに五指をくっつけている。
しかし時折、チラッと様子を伺うように視線をぶつけてくる。
これは一体何を伝えたいのか? はたまた、何かを気にしているのか。
敬はそっと顔に触れてみるが、特に何かがついてるわけでもないようだ。
なぜなら、天子の様子がさっきとまるで変わってないから。
「その、こうして二人で来るのって当たり前のように思っても、実は結構恥ずかしいことですよね.....?」
「ん? えーっと、それは僕と一緒にいるのが恥ずかしいって悲しいオチじゃないよね?
男女二人で的な類の話のこと?」
「男女関係の、です」
天子は敬の目を真っ直ぐ見て肯定した。
まるで敬の聞いた二つの答えに対して、間違って欲しくないかのように。
そんな彼女に対し、敬は一瞬目を細めると、すぐに答えた。
「ふぅー......よかった~。もし、嫌われてたら泣いちゃうところだった。
もう人目もはばからずギャン泣きしていたかもしれないね」
「それはそれで少し気になりますが.....そうじゃないので安心してください」
「とはいえ、天子が急にそんなことを気にするなんてね。
何か心境の変化でもあったの? もしかして、気になる男子でも出来た?」
敬がそう聞いた瞬間、天子はピクッと反応して目線を向けた。
その目は不思議そうな目をしていたが、同時に何か答えを得たかのような目を輝きを放った。
「そうですね、そう言われるとそうかもしれません。
私は敬さんと関わり初めて色んな人と交流しました。
その人達の中でもさらに知りたいと思った人で言うのであれば、その表現で間違いないかと思います」
そう言ってニコッと笑う天子。
それが言葉に対して浮かべているのか、自分に対して向けているのか敬には分からなかった。
「……とりあえず、新刊見に行こっか」
「あ、そうですね。ちょっと見てきます」
天子は早足で動き出すと、慣れた様子で目的の棚へと向かっていった。
そんな小さな子供のような背中を見ながら、敬は大きく息を吐く。
「ハァー……なんだか着々と距離を詰められてる気がする。
これを気のせいと思うのは、流石に無茶があるよなぁ」
天子がこんな感じになってしまったのは、一体いつからだろうか。
少なくとも林間学校前はまだ大人しかったはず。
となると、林間学校で天子に心境の変化が起きた?
そしてそのキッカケで思い当たるのは、やはり天子に対してついた嘘だろう。
あの時はアレが最善だと思った。
天子のことを思えば、彼女が楽しく過ごせる時間を作るのが重要だ。
であれば、自分のことなど気にせず全てを彼女に投資すべきである。
「けど、それが裏目に出たのが今って感じだよな。
例え嘘ついたとしても、それは天子にとって都合が良かったはずなのに」
ただし、その考えは天子の善人性を考慮しなければの話である。
今回の敗因は天子のことをよく知らなかったこと。
次はもう少し上手く立ち回らなければ。
「ふぅー……よし、気持ちを切り替えよう」
敬は軽く頬を叩くと、天子が進んだ道をついて行った。
その道中、周囲の方を見ながら歩いていると、本棚に手を伸ばす天子に気付いた。
その光景はいつぞやの図書室での出来事を彷彿とさせる。
ただし、その当時と違う点があるとすれば、場所と関係性だろうか。
もっとも、相変わらず人を呼ばずに高い所にある本を取ろうとしているが。
そんな光景に、敬はなんだか懐かしい気持ちになり、後ろからひょいっと本を取ってあげる。
そして、それをすぐ近くにいる天子に手渡した。
「はい、これ。取りたかったもの.....って、ん? ラブコメ?」
その時、手に取った本の表紙を見て違和感に気付く敬。
というのも、その本が天子が読みそうなミステリ系ではなかったのだ。
どちらかというと、ライトノベル系の作品。
もっと言うと、昔読んでいたWeb小説にありそうなタイトルをした作品だ。
それを天子が読んでいる......一体いつから?
「へぇ~、ラブコメか。こういう作品も読むんだな。
てっきり今日はミステリの新刊だけを買いに来たと思ってたけど」
「その......那智さんからオススメされた漫画を読んで気になって......。
それで、その漫画が実は小説をもとにコミカライズされたもの聞きまして。
であれば、私的にはそっちの方が読みやすいので......」
「なるほど、そういうことか。いいよね、ラブコメ。
現実では決してありえない出来事でも、主人公に感情移入することで自分のことのように経験できる。
それはさながら、自分自身が主人公になったかのように」
「さすがにそこまで感情して読んだことはありませんが......私もそういう風に読めば気持ちがわかったりするんでしょうか?」
「さぁ、それはさすがに天子の入れ込み具合だと思うけど。
それに、あくまでわかるのは主人公から見たヒロインに対する気持ちと可愛さぐらいだからね。
天子にも『この子かわうぃうぃ~♪』って思うような推しキャラが見つかれば別かもね」
「そんな脳が溶けたような反応になるんですか......?」
敬の言葉に、天子は目を丸くしながら両手に持つ本の表紙を見る。
その本には神絵師が書いたであろう主人公とヒロインのキャラがあった。
ちなみに、そのヒロインの髪型は金髪のハーフツインだ。
「この子が可愛い.......」
天子はそう呟きながら、まじまじと絵を見つめる。
すると、彼女は顔を敬に向けて率直に聞いた。
「敬さんはこういう子がタイプだったりしますか?」
「うぇ!?」
天子の唐突な質問に素っ頓狂な声が漏れた敬。
よもや天子の口からそのような質問が出るとは思わなんだ。
加えて、その質問はまるで気になる男子の好みを探っているかのようで。
気のせいか、気のせいのはずだ。気のせいであって欲しい。
今の天子はゲームをやったことない子が、友達にゲームを勧められてのめりこむのと同じだ。
一時的な気の迷い。先程の自分の言葉に対するただの返答だ。
「......そうだな、どうかと聞かれれば好きだ。
とはいえ、僕はこういうキャラクターに関してはストライクゾーンが広めでね。
それに、絵師さんの絵柄がフィットして『そのキャラきゃわいい!』みたいなこともあるから、一概にどの子が可愛いとは言えない」
「つまり、この子も可愛い、と?」
「それが正解」
敬の言葉に、天子は何も答えずそっと本の表紙に視線を移した。
そしてそれを胸に抱えると、「買ってきます」と言って天子はレジに移動していく。
そんな後ろ姿を敬はただじーっと眺めた。
―――数分後
ショッピングモール近くの交差点にやってきた二人。
そのうち天子は購入した本のおかげでルンルンの気分になっていた。
その姿を見て敬は思わず声をかける。
「随分と浮足立ってるね。そんなに買った本を読むのが楽しみ?」
「はい、楽しみです! 特に好きな作家先生の新刊を買った時とかこうなってしまうようで。
昔からお姉ちゃんに『そんなに浮かれてたら危ないよ』って言われてて」
「そんなにか」
その時、敬は目の前の信号が点滅していることに気付いた。
交差点までの距離はわずか。
しかし、駆け足で行かなければ間に合わないだろう。
「あ、そういえば一緒にお店に寄る話とかしてましたね」
信号は赤になった。敬は交差点の手前で止まる。
しかし、天子は気づいていないのか、歩みを止めない。
その時、敬は猛烈な寒気に襲われた。
一気に体温が冷たくなる.....そんな感覚。
そして体は反射的に天子の腕を掴んだ。
「ひゃっ!」
敬が引き寄せたことで天子の体がガクッと戻される。
そのことにビックリした天子であったが、目の前で車が通ったことで状況を理解した。
「あ、ごめんなさい! お話に夢中になってしまって......って敬さん?」
「ハァハァハァ......」
天子は敬の様子がおかしいことに気付き、顔を覗き込む。
その時の敬はまるで血の気が通っていないかのように顔面蒼白となっていた。
読んでくださりありがとうございます(*‘∀‘)
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