24:人外田起し大戦
「さぁ、始まりました! まず飛び出たのは十番と十四番! 十番の西の畑中はとにかく速い! 鍬の先がぶれて見えるほどの手数が自慢だ! 対するは十四番、南の滝田! なんと珍しい二刀流! 二本の鍬を器用に捌いて耕す耕す! おっと、五番、八番、北と東も負けていない! 速いところはもう半反に届きそうだ!」
(競馬とか、そういうののレース実況?)
実況の声のする方を見上げると、広場の端に骨組みだけの見張り台のような物が建っている。その上にいる人が状況を見ながら実況しているらしい。マイクを持っているようでもないのに声は大きく響く。
(声大きい……魔法かな?)
背の低い空には何が行われているのか良くわからないので、実況中継はありがたい。
空はまた前を見て応援している人の間から祖父の姿が見えないか探した。幸生はすぐに見つかった。スタート地点から動いていなかったからだ。
「じぃじ?」
空は首を傾げた。隣に立つ明良と結衣も同じように不思議そうにしている。
「よねだのおじちゃん、うごかないな?」
「たむらのおじちゃんもうごいてないよ」
二人は背中合わせで立ったまま微動だにしていない。田村は地面に立てた鍬の柄に両手を乗せて前方を見据え、幸生は鍬を前に腕を組んだまま仁王立ちしていた。だが、その二人からゆらりと何か陽炎のようなものが立ち上っているのがわかる。
不思議に思って空が少し近づこうとすると、美枝がそれを止め、三人を逆に後ろに下がらせた。
「ダメよ、皆。おじちゃん達は今力を溜めているのよ。雪乃ちゃんが結界を張ってくれると思うけど、危ないかもしれないから少し下がってましょうね」
そう言われて三人とも顔を見合わせ、それから幸生達をじっと見る。確かに二人とも何かこう、存在感のようなものが違う気がする。そこに立っているだけなのに、離れていても謎の圧力のようなものが何となく感じられるのだ。
「一番二番、共にまだ動かず! ここは大技がくるか!? あっ、こら二人の前には絶対出るなよ! ちゃんと場所開けとけ! 四、五反抜いてくるかもしんねぇぞ!」
実況の人が観衆に向かって手を振り回して注意を促した。空は一生懸命つま先立ちをして、少しでも向こうを見ようと頑張った。しかし実況が盛り上がるにつれて応援する人達も右へ左へと頻繁に移動し、田んぼも幸生の姿もどんどん隠れてしまう。それを残念に思っていると、不意に空の体が浮き上がった。
「ひゃっ!?」
「あら、善三さん?」
空の両脇に手を入れ、持ち上げた誰かに美枝が声を掛ける。その誰かは空を更に高く上げると、その足に自分の頭をくぐらせて肩車をしてくれた。
「わ、たかい……あ、あの、おじちゃん、だれ?」
「俺は善三だ。お前が幸生んとこのチビだろ」
空は白髪の交じる頭にしがみついて下を見下ろした。しかし上からではその頭しか見えない。肩より少し長いくらいに髪を伸ばし、後ろに全て流すように結われた頭は割と掴まりやすい。小さな両手でしっかりつかまってから空は美枝を見下ろした。
「空ちゃん、この人は善三さん。空ちゃんの草鞋を編んでくれた人よ。知ってる?」
「しってる、じぃじがいってた! ぜんぞーさん、ぼく、そらです。わらじありがとう!」
「ああ、まぁ礼は幸生に言え。大したことはしてねぇ」
善三はそう言ってフンと鼻を鳴らした。
「でも善三さん、この子が雪乃ちゃんとこの子だって良くわかったわね?」
「紗雪の小せぇ頃にそっくりじゃねぇか。アイツは元気か」
「まま? まま、げんきだよ!」
「そうか……ならいい。おら、じじいを応援してやんな」
どうやら幸生と友人の善三は、紗雪の事もずっと心配していたらしい。だからこうしてその子供の空にも、幸生の姿を見せるために肩車をしてくれるくらい優しいのだろう。細身だが背の高い善三の肩の上は、遠くまでよく見える。
(善三さんはツンデレ……憶えた!)
空はそう記憶しながら、いつの間にかゆらゆらと謎のオーラみたいなものを高く立ち上げている幸生と田村を見た。
(何アレ……世紀末の強い人みたいなアレ……こわ)
「さぁさぁ、先頭はガラリと変わって三番! 西の山野! 遅れて飛び出たかと思えばあっという間に二反抜きだ! 二番手以下と四畝ほどの差を付けた! それを追うのが四番、南の谷中! あとは二、三歩差くらいの僅差の勝負だ。おっと二刀流の滝田が少し遅れている、早くも失速か!?」
(たん……? せ? ぶ? 単位? 全然わかんないけど……あれ、皆人間?)
応援する人垣の向こうには、空にはとても人間とは思えないような速度で鍬を振り回し、田んぼを耕していく選手達の姿があった。ゆらゆらしている幸生達も怖いが、各選手の人外めいた田起しも怖い。何せ誰もが鍬を一振りするだけで、最低でも畳一枚分くらいの土が高く打ち上げられ、みるみる耕されていくのだ。
皆自分の真っ直ぐ前の田んぼを耕しながら、それぞれ田んぼ十枚分くらい先の向こうの端を目指しているらしい。空の感覚ではものすごく遠いのだが、選手達にはどうと言うこともなさそうだった。
しかし、それにしても幸生はまだ動かない。もう一番先頭の選手は、半分くらいに届きそうだというのに。
「じぃじ、うごかない……」
「ああ、心配すんな。そろそろだ」
善三がそう言うと、先に動いたのは田村の方だった。
「先行くぜ」
そう一言振り向かず声を掛けると、田村は田んぼへと一足で降り立った。足を大きく開いて立ち、鍬がすぅっと高く振り上げられる。やがてその鍬全体が光りだし、刃先にその光が強く集まる。
「おう、チビ、目ぇ瞑っとけ」
「え、あい!」
そう言われて空が素直にきゅっと目を瞑ると、善三が更に体を反転させた。
「うおおおおぉぉおっ!」
高い雄叫びと共に、空の瞑った瞼の裏にカッと一瞬の閃光が走る。それから周囲の空気がビリビリと揺れるような轟音がドオォンと響き渡った。
「ひゃぅっ!?」
あまりの音に空の体が大きく跳ねる。善三が足をしっかり掴んでいてくれなかったら落っこちていたかも知れなかった。
空が驚きで震えていると、実況が高らかに状況を告げる。
「出たーっ!! 田村の必殺技、大閃光鍬返し! なんと、今年は去年の記録六反をしのぐ、七反抜き! さすが王者、強ぉい!」
善三がくるりと身を返したため空も慌てて目を開ける。するとなんと、田村の前方の田んぼは本当に端までの七割ほどが耕された色の濃い土に変わっていた。
田村は勝ち誇ったように笑ってその先へと走っていく。
「じ、じぃじは?」
「これから動くとこだ。応援してやんな」
空は慌てて幸生の方を見た。腕組みしたままの幸生はまだそこにいて、空は不安になって思わず身を乗り出し叫んだ。
「じぃじー! がんばってー!」
一瞬、幸生がこちらを見た。空は一生懸命手を振って応援する。幸生は一つ頷くと、鍬をその場において田んぼへと足を踏み出した。幸生の気迫を示すかのようなあの謎オーラは更に大きくなり、その体全体がさっきの田村の鍬よりも強く光り出す。
「チビ、目はいい、耳ふさげ」
「あい!」
空は言われたとおり両手でしっかり耳を塞ぎ、幸生をじっと見つめた。
幸生を包む光は眩しいほど強くなったかと思うと急に収束を始め、やがて右腕に集まっていく。その移動が終わった瞬間、幸生はその拳を高く上げ、そして一見全く力を入れていないように見える動作で大地に向けて振り下ろした。
空の耳には、周囲の歓声も実況の声ももう聞こえない。ただ、トン、と軽く見える動きで幸生の拳が大地に接触した時、何故か空はぶるりと大きく体を震わせた。何かが大きく揺れ、それが自分にも伝わったような気がしたのだ。思わず耳は塞いだまま、両肘を絞めるようにして善三の頭に強くしがみつく。善三はその空の態度に少し目を見開きながら、空の足を抱え直し、己の足を大きく開いて地面をしっかりと踏みしめた。その後ろでは、同じく幸生の動きを見ていた美枝が明良と結衣を両腕で抱きかかえ、しゃがみ込む。
次の瞬間、地面が大きく揺れた。
「伏せろーっ!!」
実況が大きく叫んだ。その声に反応して、ほとんどの人が即座にその場にしゃがんだり伏せたりした。地面の揺れは地震のように大きくなって辺りを襲い悲鳴が上がる。揺れが続く中、空は見た。
幸生の前の田んぼが光り出し、その光がどんどん向こうへと広がっていく。一枚、二枚と光はすさまじい速度で田んぼを飲み込み、ついには向こう端まで届いた。そして、その次の瞬間。
ドン、と言う突き上げるような衝撃とふさいだ耳をなおも貫く轟音と共に田んぼが宙を舞い、まるで天地がひっくり返ったように空には見えた。
空は目を見開き、口をポカンと開けた。光を背景にすさまじい量の土が宙を舞い、そして量が多いせいかゆっくりに感じる速度で落ちていく。遅れてやってきた強い風が空の髪をバサバサと揺らした。やがて揺れが収まり光も薄くなる中、土がどさどさと時間差で田んぼに落ち、そして幸生だけがさっきと同じように仁王立ちで立っていた。
「ひ、東の米田、い、一町歩抜きだーっ! 伝説の鍬いらずが、一町歩抜きを果たして帰ってきたぁ! 田村と二反差で、優勝は文句なしに、東の米田ぁ! 王者復活ぅっ!」
おおおお、と辺りを大歓声が包む。耳を押さえていてもうるさい。空は開いたままだった口をゆっくり戻し、それから顔が驚きで引きつっていないか確かめてから、幸生に大きく手を振った。
(あっちの端までいっちょうぶらしいっていうのは、憶えた……あとじぃじ、すごい)
幸生が誇らしいのか、恐ろしいのか、何だか良くわからない気分だ。でもとりあえずこの人が孫に甘い自分の祖父で良かった、と空は心からそう思い、ドキドキする胸を押さえながら小さく息を吐いた。
孫と暮らせるようになったジジイは無敵。




