2-86:心の準備
とりあえず、子供たちは虫取りのための道具を雪乃の魔法鞄に詰め込み、まずは実物を探しに出かけることにした。
メンバーは杉山家の子供たち四人の他、武志と結衣、明良と勇馬だ。あとは引率で紗雪の他に雪乃も付いてくる。空と陸はまだ小さいので大人同伴でなければ許可はできないということだった。空としては大人が側にいてくれなかったら絶対行きたくないので、むしろありがたい。
空は午前中だがテルちゃんを起こし、フクちゃんを肩に乗せて準備万端だ。
「テル、タノシミ!」
「うん……がんばろうね、テルちゃん」
朝は意気込んでいたが、実際に出かけるとなると空の気分は下降気味になる。しかしテルちゃんに退屈をさせない、命令をして指定したことをやらせる訓練をする、と考えた場合、カブトムシはちょうどいい獲物だろうと、七代からも勧められたのだ。
空は腰に付けた小さな竹籠の中を確かめ、テルちゃんを抱えて皆と玄関を出た。
「友達に聞いたら、東地区だと最近スイカ畑の近くにいることが多いんだってさ」
という武志の提案に従って、皆でスイカ畑をまず目指すことになった。
「カブトムシってスイカ食べるの?」
樹の質問に、武志は少し考えて首を横に振った。
「割れて飛び散ったのをこっそり食べてることはあるって聞いたけど……スイカにからまれて動けなくされることもあるから、あんまり畑に入ってこないらしいよ」
さすが魔砕村。スイカも敵を前にただ爆発して食べられるだけの弱者ではないようだ。
そんな話をしながらスイカ畑の近くまで来ると、武志がこっち、と塀の横に続く脇道に皆を誘った。
背の高い塀の横はどこかの家の畑だった。塀と畑の間を通り抜ければ、その向こうは緩衝地帯のような草地と雑木林だ。きちんと管理されているのか、雑木林の中はある程度下草が刈られ、中まで入りやすくなっていた。
「この辺に多分いるはず……」
武志はちょっと待っててと皆を待たせ、そっと林の中を見に行った。
その間に子供たちは草鞋の紐が緩んでいないか点検し、道具を取り出して準備をする。
空はふと気になったことがあって、雪乃の側に行って声を掛けた。
「ね、ばぁば。アオギリさまのけっかいって、かぶとむしはとおすの?」
「アオギリ様の結界は人間に敵対的なものや、畑をひどく荒らす生き物を入れないようにするためのものなのよ。カブトムシは大きいだけで動きも鈍いし、攻撃的じゃないから構わないの」
アレで鈍くて攻撃性がないのか……と空はちょっと遠い目をした。空が攫われて宙に持ち上げられたのは、単純に足が服に引っかかって外れなかったがゆえの事故だったのだ。
運が悪かったというか、空が油断していたのも悪かったのだろう。
空は何となく肩の上にいるフクちゃんをちらりと見る。怖かったけれど、あの出来事がなければこの可愛い鳥は身化石から孵ることもなかったのかもしれない。そう考えると結果的には悪くない気もしてくる。
「ホピッ?」
何かあったかとフクちゃんが首を傾げたが、空は笑って首を振った。
「フクちゃんも、きょうはいっしょにがんばろうね」
「ホピピッ!」
「テルモ! テルモダヨ!」
「はいはい、テルちゃんもね」
空は笑って、腰に付けた竹籠の蓋を開いた。
「いたいた! 奥の方にいっぱいいたよ!」
「やった!」
「じゃあじゅんびしよ!」
「どうすればいい?」
武志が戻ってきて、カブトムシがいたことを教えてくれた。途端に男の子たちはやる気を出し、小雪や結衣はちょっと嫌そうに首を横に振っている。
「これだから男の子って……虫なんかどこがいいのかなぁ」
「ねー。あ、でもわたしも、いっぴきくらいはとりたいんだよね……」
「えっ、そうなの?」
結衣は驚く小雪にうんと頷いた。結衣は空が作ってもらった投石器が欲しいのだ。
去年の秋に空に触らせてもらった後、結衣は祖父母に頼んで武志と一緒に隣町に連れて行ってもらった。しかし残念ながらカブトムシの角は処分された直後で、手に入らなかった。
冬になれば子供たちもあまり狩りをしなくなるので、夏に武志と一緒に狩って手に入れることにしたのだ。
「そらちゃん、きょう、あれもってる?」
「あるよ!」
空は結衣に聞かれて、腰の竹籠から投石器を取り出した。ついでに、去年拾ったドングリもいくつか取り出す。
「あ、これ前に空が送ってくれたドングリ!」
「このどんぐりを、これでとばすんだよ」
空は試しにドングリを一つ投石器に当て、紐をぐいっと引いて近くにあった木に向かって放った。
カコン! といい音をさせて、ドングリは狙った木の真ん中に当たる。
「わぁ、そらちゃんうまい!」
「えへへ、いえでいっぱいれんしゅうしたから」
そう、空は去年からずっと、遊びを兼ねて投石器でドングリを飛ばす練習をしていたのだ。攻撃力はないに等しいが、それでも何かの訓練にはなると思ってコツコツ続けていた。距離にもよるが、今では狙った場所にそれなりの精度で当てることができるようになっている。
「それ面白そう!」
「でしょ? だからカブトムシとりたいんだぁ」
「カブトムシ……え?」
小雪がカブトムシと投石器の関係について疑問符を頭に浮かべている間に、男の子たちの準備は整ってしまった。
「よし。じゃあまず俺がどれを狩るか選んで、勇馬と一緒にかぎ縄をカブトムシに掛ける。そしたら皆で引っ張る。わかった?」
「まかせろ!」
「うん、だいじょうぶ!」
「んで、樹と陸はこれ。棍棒な!」
武志はそう言って雪乃が用意してきた、先が太くなった棒を二人に差し出した。子供が振り回せる位の長さだが、堅い木で出来ているのか見た目より少し重そうだ。持ち手の部分は削って布が巻いてある。
雪乃は子供たちの体格に合わせて用意してくれたようで、武志は長い方を樹に、短い方を陸に手渡した。
笑顔でそれを差し出された樹は反射的に受け取り、それから困惑したようにその棒を見下ろした。
「え……こんぼう? 棒……」
「これどうするの?」
「落ちてきたカブトムシを、それでバシッと叩くんだよ。出来れば頭の方狙って。でも陸はまだ小さいから、あんまり前に出ちゃ駄目だぞ。お前のママの言うこと、ちゃんと聞くんだぞ」
「わかった!」
武志の言葉に陸は素直に頷いた。紗雪も陸の側に立って頷いている。しかし何をするのか未だによくわかっていないのは樹だった。
「えっと……叩くの? カブトムシを? そんなことしたら死んじゃわない?」
「え? だって、狩りだもん。カブトムシを倒さなきゃ、角が取れないだろ?」
「狩り……角……えっ、そういうやつ!? カブトムシ、飼うんじゃないの!?」
樹が驚いてそう声を上げると、武志も驚いて目を丸くした。
「アレ飼うとか、無理だろそんなの! さっきも言ってたけど……紗雪おばちゃん、東京って、ホントにカブトムシ飼うの?」
武志が紗雪に聞くと、紗雪は首を傾げて小さく唸った。
「うーん……東京のカブトムシって、私も売られてるのしか見たことないんだけど」
「売ってるの!?」
「あのね、こーんな小っちゃいのよ、東京のカブトムシ。だから小っちゃい入れ物で飼えるらしいの」
紗雪は親指と人差し指を開いて、東京のカブトムシの大きさを示した。その小ささに武志たちはぽかんと口を開いた。
「えっ、そんななの!? でも、じゃあ、角を取って武器を作ってもらうとか無理だよね?」
「そうなのよ。都会の子は、そういう遊びっていうか、狩り自体をしないみたいで……あのね、樹」
紗雪は樹の方を向くと、この村のカブトムシがどういう存在なのかを説明した。
「この村のカブトムシはすっごく大きくて、村の林を荒らす害虫みたいなものなの。でも力はあるけどあんまり強くないから、子供たちの狩りの練習相手なのよ」
「狩りの練習……」
「前に、東京でダンジョンに行ったでしょ? あの時、樹たちもモンスター沢山倒したよね? ああいうのと一緒ね。それで、倒した後はその素材を子供たちで分け合って、武器を作ってもらうのよ」
そう言って紗雪は武志が持っているカブトムシの角で作った刀を指さした。
樹は呆然とした顔で紗雪の話を聞いていたが、ダンジョンで倒したモンスターと同じだと言われると何となく納得できたらしい。さらにそれで武器を作ると言われ、武志の持つ刀に目を留める。武志が持っているのは、形こそ刀だが色は全体的に焦げ茶色だった。艶があって、漆を塗った木刀のようにも見える。
「タケちゃん、それ、カブトムシの?」
「うん。去年作ってもらったんだ! 見た目は木刀みたいだけど、魔法を掛けるとちゃんと切れるんだよ。あと今日獲ったのは、空みたいな投石器の材料にしようと思ってるんだ」
「投石器……」
そう言われて樹が空の方を見れば、空が小雪に何か説明している姿が目に入る。その手には確かにYという字に似た道具が握られていた。
樹はしばらく何か考えていたが、やがてぷるぷると頭を横に振って、うん、と大きく頷いた。
「わかった! 大丈夫! この村では、カブトムシは飼わないし、狩っていいやつ! そんで俺も、何かかっこいい武器を作ってもらう! これでいいんだよな?」
「うん、ばっちり! 一緒にかっこいい武器作ってもらおうな!」
かっこいい武器に惹かれたのか、樹は笑顔で頷いた。その隣では、陸がぼくもと主張している。
それを見て紗雪と雪乃は、樹たちには田舎でもやっていく気概がありそうだと少しホッとしたのだった。




