2-93:いつかまで、またもう少し
楽しい日々はあっという間に過ぎてしまう。
毎日皆で遊んで楽しく過ごしていたのに、ふと気付けばもう皆が帰る日が来てしまった。
空はその日の朝、いつもより少し寝坊をした。
このところ毎日、兄弟の誰よりも早く起きて皆の寝顔を眺めていたのに、今朝は起きたくなくてぐずぐずと布団に留まっていた。
隣で眠っていた陸が目を覚まし、空を揺すってもしばらくは寝たフリをしてしまったくらいだ。
それでも諦めて目を開け、一緒に顔を洗いに向かう。
沢山楽しく遊んだんだから元気に見送らなければと思うのに、やっぱり元気が出なくて、空はしょぼしょぼと顔を洗ってご飯を食べた。食欲もなくて、お代わりもいつもより一回少なかった。
それでも、時間は無情にもどんどん過ぎて行く。
荷物をまとめ、帰り支度がそろそろ済んで、もうすぐバスが来てしまうという頃。
「おおい、邪魔するぞ」
カラカラと扉が開く音がして、玄関から聞き慣れた声が掛かった。
「あら、善三さん。おはよう。どうしたの、こんな朝から」
玄関に顔を出した雪乃がそう挨拶をすると、善三はおはようと返してどかりと上がり框に座り込んだ。
「どうもこうもねぇよ。幸生のやつが注文してきたのが出来たから、持ってきたんだ……」
善三は疲れた様子でそう言って、竹籠から大きな風呂敷包みをずるずると取り出した。
「幸生さんが? あ、これは……子供たちのあれね?」
「ああ。俺のとこはやってねぇつってんのに、どうしてもって言うから仕方なく……原型は超特急で余所に頼んだそうだから、付与だけだがな。ったく、本当にアイツは何でも俺に頼みやがって……」
ブツブツと愚痴りながら善三は風呂敷を開いた。その中には、カブトムシの角で作った何本もの刀と投石器が入っていた。
「まぁ、綺麗に出来てるわ。さすがね」
「ああ」
雪乃は感心した声を上げ、それから支度をしていた子供たちを玄関に呼び集めた。
その声に気付いて幸生やヤナもやってくる。
「うわぁ、俺の刀? もうできたの? すっごいかっこいい!」
「あ、これ私の? 持つとこをピンクにしてって言ったの、ちゃんとなってる! ありがとう!」
「ぼくのどれ? どれ?」
わあわあと大騒ぎする子供たちに眉を寄せつつ、善三はそれぞれに分かりやすく色分けした武器を手渡した。
樹の刀は少し長めで、投石器も握りが太い。どちらも青く染めた皮が持ち手に巻いてある。
小雪の刀は本人の希望で少し短く、投石器も握りやすそうな形状だ。ピンクに染めた皮が巻いてある。
陸の刀は小さな子でも取り回せる長さで、危なくないよう先が丸く、刀というよりは棒のような形状だった。投石器も小さめで、緑の皮が巻いてあった。
「それぞれ、大きくなって合わなくなったらまた新しいのを作るといい。都会じゃそういうのを振り回すにも面倒くせぇルールがあるらしいから、わざと危なくないのにしてあるからな」
誰かに当たっても怪我をさせたりしないような魔法が付与してあると善三は説明してくれた。
「そっちの投石器も、弾はいらねぇから、試しにただ引っ張ってみろ」
そう言われて樹がぐっと紐を引く。すると何もないはずの紐の真ん中に、幻の弾が現れた。
「え、何これ!」
「そのまま壁に向かって放してみろ」
驚きつつも樹が指を放すと、ビヨン、と勢い良く放たれたゴムが幻の弾を弾き飛ばす。弾は壁に当たってパチンと弾け、そこに薄らと赤い印を付けて消えていった。その印も、十秒ほどするとゆらりと消え失せた。
「当たったの?」
「ああ。実際の弾はないが、その代わりに幻の弾が現れて、当たった場所を示すようになってる。それなら、狭い部屋でもどこでも、的さえあれば練習できるだろ」
「えええ……いいなぁ」
それはものすごく画期的だ。それなら場所を選ばずどこでも練習できるではないか。部屋の中で、障子や襖に穴を空ける心配もない。
空が思わず呟くと、善三はぐっと歯を噛みしめてビシッと風呂敷に残ったものを指さした。
「そう言うと思って、お前のもちゃんと作ってあるだろうが!」
「えっ! それ、ぼくのなの!?」
残りは一緒にカブトムシを獲った明良や結衣の物かと思っていた空は、驚いて風呂敷を覗き込んだ。風呂敷には確かにもう一組、短めの刀と投石器が残っている。持ち手は水色に染められた皮だ。
「弾のいらねぇのは練習用にしたらいい」
「わぁ……ぜんぞうさん、ありがとう! すっごくうれしい!」
「そら、おそろいだね!」
「うん! ぼく、うんとだいじにする! いっぱいれんしゅうするね!」
空がその二つを手に取り、ぎゅっと抱きしめてそう言うと、善三は黙って頷き、幸生は後ろで静かに天を仰いだ。
「ふふ、皆、良き狩りをし、良き武器を作って貰ったな。さ、そろそろ時間なのだぞ。出かける支度をせねばな」
皆を見守っていたヤナがそう言って声を掛け、列車の時間が近いと皆を促す。
子供たちは全員、自分の武器を大事に抱えて頷いた。
「善三は少し休んでいくがいいぞ」
「いや、俺はこれを届けに来ただけだからよ……」
「一昨日皆で作ったクッキーがあるのだぞ。お茶を入れてやろう」
「……馳走になろう」
特急で注文を仕上げて疲れているらしい善三にヤナはお茶を勧め、その間に子供たちをはじめ全員で荷物をまとめて支度を済ませた。
それから間もなく米田家の前にバスが到着し、善三のことはヤナに任せて、一家はバスに乗り込み、駅へと向かった。
「……そら、たのしかったねぇ」
「うん。すっごく、たのしかったね」
帰りのバスの中で、空と陸は楽しかった日々を思い返しながらおしゃべりをした。二人の手には
さっき貰った投石器がしっかり握られている。時々、バスの壁に向かってピュッと幻の弾を飛ばして赤い印を付けては笑い合う。
「ぼくね、みんなとしたいこと、ぜんぶできたよ!」
「ほんと? よかったぁ! ぼくもね、おにごっことかたくさんできて、たのしかったよ!」
東京ではもう友達と出来ない遊びがここでなら沢山出来たと、陸は嬉しそうにしている。空はそれが嬉しい。
「りく、ぼくね。りくとおんなじように、はしったり、とんだり、まだできないなってちょっとくやしかった。でも、ぼくにできることもあるから、まぁいいかなっておもうんだ」
空がそう言うと、陸はウンウンと真剣に頷いた。
「いいとおもう! だって、ぼくにはフクちゃんもテルちゃんもいないし、そらみたいにいっぱいたべられないし! そらはすごいとおもう!」
その言葉に空はくすくすと笑う。いっぱい食べるのがすごいかどうかは分からないが、それを陸が認めてくれたことが嬉しい。
「つぎはおしょうがつかなぁ」
「おしょうがつ、たのしいことある?」
陸の問いに、空はもちろん、と強く頷く。
「ゆきがふるよ!」
「ゆき? ほんと? しろくて、つめたいやつ?」
「そう! そんで、ばぁばがかまくらっていう、ゆきのおうちみたいなのつくってくれるの!」
空が手を大きく広げてそう言うと、陸は目を輝かせた。
「え、カマクラ? 俺、それテレビで見たことある! いいなー、俺も入ってみたい!」
「私も! カマクラの中で、おしることか食べるの、やってみたいなぁ」
それは樹や小雪にも魅力的だったらしい。
雪乃は子供たちに期待の眼差しを向けられて、笑いながら頷いた。
「お正月に来たら、大きいのを作ってあげるからね」
「やったぁ!」
その約束に、子供たちはバスが揺れたかと思うほどの歓声を上げた。
「おしょうがつも、きっとたのしいね!」
夏もまだ終わらないけれど、もう冬の約束を皆で交わして。
そんな楽しい未来の約束を重ねて行こうと思いながら、空は陸と笑い合う。
いつの間にか、空の胸から寂しさはほとんど消えていた。
あるのはほんの小さな一欠片と、それよりもずっと大きな未来への期待だ。
未来に向けた楽しい約束は、窓の外の夏雲のように大きく白く、山盛りに輝いているようだった。
二年目の夏編はこれにて一区切りです。
再開までまた少しお時間いただきます。少々お待ちください。




