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僕は今すぐ前世の記憶を捨てたい。  作者: 旭/星畑旭
夏の青空

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34:蛍火の見せる夢

 

 田舎の夜は暗い。

 空が家から一歩外に出て最初に思ったのはそんな事だった。

 玄関の明かりが照らす範囲は一応見えるけれど、その向こうは空にとって足が竦むほどの暗闇だった。遠く家の外の方に視線を向けてもそれは変わらない。家々から漏れる明かりと、ぽつりぽつりと遠い間隔で配された街灯だけが主な明かりなのだ。上を見上げれば半月と無数の星が美しい。しかしその月の光も空が歩くには心許なかった。

「空、大丈夫か?」

 空の足が竦んだことは手を繋いでいたヤナには伝わったらしく、心配そうに顔を覗き込まれた。

「ヤナちゃん……おそと、くらい」

「え、そうか? あ、もしかして空は夜目が利かぬのか? 今日は半分だが月もあるし、明るい方なのだが」

「そうなの? ぼく、みえないよ」

 心細くなって小さな声で呟くと玄関から幸生が遅れて出て来た。ヤナは幸生の顔を見ると、空の手を優しく引いて玄関前に戻してくれた。

「幸生、空を負ぶってやってくれ。夜目が利かぬらしい」

「ああ、なるほど……空」

 幸生は一つ頷くと空に向かって手を伸ばした。逞しい腕が空の体をぐんと持ち上げてくれる。

「肩車とおんぶと、どっちだ?」

「うんと……かたぐるま!」

 問われて応えると、幸生はゆっくりと空を肩に乗せ、手を取ってしっかりと頭にしがみつかせた。がっしりした肩に座ると、暗かった景色も大分怖くなくなる。

「さ、行くか。もうそろそろ雪乃らは始めておるだろ。向こうに行けば多少は明るいさ」

 ヤナに促され、幸生は確かな足取りで歩き出した。

 空は高くなった視界から一生懸命周囲を見回したがやっぱりほとんど景色が見えない。それでも先に進むとわいわいと暗がりの向こうに誰かがいる賑やかな声がしてくる。

 幸生とヤナは迷い無く暗闇を進み、住宅街を抜けて田んぼの脇を通り、やがてその田んぼの北側を流れる川の辺りまで近づいた。


「わぁ……あ?」

 空は辺りを見回して目を見開いた。まだ少し遠い暗闇の先に沢山の光が灯っている。それは空が想像するよりずっと数が多く、そして明るかった。

「あれがほたる? なんか……おおきいね?」

 結構距離があるはずなのに、すごくはっきりと光が見える。首を傾げると、ヤナが空を見上げて頷いた。

「いや、あんなもんだろう……ああ、都会は虫も小さいのだったか? あれらはそうだな……一匹が雪乃の手くらいの大きさはあるかの?」

 そうすると大体十五センチくらいはあると言うことだろうかと、空は遠い目をした。十五センチの虫が発している光は大体直径五センチくらいはあるように見える。

 はっきり言って蛍の光と言うよりも、前世で見たクリスマスの電飾のように明るい。それ以上かもしれない。綺麗だが、蛍と聞いて想像していたものよりも情緒は薄いように空には思えた。

「あかるいの、いいね」

 とりあえずそこだけは褒めておいた。でも暗闇の向こうからブーンブーンと大量の羽音がうっすらと聞こえてきて、それはちょっと怖い。本体が大きいから羽音も大きいらしい。

 あんまり近づきたくないなと思っていると、その心を読んだかのように幸生は川からある程度離れた場所で足を止めた。


「……この辺で良いだろう。あまり近づくと鬱陶しい」

 この川は村の北の集落と田畑がある中央部を分けるように、緩やかに蛇行しながら東から西に向かって流れている。上流は田畑の端の辺りで北東に向かって緩やかに曲がり、その先は今は真っ暗で見えないが山間の谷に続いているらしい。蛍の群れは川の上流の方の、両脇の林の辺りからふわふわと下りてくるように見えた。

 空は周りを見回した。暗くて良くわからないが、周囲には同じように蛍狩りを見物に来たらしい家族が何組もいる。それとは別に川の土手際に等間隔に人が立ち並んでいるのも蛍の明かりによって見えた。

「空、あそこに並んでいる者らの中に雪乃がおるぞ」

「ばぁばが?」

 ヤナにそう言われて探したが、空には良くわからない。女性らしい小柄な影も何人か見えるから、その中のどれかなのだろう。

 空が雪乃を探している間に、蛍達は更に数を増やしている。ちかちかと瞬きながら無数の光が群れ飛ぶ様は美しかった。やがてその光は少しずつリズムを揃え、強さを増していく。


「そろそろか」

「そうだの。どれ」

 ヤナは幸生に頷くと、右の手を持ち上げひらりと動かした。途端、キンと硬質な音が一瞬響く。

「ヤナちゃん、なぁに?」

「結界だ。大丈夫だと思うが、一応な」

 空はその言葉に自分と幸生を見下ろしたが、特に何か変わったようには見えなかった。しかしヤナがそう言うのだから、空にはまだ良くわからないファンタジーな何かがあるのだろうと納得する。

「空、見てみろ」

 幸生に促されて空が川の方に視線を戻すと、丁度蛍が火を放つところだった。空はそれを見てポカンと口を開けた。

 チカチカと瞬く蛍達の間に火の玉としか言いようのない赤い光が次々に生まれ、それがヒュンヒュンと飛び交っている。大きさは多分蛍の光と同じくらいだろう。

 それら火の玉は川に落ちて消えるものも多いが、川向こうの住宅やこちら側の田んぼ、川原の草むらなどに向かっていくものもある。

 それを土手に立つ人々が壁のような物で防いだり、魔法をぶつけて相殺したりして消していく。

 その合間に魔法を飛ばして蛍自体を撃ち落としている人もいるらしい。

 空は目を丸くしてその様を見守った。


「この時期の蛍は番を求めて気が立っておるからの。オス同士がお互いを敵視し火魔法をぶつけ合うのだぞ」

「とんでくるの、それ?」

「うむ。あ、ほら空、雪乃があそこにおるぞ」

 ヤナが指さす方を見ると、細長い氷の槍のようなものが次々と火の玉と蛍を撃ち落とすのが空にも見えた。明かりは蛍の光だけなのではっきりはしないが、空はそちらに向かって声を上げた。

「ばぁばー、がんばって!」

 その声が聞こえたらしく、川原にいた一人が振り返ってこちらに手を振る。空も嬉しくなって手を振った。

 空は雪乃を見つけられてホッとし、幸生の頭に顎を乗せてぺたりと張り付いた。今日は蒸すし気温もそれなりにあるのでそうしていると暑いのだが、その温度が空を安心させてくれる。


「じぃじ……ほたる、ふしぎだね」

「そうか。嫌か?」

「ううん。ちょっとこわいけど、きれい」

 そういうと幸生はうむと頷いた。

「あれらも必死だ。この田舎のものは、皆生き残ろうと懸命だ。植物も、虫も、動物も」

「ふふ、もちろん人もだぞ。だから美しいのかも知れぬな」

「そっかぁ……」

 誰かの放つ魔法と蛍の火がぶつかり合って花火のようにパチパチと宙で弾ける。幽玄と言うには大きく多すぎる蛍の光も、こうして離れて見ていれば確かに美しい。それぞれの目的の為にぶつかり合う魔法が作り出す光景も、また美しかった。


 どれくらい時間が経ったのか、やがて人に追い立てられた蛍達は少しずつ上流の林の中へとまた戻っていき、その数を減らしていく。土手にいた人々も今日の仕事は終わりとばかりにゆっくりと動き出した。

 雪乃もまた周囲を見回し、危険がほぼ無くなったことを確かめると幸生らの所へ歩いてきた。

「雪乃、お疲れだの」

「おかえり」

「ただいま。あら、空は?」

 空の声がしないことに雪乃は首を傾げ、幸生の頭の上を見た。

「もう寝ちゃった?」

「ああ。少し前に」

 空は幸生にしっかりとしがみつきながらすぅすぅと寝息を立てていた。いつもならもう寝ている時間なので堪えられなかったらしい。

「空が、蛍の光も雪乃の魔法も綺麗だと言っていたぞ」

「ふふ、嬉しいわね。じゃあ帰りましょうか」

「ああ。今年は何日くらいだ?」

「そうねぇ、一週間くらいかしらね。その間空をお願いね」

「わかった」

 蛍達の襲来は今日一日で終わりというわけではない。番が見つかり卵を残せば乱舞に参加しなくなるが、羽化に多少の時差があることも多く、大体一週間から十日ほど蛍達は賑やかに活動するのだ。しかしもう少し全体の数が減れば人里まではやってこなくなる。

「もう一回くらい空を連れてきてやるかの」

「そうだな」

「ふふ、じゃあ張り切っちゃうわね」

 家族がそんな会話をしているのも知らず、空はすやすやとよく眠っていた。

 その眠りの中で、空はもっと小さく穏やかな蛍の群れの中で走り回って遊ぶ夢を見た気がした。

平和な回。

まだちょっと忙しくて鈍足です。

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― 新着の感想 ―
ボリビア人が蛍は怖いという。綺麗じゃないのというと、何千匹という蛍が、なぜか一本の木に集まって、同時に点滅するのだそうだ。地球の裏側にも異世界がある。
ま、まぁ、蛍は英語でファイアフライって言うしね…。そりゃ火の玉くらい出すよね…。
[一言] 平和な回(飛び交う火の玉を魔法で迎撃) 実にのどかで平和な日常ですね?
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