2-116:若さゆえのアレコレ
「ママね、高校を卒業した後はしばらく父さんの手伝いと怪異当番をしてたのよ。でも暇なことも結構あって、他の仕事も探してたの」
米田家の基本は農家だが、その農作業は幸生一人で大体手が足りてしまう。植え付けや収穫は紗雪も手伝うが、毎日の仕事がそう多いわけではなかった。
その頃の紗雪はもっと何かしなくてはという気持ちを抱え、何かに急かされるように仕事を探し、あちこちの手伝いもしていたらしい。
「その頃に、魔狩村での仕事に誘われてね。そこでしばらく働いてたんだけど、その仕事がちょうど終わりそうな頃に高橋さんたちと出会ったのよ」
紗雪が受けたのは隣の魔狩村周辺の山に安全な地区を増やすという仕事だった。危険度の高い魔獣や植物を駆除するという、紗雪にとっては慣れた仕事だ。
そこで都会からやって来た高橋に出会い、うちのチームに入って山の案内や索敵、戦闘の補助をしてくれないかと頼まれたのだという。
紗雪は、田舎では見かけない格好をした若者たちに驚き、彼らの自信に満ちた態度に何となく惹かれるものを感じ、参加することにしたのだが。
「私、何だか失敗ばっかりで色々上手く出来なくて。何て言うか……多分全然噛み合ってなかったんだって、今なら分かるのよ」
紗雪はその頃の自分を思いだし、眉を少し下げ苦笑を浮かべた。
「どんなしっぱいしたの?」
「えっとね、皆が魔素素材を拾い集めてるのを見て、そんなゴミを集めてどうするのかって不思議がって聞いて、物の価値を知らないって怒らせちゃったり」
「うぐっ!」
「魔獣を討伐したいって言ってたから山に案内したけど、皆を連れて入れる山の魔獣は私が索敵すると皆逃げて行っちゃって全然見つからなかったり」
「あがっ!」
「猪が出たから殴ろうとしたら、うっかり高橋さんの前に出てそのまま倒しちゃって、攻撃を邪魔したって怒られちゃったり」
「ぐはっ!」
「外の人向けに魔力抜きしてくれる食堂に毎回連れて行ってたら、食い物にまで口出すなよ、彼女気取りか!? って怒られちゃったり……」
「ごはぁっ!」
紗雪が語る度に高橋の顔色が面白いことになっていく。完全にオーバーキルだ。
「そういうのが色々積み重なって、とうとう高橋さんたちから、『お前は役立たず過ぎる、うちのチームに合わないようだから辞めてくれ』って言われちゃって……申し訳なくて」
紗雪はそう言って肩を落としたが、実力に差がありすぎて噛み合わないその様子が空にはありありと想像できてしまった。
(何てことだ……ママは追放系主人公だった……! そんでこの男は、もう遅いってされる奴!)
空はそんな感想を抱きながら紗雪と高橋をまた交互に見る。
確かに高橋は背も高いし、顔もまぁまぁ整ってイケメンと言えなくもない。今は紗雪によって目の前に黒歴史を陳列されて意気消沈しているが、十年前なら多分無駄に自信に満ちてそれなりにモテていそうだ。
(むぅ……都会的な男にコロッといくとかありがちだけど、何か……何か、腹立つ!)
ちょっとムッとした空は、自分でも少しだけ高橋に追撃しておくことにした。
「そうなの? えー、じゃあ、ままのほうがずっとつよいのに、かんちがいでついほうしちゃったの? もったいなーい」
「うぐっ! む、難しい言葉知ってるね、ぼく……」
「そのあと、すっごくこまったんじゃない? ごはんとかで、おなかこわさなかった?」
空がジト目でそう言うと、高橋はガクリと項垂れるように頷いた。
「その通りです……あの後全員、周りの人の制止も聞かずに飲み食いして、魔素中毒で寝込みました……」
あの頃完全に調子に乗っていた高橋たちは、田舎の人間のことを舐めていた。紗雪をチームに誘ったのも、可愛かったからというナンパを兼ねての理由だった。
地元に詳しいので案内してもらえば楽になりそうと思ったのも確かだが、紗雪が強者だとは思ってもいなかったのだ。
しかし当然ながら紗雪を追い出した後、高橋たちは村の人たちに冷たくされるようになってしまった。
紗雪は美人で気立てが良くしかも強い、米田の娘として魔狩村でも名が知られていたのだ。
そんな紗雪に世話をされていながら見当違いの文句をつけ、罵った挙げ句にチームから追い出したことに村人たちは憤った。食堂で追放劇をやったので、その話はすぐに村中に広がったのだ。
「魔素中毒から回復した後、村人に冷たくされ、困惑しながら入った山では散々な目に遭って逃げ帰ったり助けられたり……」
自分たちだけで魔獣を討伐しようと山に入ったら想定以上の強さの魔獣や、数多くの魔獣に襲われて逃げ帰ったり、立ち入り禁止区域に踏み込んで植物の養分にされかかったりしたらしい。これは流石に村人に助けてもらえたのだが。
「しまいには、自分たちがせっせと集めていた石とか草とかは、本当に村の人にとってはただのゴミだったことを知ってしまい……東京では高く売れたけど……」
それなりに稼ぐことは出来たが、村人との溝は深いまま。上手く行ったとは言い難い結果に、高橋たちはそれが何故なのかを色々調べた。
その結果、役立たずと思い込んで追い出した紗雪が自分たちより遙かに強かったことや、彼女が言ったことはどれも正しく、自分たちを思っての助言だったこと。
そもそも田舎の人間と都会の人間では、その実力に天と地ほどの差があることを知ったのだという。
さらに、自分たちが危険地帯だと思って出掛けていた山は、村人が外部の観光客のために用意した安全な遊技場のような場所だということも知り、高橋たちはもはや立ち直れなかった。
「その後、色々あってチームは結局解散して……俺は探索者になる努力しかしてこなかったんで、それ以外の道もなく……」
幸い友人が一人残ってくれたのでペアで活動しながら、身の丈に合った場所を求めて流れ付いたのがこの町だった、というわけだ。
空はざまあみろとちょっと思いつつ、こんな男に騙された純粋さも悪かったんだろうなとちらりと紗雪の顔を見る。
紗雪はどこか吹っ切れたような明るい表情で首を横に振り、そして自分を見上げる空を見て優しい笑みを浮かべた。
「私……あの頃はやっぱり自分が弱いから追い出されたんだって思って悩んだんですけど。でも、今はそれで良かったと思ってるのよ。だってそうじゃなきゃ東京に行かず、隆之とも出会わず、子供たちも生まれなかったもの。きっと全部必要な巡り合わせだったって思ってるの。だから、本当にもう気にしないでください」
紗雪は空の頭を撫でてそう言った。
空はまだちょっと面白くなかったが、確かにこの男の存在がなかったら空は生まれていなかったかもしれない。
そう考えると、こんなにも美人で優しい紗雪を逃がしたこの間抜けな男を、鼻で笑うだけで許してやろうと思える気がする。
空は紗雪の足にしがみ付いて高橋を見上げ、べーっと舌を出す。すると高橋は空にも頭を一つ下げて、それから顔を上げた。
「紗雪さん……俺も、ここで結婚して、子供もいるんです」
高橋がそう言うと、紗雪は目を見開いて嬉しそうに笑みを浮かべた。
「そうなの? 良かったぁ。じゃあやっぱり、それも巡り合わせね、きっと」
「そうですね……俺たちも、多分あそこで失敗して良かったんだと思います」
紗雪の言葉に高橋は頷き、自分の家族でも思い出したのか笑顔を見せた。
「私、まだこの町に住むかは決めていないけど……移住の先輩として、これからも色んな人を応援してあげてください」
「……はい!」
過去の清算を済ませたようにホッとした顔を浮かべた高橋と別れ、空たちは公民館を後にする。見送りに出てきた高橋を振り返り、空は手を振って口を開いた。
「ばいばい、しっぷーじんらいのたかはしさん!」
「シップージンライ、カッコイインジャナイ?」
「ば、ばいばい……」
追撃によって再び崩れ落ちた高橋を見て、後でテルちゃんを撫でておこう、と空は手を振りながら思ったのだった。
高橋と別れた後、三人は近くにあった喫茶店に入ることにした。
空は二段のフルーツパンケーキを頼み、紗雪と雪乃はそれぞれプリンやケーキを頼む。
お茶を飲んで一息つくと、しばらく黙っていた雪乃が不意に口を開いた。
「紗雪……紗雪は、あの人に追い出されたから、村を出たの?」
「……それだけじゃないけど、きっかけは、そうかも」
「そう……」
小さく呟いた雪乃の周りの温度がヒヤリと少し下がった気がする。空はハッと気がついた。
高橋との話の途中で雪乃は口を開かなかったが、もしかしたらずっと怒りを堪えていたのかと。
「ばぁば……えと、おこってる?」
「おこってないわ……おこってないけど、ちょっとだけ凍りつかせてもいいかしらとは思ってるわね」
「止めてあげて、母さん。土下座までしてくれたんだし」
紗雪の言葉に雪乃はにこりと口角を上げたが、目が笑っていない。
「私も悪かったのよ。あの頃は強くなることばかり考えて、自分の魔力がなかなか増えないことをずっと気に病んでたから。そんなふうに悩んでいたところで出会ったからか、何だか惹かれたのは私のほうなの」
「まま、あのひとのことすきだったの?」
空がズバッと聞いてみると、紗雪は少し悩んで小さく頷いた。
「……多分ね。淡い初恋っていう感じだったと思う。ママはそういうのとずっと無縁だったから、初めてのことで浮かれてたのかもね」
田舎にはいないタイプの男に淡い初恋を抱き、役に立とうと頑張ったがそれが噛み合わず空回りしてしまった。失恋したと同時に相手の追い出し方が悪かったせいもあって、若い紗雪は思い詰めたということらしい。
「紗雪ったら見る目がないわ……もっといい人、村にいっぱいいたのに」
「うんうん、ぜったいいた!」
「そう? でも私、何だか遠巻きにされてた気がして……多分、父さんを見て尻込みされてるみたいだったのよね」
「それもわかる」
残念ながら、幸生は尊敬はされても親しみは感じられにくいタイプだ。しかも村で最強くらいに強い。その幸生が義父になると思えば、その強さをよく知る村人のほうが緊張するかもしれない。
そういう背景を何も知らず、紗雪の強さを純粋に褒め称える素直さのある隆之が丁度良かったのだろう。
「ぼく、ぱぱがぱぱでよかった!」
「ふふ、私もよ」
高橋が父だったら何か嫌だ。彼よりずっと弱くても、優しく懐の深い隆之が父で良かったと空は胸を撫で下ろした。
「でも、何だか不思議ね。こんなふうに昔のことを母さんに話せるようになるなんて、少し前の私じゃ考えられなかったわ。私、ずっと自分に自信がなかったし……でもやっと最近、私って結構強かったのかもって思えるようになってきたの」
「紗雪は昔から強かったわよ。ずっと言っていたのに」
自分たちの言葉が届かずもどかしい思いをしていた雪乃は、そう言って一つため息を吐く。
晴れ晴れとした紗雪の顔を見て、安堵したようなもっと早く気付いてほしかったような、複雑な気持ちが込められたため息だった。
「うん……ごめんね。空を魔砕村に送って、こうして何度も会いに来て、やっとあの頃の自分が外から見えるようになったみたい。私、若かったんだなって思うわ」
「ままはいまも、わかくてびじんで、すっごくつよいよ!」
「ホント? 嬉しい!」
紗雪と笑みを交わして空はパンケーキを二皿食べ終え、そこでようやく大事なことを思い出した。
「そうだ! まま、あんね、いまやよいちゃんがたいへんなんだよ!」
「え? 弥生が?」
「あ、そうだったわね。その話を紗雪にしておかなくちゃだったわ」
雪乃もどうやらすっかり忘れていたらしい。食欲や土下座の衝撃に流されたとはいえ二人とも割と酷い。
空と雪乃は慌てて、アオギリ様と弥生が置かれている状況について紗雪に全て説明した。
アオギリ様が弱っていること、そこに外から見合いの話が来たこと、弥生はアオギリ様が好きだが、真名が思い出せなくて結婚ができないこと。そして弥生にも見合いが来たこと。
紗雪はその話を黙って聞いていたが、全てを聞き終えると強い眼差しで頷いた。
「母さん、空……私、村に帰るわ。弥生に会わなくちゃ。私に出来ることがあるかはわからないけど、弥生の側にいたいの。ちょっと隆之に魔送文を出してくるから、待っててくれる?」
「え、まま、このままかえるの?」
空が驚いて尋ねると、紗雪は迷いなく頷いた。
「ええ。今すぐ帰らないと、何だか後悔する気がするの」
「わかったわ。じゃあ帰り支度をして駅で待っているわね。どこかで着替えも少し買ってらっしゃい」
「うん。すぐ戻るね!」
紗雪はそう言って慌てて店を後にした。空は急展開に目を丸くしつつ、まだ紗雪と一緒にいられることが嬉しくて何だかそわそわしてしまう。
「空、良かったわね」
「うん!」
素直に頷いてジュースを飲み干し、雪乃と二人で店を出る。キョロキョロし疲れたのか大人しいフクちゃんとテルちゃんを胸に抱いて駅に向かいながら、空はふと数日前に見た夢を思い出した。
池の畔で遊んでいた、二人の少女の姿を。あの少女たちはやはり紗雪と弥生に少し似ていた気がする。彼女たちはどこにでもいるような、仲良しの友達、という雰囲気だった。
あれが誰だったのかはわからないけれど、思い返しているうちに空はふと、それとは関係のない疑問を憶えた。
「ままは……なんでつよくなりたかったんだろ?」
その願いの始まりは一体何だったのか。
何となく、そこに何かの鍵が隠れているような。根拠はないけれど、空はそんな予感を抱いたのだった。




