91:ドングリを拾いに
猫や犬たちのヒゲ予報の通り、村に台風がやって来た。
村ではその助言に従って作物の収穫を早めたり、添え木や覆いを取り付けたり、外にあった植木鉢や農具をしまったりと数日間忙しかった。
今日はいよいよ風が吹き、雨が降ってきたので皆家の中に入っている。
木で出来た雨戸まできちんと閉めた家の中は昼でも夜のようで、どの家も朝から明かりを付けて過ごしていた。
空はこの前隣村で買ってもらった絵本を眺めながら、不安げな顔を浮かべて締め切られた窓の方を見た。
雨戸がガタガタと風に揺れ、激しい風雨が家に叩きつけられる音が絶え間なく聞こえている。時折雨戸の僅かな隙間から雷光が漏れ、次いでどこかに落ちたような激しい音が響いて、その度に空はビクリと首をすくめた。
「大丈夫よ、空。この家は丈夫だから」
「うん……」
「そうだぞ、空。ヤナの結界が少しだけだが風雨を弱めているし、風で木や物が飛んで来てもそれは防げるし、心配することはないのだぞ?」
「そうなの? ヤナちゃんすごい……」
そうは言いつつもそれでも音は激しいので、その外は一体どんな状況なのだろうと思うとやはり不安になる。
「アオギリさまは、そういうのしないの?」
村全体を守るような事はしないのかと空が問うと、雪乃もヤナも首を横に振った。
「そういう事はしないのよ。これも自然の摂理だから」
「うむ。出来なくはないがやらないのだぞ。無理に嵐の道をねじ曲げるような真似をすれば、必ず後でしっぺ返しが来るのだ」
「しっぺがえし……ってどんなの?」
何だか怖くなって聞いてみると、そんなにすぐにそうと分かるものでもないとヤナは笑った。
「例えばこれから大雪になるかもしれないし、あるいは来年日照りになったりするかもしれない。もっと何年も先に思わぬ影響が出て、それがそうだと気付かないこともあるかもしれないのだぞ」
「そうね。それに、ずっと何もなく穏やかだったら、きっと私達は備え方を忘れてしまうわ。そうして出来た隙が元で、いつかもっと大きな事故が起きたりするかもしれないわね」
それは確かにありそうで、空も納得できるたとえ話だ。
うんうんと頷くと、すぐ隣にいた幸生が手を伸ばして空の頭を優しく撫でる。
「大分昔の話だが……他所の土地で台風の通り道を土地神が曲げて逸らせたら、それが来るのを楽しみにしていた近くの土地の龍に怒鳴り込まれて、神同士で大喧嘩になって村が半壊した事があったらしい」
「え、こわ……」
そっちの方が台風より遙かに恐ろしい。
そんなしっぺ返しの可能性があるなら、台風くらい大人しく備えて迎えた方が確かにずっと良いだろう。
「今年は猫宮さんたちが教えてくれたし、ちゃんと備えてあるから大丈夫よ。だから今日は大人しくお家で遊んでましょうね」
「うん!」
そのあと空は雪乃と絵本を読み、幸生とヤナと一緒にパズルをしたりして楽しく遊んだ。
風雨の音は、いつの間にか気にならなくなっていた。
台風は一晩で通り過ぎ、次の日もその次の日も天気は快晴だった。風はまだ少し残るが、穏やかで暖かい日だ。
しかし今回の季節外れの台風は村のあちこちに少しばかりの被害をもたらし、村人は総出でその対処に追われることとなった。
米田家の裏庭にも沢山の葉や枝が散り、それをヤナと空で一生懸命片付けた。幸生や雪乃はもっと深刻な場所の手伝いに駆り出されたからだ。
二人の頑張りによって裏庭も畑も台風の次の日には大分綺麗に片付いたが、村の中の片付けはまだ終わっていないらしい。
川の水が増水したせいで川に掛かる橋に流木などが絡みついて撤去が必要だとか、どこかのため池の土手が崩れたり、小屋の屋根が壊れたりして、修復が必要だとか。
風を嫌がった果樹が勝手に移動して他の家の土地に入り込んだから戻すのを手伝って欲しいとか、畑に植えられていた白菜が逃げ出して探していますとか。
ありふれた問題から、この田舎ならではの問題までアレコレと持ち上がり、雪乃も幸生も、台風から二日目の今日も忙しく、朝から出かける予定らしい。
朝食を食べ終えた空が二人を見送ろうと玄関で待っていると、ちょうどそこに明良が訪ねてきた。
「おはよーございまーす! あ、そら、いた!」
「あ、アキちゃんおはよー!」
久しぶりに友達の顔が見られて、空は大喜びで明良を迎え入れた。
明良も嬉しそうに玄関に入ると、ちょっと興奮した様子で空を外へと誘った。
「なぁそら、いっしょにじんじゃいかない? すっごくいっぱい、ドングリがおちたんだって!」
「どんぐり? いきたい!」
投石器が届いたばかりで使ってみたかった空は、ドングリと聞いて目を輝かせて頷いた。しかし頷いてからハッと気付く。神社は結構遠く、小さな子供だけでは出かけられない。しかし今日は雪乃も幸生も忙しいのだ。
「ぼくんち、じぃじもばぁばも、いそがしいかも……」
「そらのとこも? うちもそうなんだ……」
二人で肩を落としていると、幸生らとヤナがちょうどやって来た。
「おはよう明良くん。どうしたの、二人してしょんぼりして」
「おはよーございます……そらとでかけたかったけど、むりかなって」
「ばぁば、あんね、じんじゃにどんぐり、いっぱいなんだって」
二人の話を聞いて、大人たちはその気持ちを理解した。
バス便で届けられた投石器に空がはしゃいでいた事を、幸生もヤナもよく知っていた。
しかし米田家の庭でその弾になりそうな物は、身化石か大きなダンゴムシくらいしかない。それらを弾にして飛ばすのを空は当然ためらった。
近いうちにドングリでも拾いに行こうと空と雪乃は約束していたのだが、ちょうど良い日がないうちに台風が近づき忙しくなって、そのままだったのだ。
風が吹いて落ちたドングリを拾いに行きたいという空の希望に、ヤナが声を上げた。
「なら、ヤナが一緒に行こう」
「東地区から離れちゃうけど大丈夫?」
「神社ならアオギリ様の守りもあるし、何事もなかろう。アオギリ様は縄張りへの侵入にも寛大なのだぞ。ヤナが子供らと入るくらい気になさらぬ」
「……何かあったら近くの安全地帯に走るか、結界を張って、人を呼べ」
「うむ、心得ておるぞ。だが大丈夫だろう。いざとなったら幸生を待つゆえ心配するな」
「じゃあ、皆で一緒に出て、途中まで一緒に行きましょうか」
雪乃の言葉に空は大喜びで、急いで自分のおもちゃ箱のある場所へ走った。
おもちゃ箱の一番上には、絵本やぬいぐるみに混じって、この前届いたばかりのカブトムシの角の投石器が大事に入れられている。
どうやって加工したのかさっぱりわからないが、それは以前の形に近いまま二回りくらい小さくなり、持ち手には滑り止めの革紐が巻かれ、丈夫でよく伸びるゴムが取り付けられている。本当はゴムじゃないのだが、それについては忘れることにしていた。
材料はともあれ、見た目は空の知識にあったパチンコと呼ばれる投石器――というには子供の玩具みたいな物だが――そのままの出来上がりだ。
前世でも漫画か何かで見かけて知っているというだけで実物で遊んだことはなかったので、こうして実物を手にすることが出来たのもまた嬉しい。空の手にはまだ大きいのだが、力が強くなったこともあって落とす事なく持つことが出来た。
空はパタパタと駆け戻って、それを明良に差し出して見せた。
「アキちゃん、これ! かぶとむしのつので、つくったの!」
「あ、ほんとだつのだ! これなにするやつ?」
「いしとか、どんぐりとか、ぱちんってやってとばすの!」
「へ~! みてみたい!」
ゴムを引っ張って伸ばしたり弾いたりしながらはしゃぐ空に、雪乃が何かを持ってきて声を掛けた。
「空、はいこれ。今日はまだ風があるから上着を着てね。あと、これは前に言ってた、ドングリを入れる籠よ」
そう言って差し出されたのは竹で編まれたとても小さな籠だった。
大きさは十センチ四方くらいで、腰に着けられるように蔓で編まれたベルトが付いている。厚みは五センチくらいだろうか。空が開け閉めしやすい形の蓋と留め金が付けられ、ちょうど手を入れやすい口の大きさになっていた。
受け取って早速蓋を開けてみると、中は見えず、代わりに見たことのある七色のもやが渦を巻いていた。
「まほうのかばん!?」
「そうよ。善三さんに作ってもらったの」
「じゃあこれ、どんぐりいっぱいはいる!?」
「うんと入るわよ」
その言葉に空は大喜びだ。それを雪乃はニコニコと嬉しげに見つめた。
こんな小せえのに付与とか面倒くせぇ、そんな大容量は無理だ、などと散々文句を言われたのを無理矢理説き伏せた事は、とりあえず秘密だ。
空はそんな事情も知らず、腰に籠を付けてもらうと嬉しくてくるくるとその場で回った。自分の尻尾を追う子犬のような可愛らしい動きに、パーカーにさっそく入って寛いでいたフクちゃんがくるくると目を回している。
「空、そろそろ出かけるのだぞ」
「いこう、そら!」
「うん!」
明良とヤナとしっかり手を繋いで、雪乃や幸生と一緒に門の外に出る。
村はあちこちから人の声や気配がして、何だかいつもより賑やかだった。
ドングリから続くこの話で、秋編は終了予定です。
本日二巻発売です! 良かったらよろしくお願いします~!
活動報告にて、御礼やお知らせなど記載しております。
それと、二巻発売記念にSSを書きましたので、こぼれ話として掲載しています。
シリーズから飛べますので、良かったらご覧ください。




