2-108:突然の乱入者
二枚並んだ田んぼに植わる稲は、それぞれ中心に向かって渦を巻くように倒れているが、こうして眺めていても動いている訳ではなかった。夜の間に誰かがいたずらして倒したのだ、と言われても信じそうな様子だ。
「ねぇ、アオギリさま。このたんぼ、ほんとにぬしがでるの?」
不思議に思った空がそう聞くと、アオギリ様はうむと頷いた。
「出るぞ。空にはまだわからぬかもしれぬが、確かにこの田からは神気を感じるからのう。だがそれが二枚の田んぼで同時に、というのがわからんのだが……サノカミ殿には何か思惑があるのやもしれぬな」
「アオギリさまは、サノカミさまとおはなししたりしないの?」
神同士付き合いがあれば理由を聞いたり出来るのではないか。そんな気持ちからの問いだったが、アオギリ様は困ったように笑って首を横に振った。
「神と言っても、色々あるからのう。我は実体と縄張りを持つ守護の神だ。サノカミ殿は豊穣を願う人々の祈りから生まれる概念の……体を持たぬ神、と言えばわかるかの? 神としての成り立ちや在り方が違う神なのだ」
「だから、あったりおしゃべりしたりしない?」
「うむ。そういうものだからな」
神としての存在の仕方が違うということなのか、と空は何となく理解した。神々の事情はよくわからないが、八百万もいれば顔を合わせたりしない者もいるということなのかもしれない。
アオギリ様とお喋りをしていると、難しい表情で田んぼを前に何か話をしていた三人が振り向き、辰巳が首を横に振った。
「アオギリ様、神気の高まり具合からしても、やはり今年はヌシが二体出るのは間違いがないようです」
「うむ、我の見立てでもそのようだのう。まぁ、サノカミ殿がそう采配したのならば何か理由があるのだろう。そのつもりで準備をするがよい」
「はい。しかし今年は米田さんたちも田起し競争に出なかったから、誰に稲刈りをやらせたものか……今年の上位陣だけでは、ちと荷が重いかもしれませんな」
辰巳がそう言ってため息を吐く。
去年は幸生と和義、良夫と大和の四人がヌシを相手に戦ったのだが、今年は幸生も和義も田起し競争にでなかったのだ。
「正直なところ、参加した側から見ると去年は米田さんと田村さんがいれば多分十分だったと思うんですよね。だから一体は二人に任せた方がいいのかも」
大和が去年の様子を思い出しながらそう提案する。上にある穂を落とす役は良夫がしていたが、あの二人ならそれも案外何とかしそうだ。
辰巳は大和のその提案に頷き、それから弥生と大和に順番に視線を向けた。
「ああ。あとはそうだな……村の若い衆が十人くらいいれば何とかなるだろう。早めに村祭りの世話役に相談するとしよう。術での補助は弥生と大和がやりなさい」
「えっ、私も!?」
辰巳の言葉に弥生が驚き声を上げた。
「お、それは良いのう。弥生が出るなら応援しがいがあるというものだ」
アオギリ様が嬉しそうにそう言うと、辰巳も大和も頷く。弥生は不満そうにしていたが、しかしヌシが二体という異常事態ならば仕方ない、とばかりに渋々同意を示した。
「ね、ばぁば。じぃじは、ひとりでもよゆうって、まえいってたよね?」
若者が十人も必要だという辰巳の言葉に、空は首を傾げて雪乃の顔を見た。雪乃は笑顔で一度頷き、けれどすぐに首を横に振って言った。
「空、じぃじを基準に考えたら駄目よ。じぃじは確かにヌシを一人で倒せるでしょうけど……でもそれをすると、多分お米は半分くらい消し飛ぶし、周りの田んぼに被害が出るかもしれないわ」
「それはだめだね!」
採れるもち米が半分になったら空は泣いてしまう。
「はは、幸生は確かに強いが、一人だとすぐに加減を忘れてしまうからのう。あれを基準にされたら、村は大変だぞ」
「全くです……空くん、くれぐれもやり過ぎないように、幸生さんにしっかり頼んでおいてね」
「はーい!」
アオギリ様は笑ったが、去年一緒に戦った大和は笑えなかったらしい。何せ幸生の攻撃が周りに被害を与えないよう、必死で結界を張り続ける羽目になったのだ。
大和の表情がとても真剣だったし、餅が大事な空は良い子のお返事をしておいた。
現状を把握したしとりあえずの方針も決まった、と結論を出した辰巳たちは神社へと戻ることにした。
空と雪乃もその後を追って広場へと戻る。戻ったら弥生に少し時間を取ってもらって話が出来ればいいなと空は考え、雪乃に頼んでついていったのだが。
「あれ?」
戻ってきた広場では、櫓の撤去も資材の運び出しも大体終わり、人の姿が減っていた。幸生たちもどこかへ行ったようだ。
幸生がまだいたら手を振ろうときょろきょろと周囲を見回していた空は、ふと鮮やかな朱色が目に入って神社の鳥居の前で視線を止めた。
鳥居の前に、巫女が一人立っている。
この村で巫女装束を着るのは弥生だけだ。しかしその弥生は空のすぐ前を歩いているのだ。
空は雪乃の腕から身を乗り出すようにして、その見知らぬ巫女を見た。同時に、他の者たちも鳥居の前に立つ見知らぬ巫女に気付き、少し手前で足を止める。
鳥居の前にいたのは若い女性だった。年齢は弥生と同じくらいに見える。
ゆるく波打つ髪を肩まで流し、清楚系に見えるよう抑えつつも華やかな化粧を施した顔はなかなかの美人だ。
髪の色が明るめの茶色であるせいか、似たような巫女姿でも弥生とは何となく対照的な雰囲気を持つ女性だ。
そんな感想を抱いて空が見つめていると、彼女はパッと花が咲くような笑顔を見せてこちらへ向かい――アオギリ様へと走り寄った。
「あのっ、アオギリ様でいらっしゃいますよね?」
「ああ、うむ。そうだが……そなたは?」
アオギリ様が戸惑いつつ問うと、女性は胸の前で両手をきゅっと組み、可愛らしく小首を傾げた。
「私、鈴木狐姫と申します。アオギリ様のお嫁になるため、はるばる魔砕村まで参りましたの! どうぞ、姫と呼んでくださいまし!」
「は?」
「……はあぁ!?」
アオギリ様のぽかんとした声に続き、弥生の声が大きく響いた。
今日はちょっと短め。
お盆の間、何話か連続更新する予定です。




