2-119:戦う者の決意
「おし、じゃあ稲刈りは明後日に決定だ! 暇な奴らはこれから準備するぞ!」
ひとまず話がまとまったところで、和義が大きな声で周囲に呼びかけた。
すると村人たちはおう! と気合いの籠もった声を返し、わらわらとばらけて移動を始めた。
「はざがけ用の台を用意しなきゃだな」
「おう、倉庫行こうぜ」
「やべぇ、大鎌の手入れ終わってねぇ」
「お前それは夏の間に終わらせとけよ!」
「明後日のお昼どうする? 地区で猪汁くらいは用意する?」
「そうねぇ、何か欲しいわよね」
村人たちは自分たちの役割をそれぞれが理解している。人々は自然と地区単位やこういう準備をするときに顔を合わせる者同士でまとまり、あちこちに散っていった。
後に残ったのはアオギリ様と龍花家の一家、米田家の一家、和義と善三。そして何でこうなったという顔をしている泰造と良夫だった。
「タイゾー、クライカオヨクナイヨ! カオアゲルヨ!」
「いや誰のせいで暗い顔してると思ってるんだこのお騒がせ精霊はよおぉぉぉ!」
「ワキャキャキャキャ!」
泰造は肩の上で顔をペしペし叩いて好き勝手言っていたテルちゃんをガシッと捕まえ、ブンブンと縦に細かく揺さぶった。テルちゃんは結構楽しそうだ。
「まぁ俺は去年も出たし、今年の田植えも優勝したから多分出ると予想してたけど……まさかの顔ぶれ……」
良夫は去年とは全く違う顔ぶれでの参戦に、先行きが不安だとため息を吐いた。
去年は幸生と和義という無敵の前衛が二人いたが、今回は大分違う。
弥生は完全に後衛だし、紗雪は幸生と似たタイプだが幸生ほどの力は恐らく期待できない。良夫は遊撃タイプだし、泰造に至っては攻撃に向いた技を持っているかどうかも不明だ。
そしてよくわからない精霊と小鳥という謎のオマケが付いてくる。
「何とかなんのかなぁ……」
「何とかするわよ、絶対! 術系は任せなさい!」
「私も頑張るわ。あ、でも武器がいるわね。何かちょうど良いのあるかしら?」
紗雪は素手でも戦えるが、ヌシの茎は太く硬いので刃物があった方が戦いやすい。そう考え幸生に視線を向けると、幸生はうむと頷いた。
「……良いのがあるから大丈夫だ。後で渡す」
「ありがとう、父さん」
「服も家にちょうど良いのがあるから、出してこなきゃね」
「なら細けぇ防具は俺が用意してやっから、明日の夕方に取りにきな」
「母さんも善三さんもありがとう!」
紗雪はどうにか準備が整いそうだと安堵した。安堵できないのは良夫と泰造だ。特に泰造は、一体自分に何が出来るというのかと暗い顔をするばかりだ。
善三はそんな二人に目を向け、さすがに気の毒になって問いかけた。
「泰造、お前まともな防具やら何やらは持ってんのか?」
「防具は……戦闘用はいつもの忍装束ぐらいしか。あれとせいぜい小太刀くらいで」
「なら使えそうなもん一式持って後でうちに来い。付与が出来そうならしてやっから。良夫もそうしろ」
「あ、はい。助かります」
「ありがとうございます……」
善三は弱々しく頭を下げた泰造の姿を上から下まで眺め、それからふむと頷いた。
「お前は目が良すぎるから魔力に無駄があるんだろ。その辺ももうちっと調節出来るか試してみるか……後はそこのチビがなんか悪巧みしてるっぽいから、上手く使えば何とか……なるだろ、多分」
善三はそう言って泰造が抱えたままのテルちゃんにちらりと視線を落とした。しかしテルちゃんはきゃるんとした笑顔で頭の上の葉っぱをピコピコと横に振った。
「テルハ、ナンニモカンガエテナイヨ!」
「考えてないのかよおいいぃぃ!!」
「ウピャピャピャピャ!」
泰造がまたテルちゃんを激しく揺さぶる。テルちゃんには全然効いてないのが腹立たしいが、やらずにはいられないのだろう。
空はそれを眺めながら自分の肩にいつの間にか戻っていたフクちゃんを手に乗せ、じっと見つめた。
フクちゃんは空の視線を受けて、自分何かしました? とでも言うように可愛く首を傾げている。
「フクちゃんもほんとにさんかするの?」
「ホピピッ!」
任せろ! と言っているような声だ。空は少し考えたが、まぁいいかとあっさり頷いた。
フクちゃんはこんなに可愛い姿形をしているが、実は戦闘力が高いことを空はよく知っている。攻撃力という点では多分テルちゃんより信頼できるはずだ。
「うーん……じゃあフクちゃんは、きょねんみたいに、うえのほうのおこめを、ちぎっておとすやくがいいかな? くちばしはさまないように、きをつけてね?」
「ホピホピピピピッ!」
フクちゃんは去年、穂を千切って持ち帰ったはいいが茎に嘴を刺して取れなくなり、一緒に落ちてきたのだ。そんな事が無いようにと空が言うと、フクちゃんは自信ありげに高らかに囀った。
根拠のない自信に溢れているところはテルちゃんとよく似ている。
空は良夫に向かってそんなフクちゃんを差し出した。
「よしおおにいちゃん。フクちゃんが、おこめをおとすのをてつだってくれるって。よしおおにいちゃんとフクちゃんで、うえのおこめをぜんぶおとしたら、ままがらくだとおもうんだ!」
「米か……そうだな、去年は皆が籾を拾えるようにって加減したけど、今年はそんな余裕はなさそうだしな。最初から全部落とす勢いでやるか」
「うん。ぬしがにたいだから、いったいぶんは、みんなにあきらめてもらうほうこうで!」
そう言って煌めく空の瞳には、その落ちたもち米は半分くらい自分の取り分でも良いだろうと書いてあるように見えなくもない。
小さな手の上で胸を張るフクちゃんも、空により多くのもち米を貢ぐために全力を尽くしそうな予感しかしない。
「……色々心配だけど、弥生ちゃんを勝たせるためならこの際仕方ないと思うのよ」
「うむ」
「この際目を瞑るしかねぇか……」
「俺らは酒でも呑んで観戦するか。酔っ払って細けぇことには気付かなかった。うん」
大人たちはそう言ってそれぞれがため息を吐き、明後日の方向に視線を向けつつ呟いた。
「だいじょぶ! ぼくも、ぜんぶとはいわないから! あと、テルちゃんとたいぞーにいちゃんにも、なんかさくせんかんがえるね! もちごめを……あとやよいちゃんとアオギリさまをまもるために!」
空は大丈夫だと胸を張るが、本音がかなり漏れている。雪乃はそんな空の頭を優しく撫で、諦めたような笑顔で頷いた。
「偉いわ、空。でも何事もほどほどにしましょうね? ね?」
「まかせて!」
「面倒くせぇ予感しかしないんだけどぉ!」
泰造の嘆く声が青空に高く響く。しかしここは頑張ってもらうしかないと、誰もがその叫びを聞かなかったことにしたのだった。
ざっくり過ぎる方針が決まったところで、残った人々も一度解散することになった。
今回はすることがない和義は準備を手伝う為に村の倉庫へ。善三は付与の準備の為に帰宅する。
弥生を除く龍花家の家族は、サノカミ様への供物を揃え儀式の準備をするため神社に戻っていった。
良夫と泰造はそれぞれ自分の装備を持って善三を訪ねるべく、自宅へと取りに向かう。
幸生と雪乃も、紗雪の武器や着物を用意するため家に帰るという。
「空はどうする?」
「んー……ぼく、ままとかえる!」
「わかったわ。ではアオギリ様、弥生ちゃん、またね」
雪乃はそう言って手を振り、幸生と並んで家へと戻っていった。
後に残ったのはアオギリ様と弥生、そして紗雪と空だ。
アオギリ様は去って行く皆の背中をしばらく眺め、その姿が遠くなった頃にゆっくりと弥生の方へと向き直った。
「……のう、弥生。本当に戦うのか?」
弥生はその問いに顔を上げ、しばらくしてから黙って頷いた。何かを言おうと僅かに開き掛けた口から、しかし言葉は出てこない。狐姫に向けた強気が嘘のような態度だ。
「そうか……我はな、弥生。そなたが我と添わぬというのなら、それも良いかと思うておった。そなたにはそなたの人生がある。人としての生が。それを惜しむことは当然だと」
アオギリ様はそう語り、視線を田んぼの方へと向けた。
たわわに実った穂を重たそうに垂れた、一面の黄金色の田んぼは遠くまで広がっている。一部におかしな物がそびえ立っているが、そこはご愛敬だ。
「弥栄が逝ってから、ここで長い年月を過ごすうち……いつしか我はこの景色を美しいと思うようになっていた。一枚一枚、皆が力を合わせて広げた田に、育てた稲が揺れるこの景色を」
空はつられるように田んぼを見渡す。空が毎日見ても飽きないと思う田んぼは、今一番美しく豊かなときを迎えている。
「そなたが生まれてからの日々はそれに輪を掛けて美しく見えた。とてもとても楽しく、あっという間で……眠る半年が何と惜しく感じたことか。泣き、笑い、歩き出し、駆け回り……日々変わる景色のように育つそなたをいつしか我は愛しく思うようになっていた」
弥生はその言葉に黙って耳を傾ける。一言も聞き漏らすまいというような、真剣な眼差しをひたと向けて。
「だからこそ、この景色のように当たり前の、けれど美しい日々を繰り返し繰り返し……その先で当たり前に死にたいという気持ちがあるならば、それを叶えてやりたいと思うていたのだ」
だが弥生は狐姫と勝負をするという。視線を弥生へと戻したアオギリ様は、まるで迷子のように、どこか心細げな表情をしていた。弥生の心の在処を探すように、その瞳が微かに揺れている。
「わ、私はっ……私、ずっと……っ」
口を開き、けれど言葉に詰まってまた唇を閉じかけた弥生の背に、トン、と暖かいものが触れた。
ハッと顔を横に向ければいつの間にか側には紗雪が寄り添い、その背をまたトン、と軽く叩く。
言葉はなくてもその微笑みとぬくもりが弥生の背を押し、勇気を与えてくれた。
「……私は、アオギリ様が、好き。ずっと、ずっと昔から。けど、弥栄としての記憶が半端なことが不安で、自信がなくて……何より大事だったはずの貴方の名を、無くしてしまったことが後ろめたくて……」
「名を……そうか」
「どんなに探しても見つからなくて、けど、それでも諦めきれなくて、屁理屈捏ねて誤魔化して時間を稼いで……。でももう、見つからないなら憎まれ口を叩いて、私を見限ってもらおうって思ってた。もういっそ、別の人を選んでくれたらって……」
弥生は自分の胸元をぎゅっと握り、苦しそうにそう語った。
失ったものを探し求め、諦めようとして叶わず、いっそ捨ててくれと願う……そんな心が零れるように、瞳からキラリと雫が垂れる。
弥生はそれに気がつくと、ぐっと歯を食いしばり、手の甲で乱雑に顔を拭って強い口調で宣言した。
「けど、もう止める。無理。絶対、諦めるなんて無理。あんな女に渡すなんて冗談じゃない。私は、絶対勝ってみせる」
幼い頃からずっと自分を見守ってくれた神を、弥生は父や兄のように慕っていた。
一緒にいる間はただ楽しくて、半年ほどしか会えないことを寂しく想い、夏が来るのを指折り待って。
ふと気付けば、それは確かに恋になっていた。
誰かの生まれ変わりでなくても、記憶があってもなくても、きっと自分はこの神に恋をしただろうと弥生は思う。
「力も気も強い方が欲しいものを手に入れるっていうなら……勝つのは、私に決まってる。それに私には、アオギリ様も、紗雪も付いてるもん」
長く抱え続けた恋は、今はもうとっくにその言葉の枠を超えている。
そんな想いを眼差しに込め、弥生はアオギリ様を見つめた。その背を、また紗雪がトンと押す。押されて前に出た体は、広げられた腕の中に真っ直ぐ飛び込んだ。
「……ならば、我ももう止めよう。そなたを諦めることは決してすまい。名を忘れたというなら……必ず勝って、我にまた名を付けておくれ。どんなものでも良いのだ。弥生がくれた名なら、それが我だ」
「うん……うん!」
後ろで見守る紗雪は静かに少し下がり、目の縁を拭った。足元では空も同じように潤んだ目元を袖で拭っている。
「まま……よかったね」
「うん」
空が囁くように言うと、紗雪は嬉しそうに頷いた。
二人を見つめる紗雪の瞳は優しく、けれど常にない強い光を宿しているように見えた。
「私も……」
呟いた言葉は途中で途切れたけれど、空は聞き返すことはしなかった。紗雪もきっと、あの二人と同じことを思っているのだと何となく分かる。
空はそれを全力で応援しようと心に決め、片手で抱えていたテルちゃんをぎゅっと抱き直す。
そのテルちゃんは、余計な事を言って雰囲気を壊さないよう空に口を塞がれ、不満そうにジタバタ暴れていたのだった。




