第42章
私が新たな戯曲のあらすじを語り終えると、あの普段冷静沈着なアンジェが、ハンカチで目元を覆いながら嗚咽していた。
「あんまりです。家族や恋人に尽くして、尽くして、その挙げ句、たった一人で……
私は決してお嬢様をお一人で逝かせたりはしませんからね」
私は自死するつもりなんてないわ。妹の結婚はまだまだ先の話だし、罪なんて犯すつもりもない。
事実を大分混ぜ込んでいるけれど、あくまでも創作よ。
アクジット商会の会長が女性を買っているなんて話は知らないし。フィクションにしないと名誉毀損で訴えられちゃうでしょ?
「ヒロインがヒーローじゃないですか!
だめな男ですね、この恋人は。まるでうちの父親みたいだ。嘆き悲しむだけで、自分じゃ復讐の一つもできないなんて。
家族に何と言われようと、何故自分で彼女の気持ちを確認しに行かなかったんですか?」
クリントも鼻を啜りながらそういた。
その彼の言葉を聞いて、ピアットは苦渋の表情をした。ヒーローの行動と自分の行動を重ね合わせたのかしら。でもね……
「これは特定の人をモデルにしているわけじゃないわ。私の知りうる限りの被害者の話を参考にしているだけなのよ。
自分自身のことはもちろん、ピアット様やアンジェ、クリント、そして、さっき聞いたパリス卿のことも含まれているのよ。
つまり、被害者ならば誰でも当てはまることを、多くの人々に共感してもらえるように作ってみたの」
「でも、大聖堂の目が僕に向かないように、わざとヒロインに復讐させたんだよね?」
ピアットの言葉に私は素直に頷いた。
「貴方はずっと大聖堂を憎んできたでしょう? お母様のことがあるから。
貴方は本当のところ大聖堂が選ぶ音楽の聖人になんてなりたくはなかった。
それなのに、監禁され、家族を人質にされて、無理やりに受けさせられて。さぞかし腹立たしく思っていることでしょう。
貴方はただ単に、大聖堂の音楽隊に入りたいという友人に頼まれて曲を作ってあげただけ。
それなのにその曲を利用され、貴方自身も広告塔にされようとしているんですものね。
私はこの事実をね、一番に声を大にして世間に訴えたかったの。
大聖堂は人を救うどころか、自分達の益のためなら、人の人生、運命をどんな卑怯で悪辣な手を使ってでも捻じ曲げる、そんなところなのだって。
まあ今のところは、これまでに結んだ契約を優先するからと主張して、音楽の聖人の活動をしなくても済んでいるわ。
でも、一年後はそうはいかなくなるでしょう? だからその前に手を打つべきだと思ったの。
とはいえ、あからさまな大聖堂批判をすれば、聖堂だけでなく信者に恨まれることになるでしょう?
それってある意味、剣をぶら下げている人達よりも怖いわ。
だから直接の攻撃はしないで、自然に彼らへ批判の目が行くように仕向けたいのよ。多くの一般人の皆様の力を借りて。
その中でも特にピアット様のファンがこちら側について、大聖堂やアクジット商会、それにガリグルット帝国の王族に憎悪の目を向けてくれたら鬼に金棒だと思うのよ。
洗脳された信者なんて、みんな蹴散らしてくれるんじゃないかと」
「僕のファンを狂信者扱いしないでくれよ」
ピアットは苦笑いをしてそう言ったが、クリントがいやいやと右人差し指を揺らした。
「俺や妹、それに『ダブルソードスタイル』劇団の連中は、音楽家先生の狂信者ですよ。先生の音楽を一緒に楽しみたいからって、劇団を作ったんですからね。
そして俺達以外にも山のように熱狂的なファンがいます。
だから、音楽家先生を苦しめる組織があるというなら、みんな、一丸となってやっつけようということになりますよ。
しかも、大聖堂が先生の自由な音楽活動の邪魔をするとなったら、みんな怒り心頭で爆発します。それは間違いないですね!」
「クリントにそう言ってもらえると心強いわ」
この計画が漏れたらどんな妨害に遭うかわからない。いや、それ以前に危険だと思ったし、関係者にも迷惑をかけると思った。
だからこそ、これまで誰にも話さずに進めてきた計画だった。すぐ側にいてくれるアンジェや、愛する父にさえ秘密にして。
本当はこの新たな戯曲の事だって、目的を知らせずに彼らに協力を求めることもできたかもしれない。
しかし本音を言えば、自分の独断で多くの人々を巻き込んでいいのかという不安や恐怖に、一人でずっと怯えていた。
犯罪ではないにしても、このまま自分の思い込みだけで勝手に動いていいのだろうかと。やはり他の人の意見も聞くべきではないのかと。
しかし、その人物の選択を誤れば、これまでの計画は全て水泡に帰すことになる。
考えて考え抜いた。
そして、さっきの四人のやり取りで決意をしたのだ。この三人にならきっと大丈夫。自分の計画を話して意見を聞き、納得してもらった上で協力してもらおうと。
もし反対されたらその時に対処しようと。
アンジェとクリントは協力してくれそうだ。それではピアットは?
彼の真意を知りたくてじっとその美しい顔を見つめた。すると彼も私を真剣な眼差しで見つめていた。そして、とても優しく微笑みながらこう言った。
「こんな重要な話を僕に打ち明けてくれてありがとう。これは僕を信用してくれていると解釈していいんだね?」
「もちろんよ」
「全面的に協力させてもらうよ。ありがとう。こんな僕のためにこんなに考えてくれて。
いつだって君は僕のことばかり考えてくれていたんだよね。
それなのに素直に感謝の気持ちも言えずに、長いこと誤解させてきて、本当に申し訳なかった。
僕は確かにアクジット商会やオコール侯爵、そして大聖堂を憎んでいる。その中でも大聖堂への恨みは計り知れない。
家族を人質に取られただけでなく、僕の幼い頃からの最も大切な夢を奪われたんだからね」
「貴方の夢? ピアニストになる夢なら叶ったんじゃないの?」
私が意外だと思ってそう訊ねると、彼は首を振った。
「僕の夢はピアニストや音楽家になることじゃなかった。
君がデビュタントとして踊る時、そのパートナーを務めることだった。
それを他の男性に譲らなくてはならなくなった悔しさ、腹立たしさは例えようがなかったよ。
君のパートナーとして相応しい男になるために、僕はそれまで血の滲むような努力をしてきたんだからね。
それは決して音楽の聖人になるためなんかじゃなかった。
しかもそのせいで、世界で最も大切な人を悲しませ、苦しめてしまった。
フォルティナ、すぐに許してもらえるなんて甘い考えは持っていない。
これからの僕を見て欲しい。これからは君の一番の協力者になるつもりだ。だから何でも言ってくれ」
ピアットの本心を改めて聞いて、私は涙した。彼もまた、大人になった私とのファーストダンスを踊ること、それを目標にしてくれていたのだと知って。
離れていても、同じ夢に向かっていたのだと分かって。
ところが、そんな私達のしっとりしたムードをいとも簡単に壊したつわものがいた。
「それは無理な話ですよ、ピアット様。
お嬢様の一番の協力者は、これからもずっと私ですから、それは誰にも譲れませんよ」
アンジェの言葉にピアットは苦笑いをしたが反論はしなかった。これまで私を支えてきたのが彼女だということを、彼は十分理解していたからだろう。
それから私達は、クリントの作った美味しいパンドリアセットを食しながら、今後どうやって今の舞台の評判をより高めていくか、第二弾を発表するタイミングをいつにすれば効果的な宣伝になるか、侃々諤々と話しあった。
私は作者目線で、アンジェは庶民と貴族の両方の女性目線、クリントは大衆目線、そしてピアットは業界人目線で。
その中でも特にピアットは、まだ学生時代からコンサート活動をしてきたために経験が豊富で、エンタメ業界にも精通していたため、その助言はかなり有意義なものだった。
彼の指摘の一つ一つに感心してしまった。
「さっきの君の新しい話を聞いている時に、いくつか曲が思い浮かんだから、早速譜面にしてみるよ。
二人が幸せに溢れているゆったりした場面から、徐々に不幸の訪れを予感させるような不安を誘うメロディーにする。次に観客をハラハラさせ、そして、切羽詰まらせる。それから一気に切ない別れの場面を迎えるんだ。
取り合えず前半の場面の曲のイメージはできたと思うよ」
「この僅かな時間で?」
私達三人か一様に驚くと、ピアットは何てこともないようにこう言った。
「プロならこれくらい当然だよ。それに最初からテーマが与えられているとイメージしやすいから、すぐにメロディーは浮かぶよ。もちろん、後で多少修正はするけれど。
むしろアレンジの方が時間がかかるんじゃないかな。そのシーンごとに変えないといけないだろうから。
役者でもある忙しいレードルにはできるだけ時間的余裕を与えたいから、僕の方はなるべく早めに仕上げるね」
それを聞いた私達は、改めて大作曲家先生をリスペクトしたのだった。




