2-97:何かと惜しい男
「じゃあ泰造くん、こっちの籠に良夫くんのところで販売する用の、熟度が高い葡萄をより分けてもらえるかな」
「了解っす、っと」
圭人が差し出した新しい籠を受け取った直後、後ろからヒュッと飛んできた蔓を泰造は身を屈めて避け、その場にしゃがみ込んだ。葡萄の攻撃を気にせず、泰造は籠に盛られた葡萄をざっと眺めて手を伸ばす。
「えーと、これとこれ、こっちは外向け……この辺は村向けかな。良夫、お前の店、どんくらい入荷すんだよ」
「とりあえず、緑のと黒のをそれぞれ三籠ずつって言われてきたけど」
「なら完熟のはこっちに置くから、いっぱいになったら新しい籠寄こせ」
「わかった」
泰造はこれはよし、こっちはもうちょい、などとブツブツと呟きながらひょいひょいと葡萄の房を手に取り、新しい籠に入れていく。籠がいっぱいになると良夫がそれを脇に避け、また新しい籠を手渡した。
その間に良夫は時折葡萄の蔓に叩かれている。葡萄は実の回収作業をする大人が気に食わないのか、後ろから来る蔓にたまに背や頭を叩かれるのだ。しかし良夫本人は特に気にした様子もなく、顔を狙ってくる蔓や視界に入る蔓しか避けていないようだった。
「よしおおにいちゃん、いたくない? よけないの?」
「ん? ああ、蔓? 大して痛くないし、いちいち避ける方が面倒かな」
「めんどう……」
痛くなければそんなものか、と思いながら空はぐるりと周りを見回した。
葡萄の蔓は子供には甘いが大人には厳しい。空や勇馬たちは叩かれたことはないが、ここにいる大人たちは区別なく狙われていた。大人で叩かれなかったのは、以前一緒に来た美枝くらいだろう。
圭人は相変わらず時々叩かれてはイテッと声を上げている。
雪乃も特に避けていないが、どうやら自分の周りに薄らと結界を張って防いでいるようだ。
葡萄の蔓は雪乃の十センチほど外側を叩いては、ピシッと結界に弾かれて引っ込んでいく。雪乃自身は涼しい笑顔だ。
良夫は視界に入る蔓は避け、それ以外は放置というやり方だった。
そして泰造は意外にも、自分に向かう葡萄の蔓をどうやってか全て避けているように見えた。
重心をずらすようにしてしゃがんでいる体を少し傾けたり、軽く頭を下げたりして、後ろや頭上から襲い来る蔓をごく小さな動作で躱しているのだ。
空はしばらく皆を観察してそれに気がつき、その動きに思わず見入ってしまった。
「よし、とりあえずこっちのは終わり、と」
泰造はそんな空の視線にも気付かず、周りにあったマスカットの仕分けを手早く終わらせると、次に巨峰の籠に取りかかった。
籠に積まれた巨峰をまた大まかに熟度で分け、手早く別の籠に移してゆく。圭人や雪乃は畑のあちこちに置いてきた収穫後の籠をせっせと泰造のところまで運び、良夫は仕分けが終わった籠を外に運んでいった。
「たいぞうにいちゃん……ぶどうのつる、よけるのうまいね?」
「タイゾー、全部よけてるの、すげぇな!」
「すげー」
葡萄をシャクシャクと囓りながら空が感想を零すと、同じように泰造を見ていた勇馬が頷く。翔馬は何がすごいのかまだよくわかっていないようだが、兄の真似をして頷いた。
「どうやってよけてるのかな?」
空が首を傾げていると、泰造が振り向いてフフン、と口の端を上げた。
「すげぇだろー。俺はな、何と葡萄の蔓が俺を叩く未来が一瞬だけ見えるんだぜ! だからそれを回避してんのさ!」
「えっ、みらい!? そんなのみえるの?」
泰造の自慢げな言葉に、空は驚いて目を見開く。泰造の鑑定眼が何かすごいらしいことは知っていたが、他にも能力があるなど空は聞いていない。
一瞬であろうと未来が見え、それによって攻撃を回避できるなんてどう考えてもすごい能力だ。
「そんなの、じゅうぶんしゅじんこうなんじゃないの?」
そんな能力、まさに泰造が何かと拘る主人公級のものではないのか。それなのに何故いつもあんなに卑屈なのだ。
空がそんな疑問を思わずぶつけると、泰造は途端にドヤ顔を曇らせ、フッと笑って俯いた。
「未来が見える……確かにそれだけ聞けば主人公っぽいんだけど……問題は俺が余裕で躱せるのはせいぜい葡萄の蔓とか野菜の攻撃くらいだってことなんだよなあぁぁ、あたっ!」
両手に葡萄の房を掲げて盛大に嘆く泰造の後ろ頭を、伸びてきた蔓がうるさいと言わんばかりにピシリと叩く。変なポーズをしていたのでこれは避けられなかったようだ。
「泰造はいつも魔力を他に使ってるから、あんまり素早くないし打たれ弱いんだよな」
「うるせぇ! 気にしてること言うな!」
その嘆きを聞いていた良夫が後ろで小さく呟く。空はその言葉になるほどと深く納得した。
「そっか……ざんねんなんだね」
「残念って言うなぁ!!」
泰造のそれは、何だかすごいが今のところ大した活用法のない能力、ということらしい。
何か良い使い道があれば良いのになぁと思うが、空にも特に思いつかなかった。しかし圭人は泰造に羨ましそうな視線を向けた。
「いや、全然残念じゃないと思うよ。葡萄の攻撃を避けられるし、葡萄の熟し具合も鑑定できるし……泰造くん、めちゃくちゃ葡萄農家に向いてるんじゃない? うちに就職しない?」
確かにそう言われてみれば、葡萄農家に向いている能力かもしれない。さっき空は、葡萄は世話が面倒くさそうだから葡萄農家は目指さないでおこうと思ったが、泰造のような能力があったらそう考えなかったかもしれない。
「たいぞうにいちゃんが、ぶどうのうか……いいんじゃない?」
「いや良くねぇからな? 今も視界がかなりうるせぇんだぞ。沢山の物がずらっと並んでんのは、俺には結構負担なんだよ」
(あ、そっちの問題があったか……)
そういえば泰造は竹林で視界を塞いでいるような男だった。視界を遮るためか、今日も重たそうな前髪を下ろしたままだ。
「うーん……でも、まいにちみてれば、なれるんじゃない?」
「一日ここで仕事をしたら、途中で魔力が尽きて行き倒れそうだから嫌だ」
キッパリと言い切る泰造に、圭人は残念そうにしつつそれなら仕方ないと頷いた。
「泰造くんの能力は何だか難しいんだね……もし就職したくなったらいつでも言ってね」
「いや、なりませんから!」
残念ながら泰造にその気はないらしい。
「空、美味しい?」
「すっごくおいしい!」
大人たちの働きによって沢山あったマスカットと巨峰はそれぞれきちんと籠に収まり、行き先ごとに分けられて魔法鞄へとしまわれた。
作業が一段落したので、全員揃って葡萄棚の木陰で休憩だ。運ぶ作業が終わると葡萄たちも気が済んだらしく襲ってこなくなった。
空はさっき子供三人で分けた葡萄とはまた別の葡萄を一房貰い、シャクシャクと口に運んでは幸せそうにうっとりしていた。
空の膝の上にはフクちゃんがちょこんと座り、葡萄を貰ってつついている。
嘴がべたつくのが気になるらしく時々空のズボンで汚れを拭っているが、今日はずっと雪乃の側で大人しくしていてくれたし、と空は見て見ぬフリをしていた。
「今年も本当に美味しいわ、沢田さん」
「ありがとうございます。おかげさまで順調に出荷できそうです。良かったら、また少し日を開けてご協力をお願いします」
雪乃に褒められて圭人は嬉しそうにそう言い、葡萄畑をくるりと見回す。圭人が世話をする畑は広く、まだまだ収穫すべき葡萄は残っている。
今日採れたものの大部分は、離れた街や村に送られる予定だった。
「うちは構わないけど、空以外の子供たちだけだとやっぱり上手く行かないのかしら?」
「そうなんですよ……近所の子供たちや勇馬の友達にも頼んで試してもらったんですが、より小さい子の方が葡萄受けが良くて、そうなると褒めるのがまだあまり上手くなくて。やっぱり空くんが一番口がうま……ええと、加減が上手なようです」
「えへへ、ぼく、それじしんあるよ! おやさいとかくだものとか、ほめるのたのしいし!」
空はその評価を受けてちょっと誇らしげな表情を見せた。
前世の記憶のおかげで妙に口や演技が上手い幼児であることは、今の空にとってはある意味強みだ。
その強みによって美味しい作物を分けてもらえるなら、空はそれを是非とも活用したいと思っている。褒め殺しでも泣き落としでもあざとい演技でも、美味しい物のためなら何でもやってみせる。
「ぶどうさんがうれしくなってくれると、ぼくもうれしいよ!」
ほめられた果物たちも嬉しいし、それを美味しくいただける空も嬉しい。まさにWin-Winというやつだ。
「空はすげぇな……俺もそういう路線でモテを目指すべきか……?」
「いや年齢的に無理だろ。あとお前だと、下手なことして面倒くさい女とか引っかけそうだから止めとけ」
泰造が小さく呟くと、それを聞いていた良夫が首を横に振る。
「いや、俺にだって相手の良いとこを見て褒めるくらい出来るはず……!」
泰造はそう言うと片手で前髪をバッと上げ、試しにすぐ目の前にいた勇馬に目を留めた。
「えー、君の潜在能力結構すごいね、なんか将来ムキムキになれそう! 一日十分魔力循環と軽い筋トレすると、二ヶ月後にはもう一割は能力上昇すると思うよ! とかどうよ?」
「それは褒めじゃなくて完全にただの助言だし、一目でそこまで理解されると知らない女には気持ち悪がられる可能性がある。いっそお前はそういう指導教官目指すべきなんじゃないか? つーか、その助言俺も受けたいんだけど」
「なんでだよ、褒めたうえに役に立つならもっといいだろ!? あと誰がお前なんかに助言すっか! 伸びしろがまだまだあるとか、俺は認めねーからな! 百貫様にお百度参りとか、絶対すんなよ!」
良夫の突っ込みについ振り向いた泰造には、何か見えてしまったらしい。思わず口走ってからハッと口を押さえたが、それは既に遅かった。
「わかった、お百度参りだな」
「いや、今のなし! 大嘘だから!!」
「タイゾー、オレもまりょくじゅんかん? とキントレやって、じいちゃんみたいにムキムキめざすな!」
「おう、頑張れ……じゃねぇからぁ! あと先生って呼んで!」
泰造はいちいちひねくれた態度を見せるが、結局は根が素直な男なのだった。




