2-75:謎の争い
一息ついて隆之と空が立ち上がると、今度は全員でゆっくりと歩き出す。今いる場所は巨大なテーブルのようなキノコの傘の上だ。
広場のようになっているその奥にはさらに大きなキノコがそびえ立ち、その手前には大人の腰までありそうな赤いキノコが、まるで祭壇のように並んで生えている。
その前まで行くと、雪乃は赤いキノコに向かって声を掛けた。
「コケモリ様、こんにちは。いらっしゃいます?」
少し待つと、どこからともなく囁くような声が返る。
『いるとも、いるとも。よう来たな』
そんな声と共に、赤いキノコの天辺にポッと光が灯り、それがパチンと弾けて以前と変わらぬコケモリ様が姿を現した。空はその大きな椎茸の姿を見て、元気良く挨拶をした。
「コケモリさま、こんにちは!」
『おお、空、空か。久しいの。元気であったか』
「げんきだよ! コケモリさま、あのね、ぼくのかぞくです! ぱぱと、おにいちゃんとおねえちゃんと、おとうとのりく!」
空が順番にそう言うと、コケモリ様はむにょんと柄を捻って傘を揺らした。
『兄弟が多い、多いな。皆元気が良さそうだ』
「コケモリ様、お久しぶりです」
『紗雪、紗雪か……春以来だの。ところで、何故紗雪は階段キノコを上がってこぬのだ。毎回わざわざ段差がきつい場所を跳び越えてくるのは何故だ』
「え……そのほうが早いし、楽しいから?」
どうやら紗雪は春に蛙を狩るためこの山に来た際も、同じことをして挨拶に来たらしい。
コケモリ様は理解に苦しむといった様子でぷるぷると傘を横に振ると、気を取り直して子供たちの方を向いた。
空以外の子供たちと隆之は、さっきからそのコケモリ様の姿に釘付けだった。
『うむ……童よ、童たちよ、なぜそんなに我を見て固まっておる』
声を掛けられて子供たちがビクリと跳ね、ハッとお互いに顔を見合わせ、そしてまたコケモリ様を見る。そして全員が一度に叫んだ。
「椎茸だー!!」
「何でしいたけ!?」
「きのこのかみさま!」
大音量の叫び声を浴びたコケモリ様が驚いてビビビビッと小刻みに震えた。
次の瞬間、子供たちはわっとコケモリ様がいる赤いキノコの側まで走り、物珍しそうに大きな椎茸を取り囲んだ。
「ホントに神様なの!? 触っていい? あ、椎茸の感触がする!」
「私しいたけ好きじゃないけど、これは食べないやつだよね? でも何でしいたけなの神様!」
「かみさま、しいたけ? ぼくもさわる!」
陸は手前に生えていた小さめのキノコを足場にしてぐいぐいと登ると、硬直しているコケモリ様をペタペタ触って、それからその根元に無造作に手を伸ばした。
「りく、りくまったー!! むしっちゃだめ! そこおりて! おにいちゃんたちも、ちょっとはなれて!」
空は好奇心旺盛な弟が何をしようとしているのか瞬時に悟り、その背中をぐいと引っ張って引きずり下ろした。さらに兄たちの服もぐいぐい引っ張り、コケモリ様から距離を取らせる。
兄弟たちはえーとかちぇーとか言いながらも、空の言うことを聞いてコケモリ様から少し離れた。
「コケモリさま、だいじょぶ? びっくりした?」
『……びっ、びっくりした、びっくりしたぞ!? 子供ってこんなだったかの!?』
コケモリ様が傘を縮めてぶるぶると震える。雪乃は子供たちをさらに下がらせ、コケモリ様に頭を下げた。
「ごめんなさいね、コケモリ様。子供たちが失礼をして驚かせてしまって……」
『怖い、怖いぞ!? 我、今むしられそうだったぞ!?』
「だって、したのきのことくっついてるのか、きになったんだもん!」
陸は悪びれもせずそう言ってコケモリ様をじっと見つめた。コケモリ様はその視線から逃れたそうに身を捩る。
『今まで、今まではそんな事は無かったのだぞ!? 米田の孫は怖すぎる!』
「それは……コケモリ様の所に村の子供を挨拶に連れてくるのは大抵一歳か二歳の頃だもの。その年齢だとまだ大人しくて、コケモリ様に詰め寄るような子供がいなかったんじゃないかしら」
『そうなのか? そういうものなのか? ……三歳以上の子供はお断りにするべきか?』
「良く言い聞かせておきますから、許してくださいな。ほらあなたたちも、コケモリ様にちゃんと謝らないと。いきなり詰め寄られてむしられそうになって、びっくりしたそうよ」
そうは言いつつ雪乃の態度はさほど悪いとも思ってはいなさそうだった。
去年空を水たまりで呼び出したり、明良の所に行くのを勝手に手助けしたりしたので、コケモリ様への米田夫妻の態度は少々厳しめなのだ。
「椎茸様……じゃなくて、コケモリ様? びっくりさせてごめんなさい」
「ごめんなさーい」
「ごめんなさい、もうむしりません……ちょっとひっぱるのもだめ?」
子供たちが口々に謝ると、コケモリ様はちょっとホッとしたのか縮めて捻っていた体を元に戻した。
「ホヒッ」
いつの間にか小さくなって空の肩に乗り、その騒動を眺めていたフクちゃんがおかしな声で小さく鳴く。
「フクちゃん、わらっちゃだめだよ」
シー、と指を立てて空が言うと、フクちゃんはツンと顔を背けて知らない振りをする。フクちゃんも意外と根に持つタイプだった。
「ええと……改めて、コケモリ様初めまして、紗雪の夫の隆之と申します」
仕切り直し、とばかりに後ろでぽかんとしていた隆之が前に出され、コケモリ様に頭を下げた。
「子供たちが失礼をいたしました。子供たちは上から、樹、小雪、陸と申します」
隆之が謝罪をした後に子供たちの紹介をすると、コケモリ様も気を取り直したようにうむ、と言ってむにゅりと傘を曲げ頷いた。
『よい、よいぞ。子供のしたこと……うう、許すぅ……ぅうううぅてぇい!』
許したくなさそうな声音で応えつつ、コケモリ様はぷるぷると小刻みに左右に震え、唸りながら気合いを入れた。するとその目の前にポンポンと音を立てて小さなキノコが四つ顔を出した。
食べるのにちょうど良いサイズの椎茸だ。
『これを、このキノコをそれぞれの頭の上に……菌糸が触れて縁が結ばれる。そなたらの魔力を我が記憶するのだ。それが終わったら疾く帰るがよいぞ』
「ありがとうございます、コケモリ様」
雪乃はコケモリ様にお礼を言い、四つ並んだ椎茸をプチプチとむしり取る。その迷いのない動きに、コケモリ様はまたちょっとだけ震えた。
「これを頭に乗せて、ちょっとじっとしててね」
雪乃は小さな椎茸を子供たちに見せると隆之を含めてその場に座らせ、頭の上に一つずつ置いていく。
「くすぐったい!」
「えー、何にもわかんないよ?」
「俺も!」
「パパもわからないなぁ」
敏感なのは一番幼い陸だけのようだ。空はそれを横目に見ながら階段になっているキノコをちょっと登って、コケモリ様のいるキノコの上を覗き込んだ。
「コケモリさま、ごめんね。みんながおどかして」
『うむ、いや、構わぬ……多分構わぬ。空が止めてくれて助かった』
子供たちに悪気が無いことをコケモリ様もわかっている。ただ、子供特有の無遠慮さに驚いただけなのだ。
『空、空は元気か。明良はあれからどうだ』
「ぼくはすごくげんき! アキちゃんも、すっかりげんきになったよ! このまえアキちゃんちにいもうとがうまれたんだ!」
『ほうほう! それは良い、良い事だ。新しい子供は良いな』
「きっとそのうち、コケモリさまにあいにくるね。みえおばちゃんとおんなじで、なくとくさがのびるこなんだって!」
『おお、おお、それはますます良いな! 会うのが楽しみだ!』
空の報告を聞いてコケモリ様は嬉しそうにぐっと柄を伸ばし、傘を反らした。するとそこにスッと近づくものがあった。
「あ、テルちゃん」
テルちゃんがいつのまにか隆之の肩から降り、キノコを上って来ていたのだ。
「コケモリさま、このこ、ぼくのせいれいになったテルちゃんです。テルちゃん、コケモリさまは、テルちゃんとアキちゃんのとこまでぼくをあんないしてくれた、このやまのかみさまだよ」
空の紹介にコケモリ様は驚いたようにテルちゃんの方に傘を向けた。
『なんと! なんとなんと、ではこれは、あの時のナリソコネか!』
コケモリ様は驚いたようだが、それでもテルちゃんの姿を見て喜んでくれたようだった。
『ふむ、ふむふむ。空と契約がなったと聞いておったが……新しい姿を得て、随分安定しておるようだの。良かった良かった』
テルちゃんは喜ぶコケモリ様をじっと見つめ、黙ったままその周りをぐるりと一周した。
「テルちゃん? どうしたの?」
「……テルノホウガ、カワイインジャナイ?」
『何? 何を言っておる?』
「テルノホウガ、カワイイ!」
『断言した! 断言したぞ!? ちょっと待て、ぬしもまあまあだが、どう見ても我のほうが可愛いであろ!? ぷりぷりの傘、スッキリ伸びた柄! 我はぱーふぇくとであるのだぞ!?』
コケモリ様は自慢の傘を揺らしてテルちゃんの言い分に異議を唱えた。テルちゃんはそんなコケモリ様の周りをクルクルと回りながら、テルのほうが可愛いと主張している。
どうも精霊っぽいもの同士で、張り合う気持ちが湧いているらしい。
「ホピッ、ホピピホピッ!」
何だか混沌としてきたな、と空が遠い目をしていると、肩にいたフクちゃんがサッと降り立ち参戦し……恐らく自分が一番可愛いと主張しだした気がする。
「カワイイノハテル!」
『どう見ても我だ、我のほうが可愛い!』
「ホピルルルッ!」
最終的に、テルちゃんを雪乃が、フクちゃんを空が回収して、幸生がコケモリ様にそっと圧をかけるまで、その争いは続いたのだった。
『はー……疲れた。疲れたのだぞ。米田の……そなたらの孫も婿も、元気だし問題ない。縁も結んだし、土産をやるから疾く帰れ』
疲れ果てたコケモリ様が投げやり気味にそう言うと、あちこちから小さな笑い声がし出した。コケモリ様に呼ばれて、眷属のキノコの妖精たちが次々に姿を現す。
子供たちはその可愛い姿を見て目を丸くし、次いで大喜びではしゃぎ回った。
「小っちゃいのがいっぱいだ!」
「かわいーい!」
「ようせいさん? ちかくでみたい!」
『コドモ? コドモいっぱい!』
『ソラとそっくり!』
『あそぼ、あそぼー!』
『オミヤゲどうぞ!』
キノコの妖精と子供たちのほうが、どうも相性が良かったらしい。妖精は陸に追いかけられても、遊びと思ってか喜んで逃げ回っている。
そんなキノコの妖精たちが輪になって生み出した色々なキノコを、空たちは大喜びで受け取った。
「コケモリさま、ありがとう!」
『よい、よいぞ。ついでにいくらか矢田の家にも分けてやれ。我が山のキノコは滋養によいのだ。その為にも疾く帰るとよい』
「うん!」
コケモリ様は米田一家に一刻も早く山を下りてほしいらしい。
しかし皆で手分けしてキノコを魔法鞄に詰め込み、後は帰るだけ……というところで空のお腹が盛大に音を立てたので、一家はコケモリ様の前でちょっと早いお昼ご飯を食べることにした。
コケモリ様はちょっとがっかりしたようだが、それでも腹を空かせた子供を山から追い出すような真似はしなかった。
空はそんなコケモリ様に、自分のおにぎりを一つ差し出した。
「コケモリさま、おにぎりいる?」
『うむ……では、一つ貰おうかの。一つでよいぞ』
空はコケモリさまの前に梅干しのおにぎりをちょこんと供えた。コケモリ様は特に食べ物を必要とはしないが、お供えされるのは嬉しいらしい。
飲み物の代わりに雪乃が持ってきたスイカも切り分けられていたので、それも一切れ並べて供える。
『神にとって供え物とは、力になるものなのだ。そこに込められた思いを食べるのだ』
「おにぎりはたべないの?」
空が首を傾げると、コケモリ様はちょっと悩んだ後、ひそりと声を潜めて教えてくれた。
『後でな、後で吸収するのだぞ』
なるほど、と空は納得して頷いた。そう言われて見れば、コケモリ様は椎茸の姿なのだ。そもそも口が無い。口から食べる人間とは根本的に違うが、子供たちが驚くだろうと配慮してくれているらしい。
コケモリさまの前に置かれたおにぎりを啄もうと近寄るフクちゃんをむんずと捕まえ、空は自分もおにぎりに齧り付く。
「かみさまって、ふしぎだねぇ」
魔砕村の神様も、その側に住む神様も皆不思議で、そして優しい。
『人間もな。人間も、我らにとってみれば甚だ不思議なのだ。不思議で、どうにも面白い』
「そうなの? だからコケモリさまは、ぼくらをよぶの?」
『そうさな……そうかもしれぬ。我らのようなものと人間はその在り方が大きく違う。違うからこそ面白い。だから、縁を結び知りたいのかもしれぬな』
あっという間におにぎりを食べ終え、また妖精と追いかけっこを始めた子供たちを見て、コケモリ様はまるで笑うようにパフッと軽く胞子を飛ばした。
違うから面白い、面白くて知りたい。その気持ちは空にもわかる気がした。
空は何となくそんなコケモリ様に、自分のおにぎりをもう一つお供えしたのだった。




