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第5章 子供の頃の話➁

 

 それにしても、つくづく私はお人好しだと思う。

 貴族の子供にとってダンスのレッスンは必須だ。社交場に出た時ダンスが踊れなくては笑い者になるからだ。それを無料で踊れるようにしてあげたのだから。


 そもそも七歳当時、ピアットはピアノのレッスンだけは嬉々としやっていたけれど、ダンスの練習は契約のために嫌々やっていたのだ。

 彼はリズム感がずば抜けて素晴らしかったけれど、幼い頃から家の中に籠もっているのが好きだったから、体力があまりなかったのだ。

 そんな彼に教師はこう言った。

 

「ピアット君。君は将来何になりたいの? 

 えっ? ピアニストだって? それは無理だね。

 なんだって? ピアノ教師からピアニストになれる才能があると太鼓判を押されたって? 

 だめだよ、そんなおだてを素直に信じちゃ。

 君はダンス一曲踊っただけで息が上がっているのに、力強い曲を最後まで弾き終えることができているのかい?

 ピアニストというのはコンサートで何曲も弾き続けるのだろう?

 ピアノの腕がいくら良くたって、体力がなかったらまともに最後まで演奏ができないんじゃないのかい?

 そもそもピアニストに限らず、どんな仕事だって体力がなければ何をやっても成功しないよ」

 

 ピアットはこの言葉で変わった。一流のピアニストになるためには、ただピアノが上手く弾けるだけではだめだということがわかったからだろう。

 あのピアノ教師はたしかにピアノの腕前だけは一流だったのだろう。しかしそれでも演奏家にはなれなかった。

 もちろんそれは運の良し悪しもあったのだとは思うが、演奏の技術以外に必要な何か他の大切な要素が足りなかったからではないかしら。

 それを本能的にピアットも感じ取ったようだった。


 

 その後彼は、ピアノだけでなくダンスの練習にも熱心に取り組んだおかげで、王族と踊っても引けを取らないくらいに上達した……らしい。

 そして今の彼はもう単なる侯爵家の次男ではない。

 大陸大聖堂から音楽の聖人の一人に選ばれた、世界的な有名人。

 世界中の王族の女性方とダンスを踊ることになるだろう。

 そこで堂々と踊れるだけの技術を身に付けることができたのだから、本当に父と私に感謝して欲しいわ。


 王城の中庭で婚約破棄を突き付けていた時は、音楽の聖人に選ばれていたことをまだ知らなかった。

 けれど、彼の音楽家としての名声は既に世界的になっていたのだから、やがてこの国だけでなく多くの国の王室に呼ばれるようになるに違いない。

 だからあの時の私は、ピアットがどこかの国の華やかで美しい王女様と優雅にダンスを踊っている映像を思い浮かべていた。

 そして、婚約破棄に至った最大の理由を彼に告げたのだ。

 

「貴方は七歳の時、大人になって夜会や舞踏会に参加するようになったら、私をエスコートし、一緒にダンスを踊ると約束しましたよね。

 そして婚約の際にはきちんと契約書にその旨を了承してサインしたはずです。

 でも、私は公の場で貴方とダンスを踊ったことは一度もないわ。たしかに練習でなら八年も一緒に踊ったけれどね。

 幼い頃は目も当てられないくらい下手だった私のダンスも、死ぬほど練習をした結果、せっかく貴方の足を踏まずにすむくらいにはなったというのにね。

 

 貴方はこれまで、私がお願いしたパーティーに一度たりとも一緒に参加してくれなかったわ。これって契約違反よね?

 そして貴方が呼ばれていたパーティーにもパートナーとして誘われなかった私って、貴方にとってどんな存在だったのかしら?」

 

 涙がスーッと頬に流れ落ちて行くのを感じた。

 ずっと夢に見ていた。

 デビュタントのパーティーでピアットにエスコートされて登城し、彼と一緒にダンスを踊ることを。

 婚約者に蔑ろにされている惨めなご令嬢だと、周りからどんなに悪口を言われても、嫌がらせをされても、蔑まれても。

 でもその夢は叶わなかった。

 


 彼は音楽学院を卒業した後すぐに、ピアノのワールドツアーに出かけた。

 それでも、私の社交界デビューになるパーティーには必ず一時帰国すると約束してくれていた。

 それなのに、二週間前に突然やむを得ない要件ができたから帰れなくなったと連絡があって、私は愕然とした。

 足元から崩れ落ちて蹲った。メイドのアンジェに支えられてどうにか倒れ込まずにすんだけれど。

 

 あの時はわからなかったけれど、そのやむを得ない要件というのは、大陸大聖堂で音楽の聖人の選定を受けるためだったのね。

 だからそれを事前に説明するわけにはいかなかったから。

 四年に一度、聖人の選定が秘密裏に行われることは有名な話だった。発表されるまでは誰が候補となっているわからないということも。

 

 でも、もしそれを教えてもらえていたらどうだったろうか。そう考えてもみたが、結局答えは同じだっただろう。

 人には我慢の限界というものがある。それが私にとってはデビュタントの日までだったのだから。

 

 彼にとって音楽の聖人になることは音楽家として最大の目標で、侯爵家にとっては最大の名誉なことだっただろう。

 本来なら私もそれを共に喜ぶべきだったのかもしれない。しかし、愛されてもいない私にそれを求めるのはさすがに図々しいと思った。

 私の望みは最初から一貫していて変わることはなかったのだから。

 

 

 デビュタントのパーティーには遠縁の青年にエスコートしてもらった。

 そのせいで、その後私は散々な目に遭った。

 でも今さらピアットに恨みごとを言ったり、あの烏合の衆に復讐するのも面倒だわ。

 もう、バッサリ縁を切るだけでいい。逃げるが勝ち。これ以上関わってもろくな事にはならないもの。

 だから、あの国王陛下夫妻の結婚記念パーティーの日、私は王城の中庭で、きついと人から言われている目をさらに吊り上げてこう言った。

 

「私は野蛮な猿(・・・・・)だから、ピアノの練習なんて大嫌いだったわ。

 でも、貴方から私のレッスンの場に居させて欲しいと頼まれたから、止められずに続けてきた。ただそれだけよ。

 自分で自分のことを呆れちゃうわ。この恩知らずの図々しい男のために、なぜあんなにも我慢してピアノを続けてきたのだろうって。

 本当に馬鹿だったわ。

 今まで言う機会がなかったけれど、貴方が音楽学院の寮に入った直後に私はピアノのレッスンを止めたの。だって音楽のセンスの欠片もない(・・・・・・・・・)私が続けたとしても時間とお金の無駄でしょう?」

 

「君は本当はピアノが嫌いだったのか? 音楽も?」

 

 ピアットが驚愕した顔でこう訊いてきたから、私は、薄っすら笑いながらこう答えた。

 

「昔は好きだったわ。でも、誰かさんのせいで嫌いになったのよ。

 貴方の作った曲を聴く度に嫌な思いをしなくちゃいけなくなった。貴方のせいで人生の楽しみを一つをなくしたわ。最悪よ。

 こんなに精神的な苦痛を与えられたというのに、貴方に慰謝料を求めないのよ。そんな私に感謝して然るべきじゃないの? そうは思わなくて?」

 

「待ってくれ。もっとちゃんと話し合おうよ。五年も婚約していたんだよ。それなのにそんな簡単に別れるだなんて」

 

「五年も婚約していたのにろくに会話をしてこなかったから、私達はこうなったのよ。

 貴方がその会話する機会を与えてくれなかったのでしょ。それなのに今さら何を話すの?

 私の心はもうボロボロなの」

 

「あ……」

 

 ピアットが言葉に詰まったので、私はくるりと彼に背を向けて歩き出した。すると、彼の縋り付くような声が聞こえた。

 

「待ってくれ。お願いだ。僕の君への思いを聞いて欲しい」

 

 しかし二度と振り返らずに私は走り去った。淑女にあるまじき行為だったけれど、かまいやしないわ、と思った。

 彼は一度も私の話を聞いてくれなかった。それなのに、なぜ私ばかり聞かないといけないのよ、と心の中で怒りながら。

 そして半月前から進めていた計画通り、私は名目上療養目的で隣国へと旅立った。

 実際はテッサード王国へ文学を学ぶための留学だったのだけれど。

 

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