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嫌われ令嬢ですが、私を殺す運命のあの人だけは絶対助けてみせますわ!  作者: 円夢


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4.アンドルディア

 峻険な岩肌を見せてそびえるアクイラ山。

 封印の術式を刻んだ結界石は、その麓にひっそりと佇んでいた。


『ꯑꯣꯄꯟ ꯇꯤꯜ꯫』


 結界石に軽く触れ、フレイヤが解呪の言葉を唱える。

 一瞬、大気が揺らいで波紋のようなものが広がったかと思うと、結界石は音もなく崩れ去った。


『それじゃ、始めてもらおうかしら』


 高飛車に言うフレイヤの横には、鎧姿の騎士たちに囲まれ、手枷足枷をつけられた上、目隠しされたダンカンがいた。


『ドワーフは鼻が利くのでしょ。なら、その状態でも鉱脈は見つけられるはずよ』

『ああ。だが約束は必ず守ってほしい。この山の鉱脈の所有権を貴女が手にした暁には……』

『ええ、おまえの一族を雇ってあげる。どのみち鉱夫は必要だもの』


 ダンカンはひとつ頷くと、一足ごとに鎖を鳴らしながら山の奥へと分け入った。その後にフレイヤと配下の騎士たちが続く。

 やがて一行の前に天然の洞窟が現れると、フレイヤは騎士たちを振り向いた。


『ここからは私とこの者だけで行くわ。おまえたちはここで待機なさい』

『し、しかし、女侯爵様(レディ・マーキス)……』

『私の命令がきけないの?』


 言いかける部下をぴしゃりと黙らせ、フレイヤはダンカンだけを伴って洞窟に入っていった。

 彼女の持つカンテラの灯が、岩壁に影を踊らせる。しばらく一本道だった本道は、やがて三方に枝分かれしているところに行き当った。


『右だ。突き当たりで最初の鉱脈が見つかる』


 ダンカンの言葉通り、そこには白っぽい筋状の石英に混じって、煌めく金鉱が露出していた。

 フレイヤがそれを目にした途端、彼女の右の手の甲に奇妙な紋様が浮かび上がる。

 古き山の掟に従い、()()()()()()()()()()()が所有権を獲得したのだ。

 堪えきれない喜びに、フレイヤは身を震わせて哄笑した。


『やったわ! これであの方に振り向いてもらえる。わたくしの力であの方を、この国の――いいえ、この世界の頂点に立たせて差し上げるのよ!』


 仄暗い洞窟の中、フレイヤの狂ったような高笑いはいつまでも響き続ける……。


◇◇◇


「……様。フレイヤ様」

「―――っ!」


 メアリの声に、私ははっと目を開けた。

 ベッドサイドのテーブルには、オークス侯爵家に代々伝わる古文書が読みかけのまま伏せてある。

 アクイラ山の封印と、山の古き掟について書かれた本だ。


(ああ、だからあんな夢を……)


 あれは原作のフレイヤだった。ダンカンを自分に都合のいい道具としか考えず、最後まで虐待し続けた悪魔のような女。

 私は頭を一振りして、嫌なイメージを振り払う。


 今日はダンカンとアクイラ山に行く日だった。

 彼の持つドワーフの嗅覚を使い、地下の鉱脈を見つけてほしいと私が頼みこんだからだ。

『銀王子の最愛』によれば、あの山の地下には金やミスリルを始め、数々の宝石や希少な金属が眠っているはずだった。中でも〈神々の黄金〉と呼ばれるオリハルコンは、後に世界を揺るがすことになる大事件で、ある非常に重要な役割を果たすことになる。


「フレイヤ!」


 待ち合わせ場所に指定した領都の裏門で、ダンカンはすでに私を待っていた。

 私は急いで彼に近づく。


「ごめんなさい、こちらから呼び出しておいて……。だいぶお待ちになったかしら」

「いや。私も今来たところだ」


 言いながら、ダンカンは私を頭のてっぺんから足の爪先まで眩しそうに見回した。

 今日の私は髪を一本のおさげに編んで垂らし、生成りのチュニックに毛織のズボン、足元は頑丈な編み上げブーツという実用本位の格好だった。アクセサリーは着けておらず、飾りらしい飾りといえば、髪を束ねた紫色のシルクのリボンだけだ。


「山歩きをすると思ったから、こんな格好で来てしまったけれど、変かしら」


 今さらながら、邪魔にならないチョーカータイプのネックレスくらい着けてくればよかったと後悔する。

 けれどダンカンは目を見開き、「とんでもない!」と両手をぶんぶん振ってみせた。


「そうしていると、貴女はまるでアンドルディアのようだ」


 アンドルディアはこの世界の地母神の娘で、春を司るといわれる女神だ。

 それはまた、フレイヤの胸の奥底に棘のように突き刺さる、ある記憶を呼び覚ます名前でもあった。


『エルシーはまるでアンドルディアみたいだ』


 それはエルシーの母親がまだ国王と再婚する前、地方の女伯爵だったころ。

 幼いエルシーとアリスター、それにフレイヤの三人は春の野原で遊んでいた。花々に囲まれて座るエルシーを見て、アリスターがふと漏らしたつぶやき――。


『エルシーはまるでアンドルディアみたいだ』


 原作では、それは長らく心を閉ざしていたアリスターが、初めてエルシーへの淡い思いを自覚する印象的な場面(シーン)だった。

 けれど、自分のことしか見えていないフレイヤは、すかさず二人の間に割り込んでいく。


『あたしは? ねえアル、あたしは誰みたい?』

『え、フレイヤ? フレイヤは――』


 アリスターは困ったように眉根を寄せた。


『………特に思いつかないや。フレイヤはフレイヤだろ』


 その言い方にエルシーとの明らかな差を聞き取ったフレイヤは「いや――っ!」と地団駄を踏んで駄々をこねる。


『フレイヤも! フレイヤも何かの女神様みたいって言って!』

『じゃあ、フレイヤはネフィトリテみたい』


 脇からエルシーが口を挟んだ。ネフィトリテはやはり地母神の娘だが、地下に住む冬の女神である。


『ちょっと。エルシーは黙ってて!』


 フレイヤは怒鳴った。フレイヤはアリスターに聞いたのだ。アリスターに決めてほしかった。

 なのに。


『ははっ、確かに! フレイヤはネフィトリテみたいにおっかないな』

『でしょう? エルシーもそう思ったの!』


 そう言うと、二人は声を揃えて笑った。しばしば悪役として昔話に登場する意地悪な女神に喩えられ、フレイヤがどれほど傷ついたかなど気にもせずに。


「………フレイヤ?」


 気遣わしげなダンカンの声で、束の間の追憶は破られた。


「私は何か、貴女の気に障るようなことを言ってしまっただろうか」

「いいえ――いいえ」


 私は微笑んで首を横に振る。

 深く刺さった心の棘が、ゆっくりと解けていくのを感じながら。


「嬉しいですわ。わたくしのことをそんなふうに言ってくださったのは、後にも先にもダンカン様が初めてですもの」

「だとしたら、人の子らは揃いも揃って見る目がないな」


 私を見上げるダンカンの瞳はどこまでも優しく、私は不意に自分の鼓動が高鳴るのを感じた。


「あの! そ、そろそろ行きましょうか?」


 火照った頬を見られたくなくて、あわてて顔を背けた私は、けれど、鋭く尖った山頂に雪を被ったアクイラ山を目にしてはたと黙り込んだ。


(これって………)


 どう見ても素人が、しかもこんな軽装でホイホイ登れる山ではないのでは。

 たらり、と私のこめかみを冷や汗が伝う。

 その時だった。


「ꯂꯥꯀꯎ, ꯒꯣꯂꯦꯝ꯫」


 ダンカンの声がしたかと思うと、その足元に落ちた影がむくりと身を起こした。

 影はみるみる形を変え、黒光りする毛皮に覆われた巨大な熊に変化する。


「き、騎獣……!」

「よくご存知だ」


 息を呑む私に、ダンカンが顔をほころばせた。

 原作の終盤、フレイヤの死体から炎の魔石(ブリ―シンガル)を取り戻したダンカンは、長らく失っていたドワーフのスキルを使えるようになる。

 その一つが騎獣の召喚だ。騎獣は地底の鉱物から錬成される人造生物(ゴーレム)である。


「どうぞ、お乗りください」


 ダンカンが熊の肩を軽く叩くと、ゴーレムはおとなしく腹這いになった。同時にその横腹がゆらりと波打ち、黒い梯子が現れる。毛皮のように見えた体表は、よく見れば滑らかな金属でできていた。

 さらにその背中がくぼんで前後に二つ並んだ鞍と、足をのせるための突起が形作られる。

 おっかなびっくり熊の脇腹をよじ登り、後ろの鞍にまたがれば、続いて上ってきたダンカンが前の鞍に腰を落ち着けた。


「しっかりつかまっていてください。少し飛ばしていきますから」


 声と同時に、すさまじい風が私の顔を打った。

 熊が走り出したのだ。

 反射的にダンカンの背にしがみつく。私たちの両側を、収穫の済んだ畑や生垣がすごい勢いで飛び過ぎていった。


(ちょ、これバイクよりスピード出てるんじゃ……?)


 叩きつけるような強風に薄目を開けて前方を見れば、アクイラ山がぐんぐん近づいてくる。

 やがて熊は緩やかにスピードを落として立ち止まり、地面に溶け込むように沈んでいった。

 後には見覚えのある黒い一枚岩(モノリス)が屹立している。

 結界石だ。


「ꯑꯣꯄꯟ ꯇꯤꯜ꯫」


 つるりとした表面を指先でなぞりながら、昨夜古文書で探し当てた解呪の言葉を唱えれば、夢で見た景色そのままに、あたりの大気に波紋が広がり、石は音もなく崩れ去った。


「行きましょうか」


 私たちはどちらからともなく頷き合い、揃って山へ入っていった。

 背後からこっそりついてくる、黒い人影には気づかずに。


◇◇◇


「ここだ」


 ダンカンの声が岩天井にかすかにこだました。

 アクイラ山の中腹に開いた天然の洞窟の中である。

 私たちが辿ってきた本道は、少し先で三つに分かれていた。


「右の道の突き当たりで、最初の鉱脈が見つかるはずだ」


 それまで先に立って道案内をしていたダンカンは、手にしたカンテラを私に渡すと、どうぞと言うように脇に避けた。


「一緒に来てはくださいませんの?」

「そうして差し上げたいのは山々だが、貴女がここの所有権を得るには、貴女が最初に鉱脈を見つけなければならないのだ」


 私が怖がっていると思ったのだろう。ダンカンは安心させるように微笑んだ。


「大丈夫だ。私はここにいる。何かあればすぐに駆けつけるから」

「わかりましたわ。突き当たりまで行ったらお呼びしますから、すぐにいらしてくださいね」

「承知した」


 ダンカンがしっかりと頷いたのを確認すると、私は三叉路の右の道に踏み出した。手探りで壁を確かめながら、一歩、また一歩と慎重に歩いていく。

 曲がりくねった道なりに百歩ほど進んだ先で、道は岩壁に突き当たり、行き止まりになっていた。

 私はカンテラを地面に置いてしゃがみこむ。あたりはしんと静まり返り、ただ私の心臓だけが、口から飛び出しそうにどきどきしていた。

 最初の鉱脈は、間違いなくここにあるはずだ。

 慌ただしく手櫛で髪を整え、カンテラに手を伸ばしたときだった。

 背後から――ダンカンがいるはずのあたりから――不意に罵声と、大きな物音が聞こえてきた。

 同時に誰かが、何かが私を地面に押し倒し、カンテラをぐしゃりと踏み潰した。


◇◇◇


 ほっそりした後ろ姿が、おぼつかなげな足取りで岩角を曲がって消えるまで、私はフレイヤを見送っていた。

 ここまで、細心の注意を払って彼女を連れてきた。

 彼女自身が確実に最初の鉱脈を見つけるように。この山の主になれるように。

 それが今の私にできる、精一杯の恩返しだと思ったからだ。

 私は口を僅かに開き、洞内のひんやりした空気を深く吸い込んだ。

 ドワーフの口蓋の裏側には、鉱石(いし)の匂いを嗅ぎ分ける特殊な器官が備わっている。

 こうすることで、より鮮明に、あたりに眠る鉱脈の匂いを嗅ぎ取れるのだ。


(ああ、ここはいい鉱山(やま)だ)


 地下には幾重にも張り巡らされた蜘蛛の巣のように鉱脈が広がり、夜空に輝く星々のごとく、数々の宝石や希少な金属が眠っている。あの女性(ひと)はきっと喜んでくれるに違いない。

 だが、その前に――……。


「いつまでそこにいるつもりだ、ローガン」


 私の声に、背後の岩陰からローガンがのっそりと姿を現した。


「族長の命令が聞けないのか。ついてくるなと言ったはずだ」

「ああ。だがあんたのやってることは正気の沙汰とは思えない」


 そう言うと、ローガンは手にしたハンマーであたりをぐるりと指してみせた。


「見ろよ。ここは文字通り宝の山だ。鉱脈の規模はヴァルカニア級――いや、手つかずってことを考えればそれ以上だ。こここそ、俺たちの新しい王国にふさわしい!」

「だが、ここの主はフレイヤだ」

「違う。最初に鉱脈を見つけた者が、山全体を所有する」

「そうとも。だからここはもうフレイヤのものだ。今ごろ最初の鉱脈を見つけているはずだからな」

「さあ。それはどうかな?」


 にやりと口許を歪めるローガンを見て、私はさっと蒼褪めた。


「ローガン! 貴様、彼女に一体何をした!?」


 叫ぶと同時に騎獣を召喚する。


「行け。彼女を護れ!」


 洞窟の床から現れた金属の熊は、私を乗せると地響きを立てて洞窟の奥へと駆け出した。


「させるか!」


 私の横を、狼型の騎獣にまたがったローガンが追い越していく。


「くそ!」


 私は洞窟の岩壁から茨のゴーレムを作り出し、狼ごとローガンを縛り上げた。


「もう遅い、ダンカン! 俺は自分のゴーレムに、最初に鉱脈を見つけた人間を殺すように命じたんだ!」


 石の茨に巻きつかれ、狼ごと床に縫い留められたローガンが背後で叫ぶ。


「………っ!」


 私の脳裏に次々とフレイヤの面影が浮かんでは消えた。

 王宮で初めて出会った時の煌びやかなドレス姿。私を覗き込む真摯な眼差し。コゼットと手を繋いではしゃぐ、童女のように無邪気な笑顔。拗ねたように唇を尖らせた時の、私に微笑みかけた時の、どんな宝石より美しい紫水晶(アメジスト)の瞳――。


「フレイヤ! 無事か、フレイヤ!」


 お願いだから返事をしてくれ………!

 最後の岩角を曲がった時、真っ先に目に飛び込んできたのは、岩壁にきらめく金鉱の下にうつ伏せに倒れたフレイヤと、その背に太い前足を乗せた石の狼だった。

 潰れて火の消えたカンテラが、その傍らに転がっている。

 全身の血が逆流するような怒りとともに、私の視界が真っ赤に染まった。


「――っ‼︎」


 騎獣から飛び降りざまに振り下ろしたツルハシが、狼の目に深々と突き刺さる。ゴーレムは砂と化して崩れ落ち、同時に背後でローガンの苦痛に満ちた悲鳴が響いた。

 私はツルハシを放り出し、一目散にフレイヤに駆け寄った。


「フレイヤ。ああ、フレイヤ。何ということだ。我々は貴女に何ということを………!」


 ところが。

 まだ温かいその身体を抱きしめ、悲嘆に暮れる私の腕の中で、フレイヤがふいに身じろぎした。


「………ダンカン、様?」

「フレイヤ!」


 信じられない思いで、私はフレイヤの顔を覗き込んだ。

 解けた長い金髪が、その顔をすっぽりと覆い隠している。


「真っ暗で何も見えませんわ………」

「あ、ああ。そうだな、すまない。気づかなかった」


 地下に住むドワーフは夜目が利く。カンテラなどなくても、この程度の暗さなら昼間も同然だが、人間族のフレイヤにとっては月のない夜に等しいだろう。


 私は彼女を抱えたまま予備のカンテラに灯を灯し、改めて彼女の顔にかかった長い髪をそっと掻き上げた。


「………っ⁉︎ これは………」


 彼女は、紫色の細長い布できつく目隠しされていた。


「一体誰がこんなことを」


 ぐるぐるに巻かれた布を解きながら、憤懣やるかたなくぶつぶつと呟く。

 目隠しが取れると、彼女はゆっくり目を開けた。カンテラの光が眩しいのだろう。何度か瞬きしてから、ようやく私を見て微笑む。


「ダンカン様」

「フレイヤ、無事か? どこか痛いところはないか?」

「大丈夫ですわ。それよりも、手を」

「手? ………あ!」


 聞き返してから、今さらのように自分が彼女をしっかりと抱き抱えていたことに気がついた。


「こっ、これはとんだ失礼を!」


 大慌てで手を離し、ぎこちない動きで立ち上がった彼女の前に平伏して額を床に擦りつける。


「ご無礼の段、幾重にもお詫び申し上げる!」

「無礼だなんて。私を心配してくださったのでしょう?」


 笑いを含んだ声と同時に、彼女のたおやかな指先が優しく私の手の甲に触れた。


「そんなことより、どうぞ、ご自分の手をご覧になって」

「私の手、ですか? 一体………っ!」


 言われるままに目を上げた私は、自分の右の手の甲に浮き出した紋様を見て仰天した。

 それこそは山の所有権を得た者の(しるし)

 本来ならフレイヤが手にするはずだった――。


「な……なぜ………」


 細心の注意を払って彼女を案内した。間違っても自分が先に鉱脈を見つけてしまわないように。

 なのに。


 ――最後の岩角を曲がった時、真っ先に目に飛び込んできたのは、()()()()()()()()()()()()うつ伏せに倒れたフレイヤと――……。


 あの時、彼女は目隠しをしていた。

 あれでは目の前に金鉱があっても見つけられるはずがない。

 その時、私は雷に打たれたように気がついた。彼女の目を縛っていた紫の布が、今朝、彼女の髪を束ねていたシルクのリボンだったことに。

 私は思わずフレイヤの細い両肩を掴んで揺さぶった。


「まさか……自分でやったのか?」


 私が最初に鉱脈を見つけられるように?

 フレイヤは悪戯が見つかった子どものような顔でくすりと笑った。


「苦労しましたのよ。万が一にも途中で見つけたりしないように、突き当たりまでは目をつぶって歩いてみたり」

「一体どうしてそんな真似を……」


 フレイヤは肩をすくめ、何でもないことのように言う。


「だって、あなた方には新しい住まいが必要でしょう?」

「馬鹿な! 貴女は自分がどれほど莫大な富を手放したか知らないから、そんなふうに言えるのだ!」

「あら。わたくしはもうじゅうぶん豊かでしてよ?」


 オークス侯爵家といえば、王国で一二を争う大富豪ですもの。

 そう言って無邪気に胸を張る姿を見て、私は思わず天を仰ぐ。


「貴女はこの事の重大さをちっともわかっていない! いいですか。この山に眠る富は、一貴族のそれなど軽く凌駕する。鉱脈を二つ三つ掘っただけでも、王国をひとつ贖えるほどの富が手に入るのですぞ!」


 ほとんど叫ぶように言った私を見て、フレイヤはゆっくりと微笑んだ。


「ならばなおさら、贈った甲斐があるというものですわ。王には王国が必要ですもの」


 カラン。


 不意に聞こえた物音に振り向けば、そこには蒼白な顔をしたローガンが立ちつくしていた。片目を押さえた指の間から、いく筋もの血が流れ落ち、足元にはハンマーが転がっている。


「まあ、ローガン。何てこと! ひどい怪我だわ。すぐに手当てを………」

「いらん」

「放っておけ!」


 気遣わしげなフレイヤの声と、ローガンと私の声が重なった。


「でも……」

「こいつは貴女を」

「俺はあんたを」

「「殺そうとしたんだ!」」


 フレイヤは不思議そうに、ローガンと私を見比べる。

 まだよく呑み込めていない様子の彼女のために、私は重い口を開いた。


「あの狼は、ローガンのゴーレムだ」


 ゴーレムとその召喚主とは魔力によって繋がっている。ことに遠隔で操作する時は、魔力だけでなく召喚主の霊体も分け与えるのが一般的だ。

 霊体が傷つけば肉体も傷つく。

 あの時、狼の目に突き立った私のハンマーは、同時にローガンの左目も傷つけたに違いない。


「ローガン」


 私の声に、ローガンはのろのろと目を上げてこちらを見た。


「おまえを我が一族から追放する」


 フレイヤが息を呑む気配がしたが、私は構わず言葉を続ける。


「今後、おまえがこの山に入ることを禁ずる。オークス侯爵領に入ることを禁ずる。ヴァルカンの血筋を名乗ることを禁ずる!」


 こいつがここで仕出かしたことは、本来なら死に値する重罪だ。

 けれど、私にはどうしてもこの異母弟を殺すことはできなかった。


「ここに我らとおまえの絆は断たれ、道は分かたれる。さらば」


 そう言うと、私はローガンにくるりと背を向けた。

 やがて、背後でひとつの足音がためらいがちに歩き出し、ゆっくりと遠ざかり、しまいに消えてしまっても、私は長いことその場に俯いたままでいた。

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