第4章 子供の頃の話①
元婚約者だったピアットの生家であるムューラント侯爵家と、我がヴァード伯爵家の領地は隣合っている。
だからといって昔から深い付き合いをしていたわけではなかったようだ。
彼の母親と亡くなった私の母が奉仕活動で知り合い、まるで姉妹のように親しくしなったために、私達も物心がつく前から交流していたのだ。
しかし、内向的で家の中で静かに一人遊びするのが好きだったピアットとは違い、私はじっとしているのが苦手で外遊びが好きな活発女の子だった。
それ故に、私は彼の一つ年上の兄ロジアン様と庭に出て遊ぶことが多く、ピアットと一緒に遊ぶのは天気の悪い日か寒さが厳しい日くらいしかなかった。
それでもまあ、流行り病の後遺症で寝たきりになっていたソフィリア夫人のために、ピアノを弾いてあげていたピアットに、私は密かに心をときめかせていた。いわゆる初恋というものだ。
しかし、本気か冗談なのか、私と彼を婚約させてはどうかという話が出た直後、たまたまた二人きりになった時、彼からあの言葉を投げ付けられたのだ。
「君に興味がない。僕の好みじゃないから」
と。その瞬間、淡い私の初恋は粉々に砕け散った。いや、大きくヒビが入ったと言った方がより正確かしら。だってそんなボロボロ状態になっても、私の恋心は消えてくれなかったのだから。
そう。残念ながら完全には飛び散ってくれなったのだ。
頭と心は別物だと幼くして私は悟ったわ。嫌いになりたいっていくら願っても、自分の意思ではどうにもからなかったから。
そしてそのせいで私は、厚顔無恥な彼の願い事を断れず、その後ずっと辛くて苦しい片思いを続けることになったのだ。
あ〜あ。私ってマゾだったのね。
ムューラント侯爵家は高位貴族ではあったがそれほど裕福ではなかった。先々代が事業に失敗して財産を大きく減らしてしまっていたからだ。
その上、夫人が流行り病に罹患して生死を彷徨い、一命を取り留めたものの重い後遺症が残ってしまったことも大きく影響していた。
夫人の後遺症は運が悪いことに進行性のものだったからだ。
夫人はかなり高価な薬を飲み続けなければならず、それが侯爵家の財政難を深刻なものにしていった。そして私達が七歳の頃には、とうとう借金までするようになっていたのだ。
そのため、ピアットはピアノのレッスンを続けることができなくなった。でも彼はピアノのレッスンを止めたくなかった。
それはただピアノが好きだったからという単純な理由ではなく、大好きな母親の唯一の楽しみが、息子ピアットのピアノ演奏を聞くことだったからだ。
ベッドから出られず、思うように体を動かせない彼女にとって、唯一の願いは息子達の成長。
そして心に最大の安らぎを与えてくれるものはピアットのピアノ演奏だったのだ。
だからピアットは少しでも良い演奏をして母親を楽しませたい、喜ばせたいとそれまで一生懸命に練習に励んできたのだ。
それなのに今後専門家のレッスンを受けられなくなったら、自己流で練習をしてもこれ以上の上達はあまり期待できなくなるだろうと彼は焦った。
そして色々と思案するうちに、私が自分と同じ教師からピアノのレッスンを受けていることを思い出したようだ。
彼は格上の侯爵家の令息だ。
それに金髪碧眼で、まるでビスクドール人形のように無表情だけれど美しい少年だった。
見たことはないけれど、王子様って彼みたいな人なんじゃないかしらと、ずっとそう思っていた。
そんな彼がある日私の元を訪れて、その頭を深々と下げたのだ。
私がピアノレッスンをする場に、自分も立ち合わせてもらえないだろうかと。言い換えれば見学させて欲しいと。
つまり、ただでレッスンを受けたいと言っているのも同義だった。
それを聞いた時、彼を図々しいと思うより、羞恥心の方が勝った。
だって、彼のピアノの腕前は当然良くわかっていたもの。侯爵家に遊びに行く度に、ソフィリア夫人と一緒に彼の演奏を聞いていたのだから。
それにピアノ教師からもよくこう言われていたのだ。
「隣家のピアット様は天才でありながら、その上とても熱心に練習をされています。
ですから貴女も(凡人なのだからなおさらに)熱心に練習を重ねないと上達しませんよ」
と。
教師からいつも叱咤されている自分の姿など彼の前で晒したくはなかった。まして私の下手な演奏を彼に聞かせて軽蔑をされたら居た堪れない。
私だってちゃんと毎日一生懸命に練習をしていた。それなのに全くといってよいほど上達しなかったのだ。片手なら上手く動く手も、両手一緒になるとさっぱりだったのだ。
ダンスも足の動きばかりに注意していると、そればかりが気になってしまってその他の動きにはまるで気が回らなくなった。
つまり私は、複数の動きが同時にはできない不器用な人間だったのだ。
その上、ダンス教師からはリズム感が悪いと言われた。つまり運動神経が悪いのだ。だから、ピアノも下手なのだろう。
ただし幸いなことに、このダンス教師はピアノ教師とは違って、口は悪い人が人として、教師として尊敬すべき人物だった。
彼はピアノ教師のような完璧さを私に要求することはなかった。
「ダンスなんて最低限できれば問題ありません。形が様になってればそれでいいのです。
だからダンスの上手い男性をパートナーに選んで、相手のリードに任せてしまいましょう。
貴女は頭が良くて気立てがいい。その上人に対して優しくて思いやりがある。きっと良い領主になれるでしょう。
人より上手く踊れるようになりたいと必死になるよりも、ダンスは体力をつけるためにするものなのだと考えてください。
忙しい領主様には体力が一番大切ですからね。
ダンスやピアノの腕前よりもずっとね」
このダンス教師の励ましの言葉が無かったら、私は卑屈で自己肯定感の低いネクラな人間になっていたのじゃないかしら。
そしてこの人生の師の言葉があったからからこそ、私は羞恥心を堪えてピアットの願いを聞いてしまったのではないかと思う。
私のピアノが下手なことなんて、領主になる私には大きな問題ではない。母親のためにあんなに必死になっている隣人のために、その願いを叶えてあげようと。
それに母親を同じ病で亡くしていた私にとって、侯爵夫人は第二の母親のような存在だったので、彼女のためになるのならばと思ったのだ。
しかもその時私は、どうせ恥をかくのなら一つも二つも同じだと、彼の願いを受ける際にこんな条件を出した。
「ダンスレッスンも一緒に受けて、将来社交界に出るようになったら、必ず私のダンスの相手をすると約束してくれるのなら、お父様から許可をもらってあげるわよ」
と。
つまり、いずれ大人になって舞踏会に参加するようになったら、私をエスコートし、ダンスをする時はリードしてくれるのならいいわよ、いう意味だった。
その時の私はまだ七歳の子供だったから、エスコートとファーストダンスの相手をするということが何を意味するのか、それをわかっていなかった。
当然同じ年の彼もそうだったと思う。だからこともなく頷いだのだ。
今ピアットが社交界や音楽界において堂々とピアノ演奏をしたり、ダンスを踊ったり出来ているのは、我が家の教育の賜物なのよね。
改めてそう思い返して虚しくなって、深くため息をついた私だった。




