81:コケモリ様に会いに
「良かった……ここはコケモリ様の森の入り口っぽいな。お呼びみたいだ」
「コケモリさま……?」
「そう。まだ会ったことないか?」
問われて頷き、それから空は考える。確か随分前にその名を聞いたことがある気がした。記憶の中から一生懸命その名前を引っ張り出す。
「まえに……やよいおねえちゃんが、あいにこいって、いわれたっていってた?」
「ああ……んで、まだ行ってなかったのか?」
「うん。ぼく、からだよわかったから」
それでか、と良夫は納得して頷くと、着ていた黒いパーカーのポケットから十センチ四方くらいの紙を取り出し、更にペンを出して何かを書き付ける。
「コケモリ様が呼んだって事は、会うまで山から下りれないだろうから……伝言しとくな」
伝言が書かれた紙は二つ折りにされ、そこに良夫がフッと息を吹きかけると、紙は勝手に折りたたまれて折り紙の鶴の形になった。
「わぁ……」
「米田家の、雪乃さんとこに」
そう言って良夫が摘まんだ手を離すと、鶴がふわりと飛び立つ。木々の隙間を抜けて上へと登った鶴はあっという間に見えなくなった。
「これでよし。じゃあ、行くか……ええと」
良夫は歩き出そうと一歩足を出してからふと立ち止まり、空を振り返ってその姿を足下から頭まで眺めた。
「小さいな……今、何歳?」
「さんさい!」
「そっか……じゃあ、山歩きは無理だな。ほら、おんぶしてやるよ」
空のサイズを見て、一緒に歩くのは効率が悪いし無理だろうと良夫は判断したらしい。空に背を向けてしゃがみ込み、後ろ手に腕を広げてくれた。
空はそれに目を見開き、自分の中の良夫の印象を新たにした。
実力はこの前の稲狩りで見てすごいと純粋に思っていたのだが、性格的には自分の祖母に悪態をつきつつも敵わない、今時のだるそうな若者という印象を持っていたのだ。
けれどこうして小さな子に躊躇わず背を差し出してくれる優しさを、良夫はちゃんと持っている。
加えて、空のおだてに乗って頑張ってくれたり、面倒くさそうにしながらも村の当番をちゃんとこなして空を迎えに来てくれたりしているのだ。段々ただの良い人に見えてきた。
この村の人はやっぱり皆優しい、とありがたく思いながら、空は負ぶってもらう前に腕に抱えていたフクちゃんを差し出した。
「あの……フクちゃんもいい?」
「ん、ああ。それ、普通の鳥?」
「ううん、みけいしからかえった、しゅごちょー? ちいさくなれるよ!」
「お、いいな、当たり引いたんだ? 珍しいな」
空がそう言うと、良夫は珍しそうにフクちゃんを眺め、それからいいよと頷いた。
フクちゃんは体を元のサイズに戻して空のパーカーのフードに潜り込み、空と一緒に良夫の背に乗せてもらった。
良夫は空を背負ってよいしょと立ち上がると、草地の真ん中にひょこんと立ったままの白いキノコへと近づき、それを片足でぷぎゅっと踏み潰した。
ぽふ、と軽い音と共にキノコから胞子がふわりと散り、それが風があるわけでもないのに森の奥へと飛んで行く。細い筋のようにたなびいた胞子はすぐに見えなくなってしまったが、良夫はそれが飛んでいった方向へと足を進めた。
空は良夫の肩越しに木々の間を覗いて声を上げた。
「わぁ、きのこはえた!」
薄暗い森の地面にぽつりぽつりと明かりが灯ったかのように、胞子が飛んでいった先で白いキノコが間隔を空けて次々に姿を現す。
「ああ。こいつが案内してくれるからな」
良夫は森の奥を見て、道案内のキノコが途切れずに続くことを確かめてから足を踏み出した。
トン、トン、と木の根を蹴るような軽快な歩調で、良夫は森を進んで行く。
薄暗い森は一人と一羽だけだと気味が悪く心細いばかりだったが、一人ではなくなった途端に空は景色を見る余裕を取り戻しつつあった。パーカーの中からはフクちゃんがピ、ピ、と鳴く声が微かに聞こえている。
行き先を示すキノコは大分先まで生えているようで、時間が経つにつれて少しずつキノコが大きくなってきたように見える。それを不思議に思っていると、もうちょいだな、と良夫が呟く。
「もうちょいなの?」
「ああ。この道標のキノコが大きくなってきたからな。これがもう倍くらいにデカくなると、コケモリ様の住処だ」
「ふぅん……ね、おにいちゃん。コケモリさまって、なに?」
空が問うと、良夫はううん、と唸って少し考え込む。
「何って聞かれると困るな……何だろアレ。うーん……多分、キノコ?」
「きのこ……?」
「何つーか、まぁこの辺の山神っぽいのの一柱なんだけど……悪いもんじゃない。人が好きで、昔から村と仲が良い。山の恵みを分けてくれたり、山を統治して悪いもんが入り込まないように守ってくれてたりする、そういう何かかな……わかるか?」
「んと……いいかんじの、たぶんかみさま?」
「あー、そういう感じ」
神様がキノコだというのは不思議だったが、空は何となく納得できるような気もした。
空の乏しい前世の記憶の中で、世界で一番大きな生き物はキノコだという話を聞いたことがあったように思うのだ。森や山を一つ飲み込むほどに菌糸を広げ、群体を作るような存在に、魔素が宿ったなら。
それが意思を持つというのは何とも不思議な事だと思うが、そんな大きなものなら神と呼ばれても不思議ではないのかもしれない、という気もした。
「ぼく……たべられるきのこがすきだなぁ」
「まぁ、普通そうだろうな」
緩い会話を交わしつつ、進むごとに森は段々と深くなる。
道案内のキノコはさらに大きく育ち、今はもう五十センチくらいはありそうになってきた。
「きのこ、おおきい……」
「ああ、そろそろだ。ほら、周り見てみな。生えてるの、木じゃなくなってるだろ」
良夫はそう言って足を止めた。
驚いて空が上を見上げると、いつの間にか木々や葉が見えなくなっている。
「ひょえ……」
木々の代わりにそびえ立っていたのは、なんと同じくらい巨大なキノコだった。
「あれ……みんなきのこ?」
「ああ。こっからだと茎と裏のヒダしか見えないな。あっちに、もうちょい小さいのがあるぞ」
言われて右の奥を見れば、確かにもう少し小さいサイズのキノコから、低木のように低めの、それでも一メートルから二メートルくらいはありそうなキノコがひしめき合って生えている。
キノコらは、色や形も色々だ。白い茎に赤い傘の絵本に出てきそうなものから、傘が編み目になっている優美なもの、茶色くて艶のある細身のものや、何だか全体的に紫色のものなど、さまざまな種類があるようだった。
「きのこ……いっぱいだぁ」
何となく不気味だな、と思っていると、不意に良夫がぴょんと跳ねた。
驚いて下を見れば、いつの間にか足下にまでキノコが生えてきている。良夫は少しずつ大きくなるキノコの上に飛び乗り、ぼよんぼよんと揺れるそれらを器用に渡って奥を目指す。
道案内の白いキノコはいつの間にか群れに飲み込まれるようにして姿を消し、気付けば足下も周りも色とりどりのキノコでいっぱいだ。
良夫はさほど迷いもせず、背が低めのキノコが重なり合って作った道のような場所を進んでいった。
マイタケの天ぷらが食べたい。




