2-95:葡萄狩りのお誘い
「空、勇馬くんのお父さんが葡萄の収穫を手伝ってほしいそうなんだけど、どうする?」
「いく!!」
とある日の朝のこと。
空は雪乃のその言葉に、丼からバッと顔を上げて大きな声ですぐさま答えた。その動きで頬に付いたご飯粒がポロリとこぼれ落ちる。
それをフクちゃんがちょいと拾って食べたが、空はそれにも気付かずもう葡萄畑に心を飛ばしていた。
「ぶどう……みどりのきらきらのも、おおつぶのくろいのもおいしかったよね……ことしもおいしいかなぁ」
「ええ、良い出来だそうよ。今年は近くの村からの注文が増えたから、少し早めに収穫したいんですって」
「じゃあぼく、がんばっておてつだいするね!」
勇馬の父、沢田圭人は魔砕村では数少ない葡萄農家だ。魔砕村で育つ葡萄は完璧主義で、完熟しない実の収穫を嫌がって拒否するという性質がある。
しかし子供の泣き落としや褒めには弱いということが去年発覚したので、空は何回か収穫を手伝った経験があった。
その手伝いのお礼に葡萄が貰えるので、食いしん坊の空にとって断る理由は全くない。
「じゃあ、ご飯食べたら出掛けましょうか」
「うん!」
空は嬉しそうに頷くと、途中だった四杯目の丼ご飯に向き直りせっせと手と口を動かし始めたのだった。
「こんにちはー!」
朝食後、空は雪乃と共に沢田家へとやってきた。
敷地に入って空が元気良く呼びかけると畑の方からハーイと返事が聞こえた。そちらに向かって進むと、奥から勇馬が駆けてきた。
「あ、空、おはよー!」
「ユウちゃん、おはよう!」
勇馬はブドウ棚の下から出てくると、周囲をキョロリと見回し首を傾げた。
「あれ、空だけ? アキラにも声かけたのに」
「アキちゃんね、いもうとのさくらちゃんがなきやんだらくるって。いけなかったらごめんっていってたよ」
ここに来る途中で明良の家にも寄ったのだが、妹の咲良がぐずっているので側にいたいと断られたのだ。
空がそれを伝えると、勇馬はちょっと残念そうにしつつも機嫌を悪くすることはなく頷いた。
「そっか、じゃあしょうがないな」
「ユウちゃん、いいの?」
随分とあっさり納得した勇馬に、空は思わずそう聞いてしまった。勇馬は一つ頷くと、にかっと笑って見せた。
「だってアキラ、妹のことすごいかわいがってるし! オレはもうそういうの、わかってやれる男なんだぜ!」
「おお……ユウちゃん、かっこいいね!」
勇馬はしばらく会わない間に随分と大人びていたらしい。小学校に行き始めたのも良かったのかもしれない。空が褒めると、勇馬は少しばかり照れくさそうな、けれど嬉しそうな表情を見せた。
「それよりさ、早くブドウのとこ行こうぜ! オレの弟もいるんだ!」
「ユウちゃんのおとうと? いく!」
勇馬に手を引かれ、空は葡萄畑に向かって駆け出した。
緑の葉が茂る棚の下に入ると、途端に木陰の涼しさが身を包んだ。木漏れ日が地面に落ち、緩い風に揺られてキラキラと光が踊る。
ところどころで盛り上がる木の根に気をつけながら、勇馬と空は奥を目指した。その後をゆっくりとフクちゃんを肩に乗せた雪乃がついて行く。フクちゃんは今日は迷子にならぬよう、雪乃が預かっていた。
「父ちゃん、空がきたよー!」
「あ、空くん、米田さん、いらっしゃい!」
畑の奥には勇馬の父の圭人と、空より少し小さな男の子が一人いた。二人はしゃがみ込み、緑色の葡萄を見上げて指さし、何かおしゃべりをしていた。勇馬が手を振って声を掛けると圭人が振り向き、空や雪乃にぺこりと頭を下げる。
勇馬は二人のところへ空を連れて行くと、しゃがんでいる男の子を指さした。
「空、これ、オレの弟のショウマ! ショウマ、オレの友だちの空だよ!」
「こんにちは!」
紹介された空が笑顔を向けると、男の子は不思議そうな表情で空の顔を見上げた。
「翔馬、挨拶できるかい?」
「……ん、こんちは」
圭人に優しく促された翔馬はこくりと頷くと、空たちに向かって挨拶をした。かろうじて聞こえるかどうかというような小さな声だ。
(顔立ちはユウちゃんと少し似てる……けど、人見知りかな?)
勇馬は勝ち気で元気が良く声も大きいが、弟はどうやらそうではないらしい。
「翔馬は僕に似たのか、ちょっと人見知りで大人しい子なんだ。仲良くしてくれると嬉しいよ」
「いっしょにあそぼうって言っても、ショウマはあんまり外行くの好きじゃないんだよな。空と気が合うかも!」
「うん、よろしくね!」
外で駆け回るような遊びにまだついて行けない空としては、そういう子の方が歓迎だ。
空は翔馬の側に行って隣に座り込み、その顔を覗き込んだ。顔を見ると、保育所で何度か見かけたことがある子かもと空は思い至った。
部屋遊びをする班で一緒になったことがあるような気がするのだが、話をしたことはない気がする。空はまだ保育所に行く日も時間も少ないせいで、喋ったことのない子が多いのだ。
翔馬は勇馬とは雰囲気が違いすぎるので、兄弟だとは思わなかった。
「ほいくしょであってるかな? あそんだことはないかもだけど……」
「……わかんない」
翔馬もよく憶えていないらしい。空の顔を眺めて翔馬は首を傾げたが、特に嫌がる様子はない。見知らぬ子供を珍しそうに眺める瞳に、空はにっこりと笑いかけた。
「ショウマくん、いっしょにぶどうがりしよ!」
「……うん」
頷いた翔馬と共に立ち上がり、空は頭上に広がる葡萄を見上げた。薄緑で薄らと皮が透き通る、宝石のように美しい葡萄が今年も鈴生りだ。
「ぶどう、いっぱいだねぇ! ユウちゃんのおとうさん、すごいね!」
「だろ! 父ちゃんが今年もたんせーしたんだぞ!」
「はは、ありがとう空くん。今年も葡萄たちが頑張ってくれたんだよ。それで、うちの葡萄は早い時期に採っても美味しいからそろそろ収穫時なんだけどね……おわっ!」
圭人が照れたようにそう笑って葡萄を見るや、シュッと蔓が飛んできた。慌てて圭人は頭を引っ込め、その鋭い一撃からどうにか身を躱した。
「だから、もうそろそろ、良い頃合いだろ! 完熟じゃなくても十分美味しくなってるって! 痛っ、そうじゃなきゃ、村の外に出荷できないって、何度も、言った、よね!?」
言葉が途切れるのは次々と圭人を葡萄の蔓が襲うからだ。圭人は必死で避けているが、葡萄たちはその隙を突くように襲ってくるので時々叩かれている。
「父ちゃんがんばれ! 右からくるぞ!」
「がんばれー」
蔓を避ける圭人を息子たちが応援する。空はこの葡萄畑に何度か収穫の手伝いに来て見慣れているので、動じずに葡萄たちの気が済むのを待った。
これは葡萄たちにとっては圭人との交流のようなものなのだと、何度も見学して理解したからだ。圭人は痛がってはいるが、本当はそう強くは叩かれていない。じゃれつかれているようなものなのだ。
(……でも面倒くさそうだから、僕は葡萄農家にはならないでおこう)
やや暴力的な葡萄の相手は専門家に任せた方が良さそうだ、と空は自分の将来の選択肢からその項目をそっと削除した。
空は出来れば、もう少し大人しい作物と付き合いたいのだ。




