第45章 二人のその後
最終章となります。
「母国ソフーリアン王国の王太子、王座よりもあの庇護欲を誘われる儚げな愛妻を選んだらしいよ。王位継承権を放棄して、いずれ第二王子の臣下に下るって」
ピアットの常宿になっている高級ホテルの一室でコーヒーを飲みながら、彼が事も無げにそう言った。
「それって、誰の情報なの? お父様からもそんな話はまだ聞いていないけれど」
「パンドット公爵夫人から。昨日の公演を観に来て下さったので、その後お茶をご一緒させて頂いたんだよ」
パンドット公爵夫人とはソフーリアン王国の筆頭公爵家の夫人であり、国王陛下の一番上の姉である元王女様だ。
彼女からの情報であればそれは確かだろうと思った。
夫人はピアットのファンクラブを一番最初に立ち上げてくれた人物で、彼を学生時代からずっと応援してきてくれた、最も有り難くて大切なファンだった。
彼女はそれに対して恩を着せることもなく、これまで自力でピアットのチケットを購入してきた。それが本物のファンだからと。
しかし『ダブルソードスタイル二刀流』劇団の公演のチケットはさすがに購入できないだろうと、ピアットは夫人とそのお仲間の分のチケットを特別に贈っていたのだ。
「王座より真実の愛を選ばれたということでしょうね。それは王族やあの国にとっても朗報でしょう。
お困りになるのは王太子妃殿下のご実家の公爵家と、その派閥の一門だけでしょうから、何の問題もないでしょうね」
私が平然とそう言うと、ピアットがニヤッと笑った。
「このことで、これまで君に散々嫌がらせをしたり貶めてきたご令嬢方も、社交界で大きな顔をしてはいられなくなるだろう。
君が帰国して社交界に出ても、もう嫌な思いをすることはないと思うよ。
もちろん、まだそんな愚か者がいたら、僕が容赦しないけれどね」
ピアットの言葉に私は目を丸くした。まさか……
「王太子が廃嫡になるのって、貴方が何か手を回したの?」
「まさか。一度潰れかけた侯爵家の次男にそんな力があるわけがないじゃないか。
ただ、半年前に母の様子を見に帰国しただろう?
そのついでに、ずっと応援して守ってきて下さったパンドット公爵夫人に挨拶をしに伺ったんだ。
その時に夫人から、どうして母国で暫くコンサートを開かないのか。何故世界的に有名になったあの『ダブルソードスタイル二刀流』劇団のオペラが公演に来てくれないのかと訊ねられたんだよ。
だから、君には申し訳なかったんだけれど、あのオペラの脚本家が君だと話したんだ。
もちろん口外はしないと約束してもらったよ。彼女は信用できるお方だから」
「ええ。わかっているわ」
脚本家としての私のペンネームは「メーラー=エリザ=ファット」。
顔出しはしていない。そして本名も公表していない。
私が足繁く劇団に通っているのは、主催者の娘であるからと部外者からは思われているのだ。
公爵夫人は決して自ら表にはお出にはならないけれど、秩序と正義を守る方で、不正を許さない方だとお父様から聞いている。
ピアットが学生時代に、興行主に強要や脅迫を受け、契約違反をされそうになった時、相手方に異議申し立てをして彼を守って下さったのも、パンドット公爵夫人とそのご友人方だった。
「凡庸な現国王ではなくてあの方が女王になっていれば、この国はもっと発展していただろう。そして今なんとか国が保たれているのも、夫人が推した現王妃のお陰だ」
そうお父様も言っていたわ。
「それだけで夫人は全て納得されていたよ。夫人は僕が君を溺愛していることを知っていたから、君を苦しめていた連中に、彼女もまた怒っていたみたいだから。
その上二年前の国王夫妻の結婚記念パーティーの件があっただろう?
王家や王太子妃の実家、及びその一門には大層腹を立てていらしたそうだ。しかもその後の処分が甘過ぎるって。
もちろん帝国の一令嬢にまんまと騙されたこともそうだが、ソフーリアン王国の宝である僕を蔑ろにし、大聖堂から守ってやらなかった事に酷く憤ったらしい。
宝って言われると、恥ずかしく居た堪れないんだが」
「いえいえ、ピアットは本当に母国の宝でしょ。貴方の曲が聴けなくなったということで、多くのファンが抗議運動を起こしたことで、あのアクジット商会が潰れたくらいなんだから。
そのおかげで、他の商会も希少な薬を取り扱えるようになって、価格もずいぶんと下がって、多くの人達が喜んでいるわ。
そしてこの国から聖堂が撤退したし、ソフーリアン王国の聖堂も信者が激減したらしいわよ。
ガリグルット帝国内の大聖堂も帝国から見放されたみたいだし。
というより、ピアットを誘拐監禁したとソフーリアン王国が訴えたことで、大聖堂側から逮捕者が出たというじゃない。
ピアットの音楽の聖人の称号も無事お返しできたし、本当に良かったわよね。
これもみな、パンドット公爵夫人を始めとするファンの皆様のおかげよね」
私の言葉にピアットは大きく頷いた。
「本当に世界中のファンに感謝しているよ。
だからね、これからも音楽活動を続けたいと思っているんだ。それを君に許してもらいたいんだけれど、どうかな?」
「何故私にそんなことを聞くの?」
彼が音楽から離れられないなんてことは、昔から分かっていたわ。分かっていてその背中を押していたのだから、今さら反対なんてしない。
「私はずっと貴方が好きだったの。だから誰よりも貴方の幸せを祈ってきたのよ。どうか貴方の好きな道を進んでちょうだい。
パンドット公爵夫人には申し訳ないけれど、私がエリザベット様を除けば貴方のファン一号だと自負しているのだから」
婚約破棄を告げたのは自分からだった。
あの日から二年も経ってしまったけれど、自分から言い出しておいて、今さらそれを嫌だなんて言えるわけもないわ。
胸がひどく痛むけれど、嫌われていると思って別れを告げたあの日よりずっとましよ。
この一年半は愛しているという言葉と共に散々甘やかしてもらったのだから、私の恋心も諦めが付くはずよ。
私は無理やり笑顔を作って微笑もうとした。しかしその瞬間に、ピアットにぎゅっと抱き締められた。
「ありがとう、ティナ。僕もずっと君を愛してきたし、これからも愛し続けるよ。
そしてそれは君の戯曲のファンとしてもだ。だから君もずっと書き続けて欲しい。
大分遅くなってしまったけれど、これから必死で領地経営を学んで、必ず君を補佐できるようになってみせる。だからこれからは二人三脚で頑張ろうね」
「えっ?」
ピアットが言った言葉の意味がわからなかった。音楽を続けると言ったわよね?
それって私とは婚約破棄するっていう意味じゃなかったの?
そう疑問に思った時、ピアットがこう続けた。
「伯爵のおっしゃった通り、僕にとって音楽はそんなに簡単に捨てられるものじゃなかった。
けれど、一番大切なことは君とずっと一緒に生きることで、それは変えようがなかった。
伯爵には領地経営と音楽の両方をやればいいと提案されたんだけど、そんなことは無理だと頑なに思い込んでいたんだ。
でも、それが不可能ではないと証明するために伯爵はあの『ダブルソードスタイル』劇団を作ったんじゃないかと思うんだ。
団員達はみんな人気スターになったけれど、誰一人元々の仕事を辞めた者はいない。ちゃんと続けている。何故なら、彼らにとって生きて行く上でどちらも大切だからだ。
でもそれは、途中で本業が忙しくなったり、子供ができて休んだとしても、いつでもまた復活できるように、ロワズィール音楽事務所がちゃんとマネージメントしてくれているおかげなんだけど。
カールス卿には本当に感謝しなくちゃね。
僕達もロワズィール音楽事務所に所属しているわけだから、きっとみんなのように両立できるよ」
そういうことか……
お父様はそんな事まで考えて、あの事務所を作ってくれたのかと、目頭が熱くなった。
お父様は私の恋心を知った時から、ずっとずっと応援してきてくれたのね。改めてそれを気付かされて涙が一杯になった。
「来月君が留学を終えたら、一緒にヴァード伯爵家へ帰ろう。そしてすぐに結婚式を挙げよう。もう、君と別々に暮らすのは耐えられないんだ」
ピアットが私の耳元でそう囁いた。彼の息が鼓膜を刺激して、私はゾクゾクとして身を震わせた。
すでに何度も口付けを交わしてきたのに、それよりもずっと官能的だった。彼が耐えられないと言ったのが本気だと感じた。でも……
「そんなすぐに式を挙げるのは無理よ。ドレスが間に合わないもの」
と、つい現実的なことを言ってしまった。
すると、ピアットは私を抱き締めたまま、再び耳元でこう告げたのだ。
「大丈夫。ドレスはもう既にあるじゃないか。
デビュタントで着るはずだった、君の思いが全て詰まった白いドレスが。
それとね、ティナ。リリアンは君のためにずっとベールに刺繍を刺してくれていたんだ。それがつい完成したんだって。
だからいつでも式を挙げられると、先日連絡をくれたんだよ。
母上も車椅子に乗れるようになったし、これで準備万端だろう?」
それを聞いて、私は素直に頷いた。
もう二度とあのドレスに袖を通すことはないと思っていた。
けれどあのドレスを着て、今度こそピアットと結婚披露宴でダンスを踊れるのだから。
これでようやく夢が叶うんだわ。そう思った瞬間、再び涙が溢れ、彼の肩を濡らしたのだった。
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フォルティナとピアットが結婚した後の話。
二人は世界中を飛び回る父に代わって、ヴァード伯爵領に拠点を置いて領地の仕事に励み、その中で時間を見つけては音楽活動や戯曲の執筆活動に勤しんだ。
ピアットは年に数回コンサートを行ったが、表立っては何の責任も取らなかったガリグルット帝国で公演することはなかった。
それは『ダブルソードスタイル二刀流』劇団も同じだった。
多くの芸術家達もそれに追随し、ガリグルット帝国は文化や芸術面で劣った国というレッテルを貼られた。
悪徳商会や卑劣な大聖堂を放置して、他国に多大な迷惑をかけてきたこともあり、次第に衰退の道を辿って行った。
フォルティナのメイドのアンジェは、その後クリントと結婚した。
そしてフォルティナと同じ頃に子供を産んで、フォルティナの子の乳母になった。
彼女の夫のクリントはソフーリアン王国に移住して、ヴァード伯爵領で人気のレストランのオーナーになった。
忙しい中でもたまに、相変わらず出番は少ないけれど美味しい役を演じ、オペラ界のスーパースターになったレードルに羨ましがられた。
カールスはアンジェには振られてしまったが、フォルティナの親友ドロセナと結婚して、幸せになった。
そして一番皆が驚いたのは、フォルティナの妹のリリアンが、王立学院に入学後に同じ生徒会の先輩である王太子に見初められら、彼の婚約者になったことだった。
ー 完 ー
これで完結です。
最後までお付き合いありがとうございました。




