第38章
「とっさに毒は手に入らなかったとしても、ネズミ駆除剤か洗浄剤でも料理に混ぜてやればよかったんだ。酒に逃げるくらいなら。
本当に意気地がないというか、気が利かないというか、情けない男ですよ」
クリントが吐き捨てるようそう言った。
でもそれって、毒と同じでしょ。と心の中で突っ込みを入れていたら、ピアットが静かに言った。
「本気で言っているわけじゃないよね。
プロの料理人が料理に毒を入れるなんて絶対にあり得ないってことくらい、君が一番よく知っているだろうから。
それに、もし、父上が料理人でなかったとしても、そんな真似はしなかったと分かっているんだろう?」
もし彼の父親に子供がいなかったら、憎い者達を殺していたかもしれない。
しかし子供がいたのだから、そんな事はしたくてもできなかっただろう。
人殺しの子だと人から後ろ指を指され続ける人生を、子供達には送らせたくなかっただろうから。
できれば立ち直って、子供達に借金を踏み倒して逃げ出すしかなかった、そんな人生もさせないで欲しかった、と正直思うけれど。
私がそんなことを思っていたら、クリントも少し照れるようにこう言った。
「貴方の言う通りです。
ずっと父親を役立たずだと腹を立てていたのですが、この国に来て親切な良い人々とたくさん巡り逢えて、友人もできて思いましたよ。親父が人殺しでなくて良かったと。
国にいる頃は、もう俺の人生なんてどうなったってかまいやしない。
そんなやけっぱちな気持ちだったのに、今じゃ生まれてきて良かった、幸せだ、と感じるようになりましたからね。
いくら相手が極悪人のクズ野郎でも、父親が人殺しをしていたら、とてもじゃないが幸せにはなれなかったと思いますよ」
するとピアットはホッとした顔をした。
「君って、やっぱりいい奴だったんだね。まあ、そうじゃなきゃあ我が婚約者が仲間になんてしなかっただろうけど。
つまり、君はもう復讐心を捨てたと思ってもいいのかい?」
えっ? そうなの? たしかに過去の復讐に燃えるより、今を大事にはしてほしいとは思うけれど、悪人を許してそのままにしちゃっていいの?
そう私が思った直後、クリントはこう言った。
「いやあ、復讐心がそんなに簡単になくなるわけないですよ。貴方にはないのですか? 散々酷い目に遭わされたというのに」
そう言われてピアットは口ごもった。
「ないわけないよな。
だけど……それを実行したら愛する人達にまで計り知れない程の災いが及ぶ。そう考えると、やはり我慢するしかない」
「俺も同じです。妹に恋人ができて、もうすぐ結婚するんですよ。
兄が犯罪者になったら、たった一人の大切な家族を不幸にしてしまう。そんな真似はできませんよ。
ただね、このまま黙って泣き寝入りするのも癪だから、何か嫌がらせとか、しっぺ返しくらいはしてやりたいとつい思ってしまうんですよ」
このクリントの言葉に私は小躍りしたくなったわ。賛同者を得られた気がして嬉しくなった。
今までこのことは誰にも内緒にして、知らないうちに仲間を、ファンを利用しようと考えていた。
利用なんて言葉は使いたくないけど、知らないうちに加担されたとなれば、その方が彼らに迷惑をかけなくて済むと思ったからだ。
でも、同じ気持ちの人間がいるというだけで、その罪悪感が軽減される気がしたのだ。
「ねぇ、クリント。私がそのなんちゃって復讐をしようと考えている言ったら、あなたはどう思う?」
ずっと黙っていた私が突然そんな事を言い出したので、ピアットとクリントは喫驚した。アンジェだけは平然としていたけれど。
彼女には具体的な話をまだしていなかったけれど、頭と勘がいいのでおそらく察していたのだと思う。
「駄目だ。復讐なんて。そんなことをしたら、君の家族や屋敷の者達、そして領民だって被害が及ぶんだぞ」
ピアットが真っ当な反応を示した。そこで私はにっこりと微笑んで、こう嫌味を言ってやったわ。
「貴方はそう言うと思ったわ。だって私が犯罪者にでもなったら、貴方の婿入り先が無くなるものね。
違うわね。貴方にはいくらでも他に良い縁談があるのだから、それは困らないわよね。でも元婚約者のスキャンダルは迷惑だってことかしら?」
すると、彼は再び違う!と叫んだ。
「君を犯罪者になんかしてたまるか!
君がどうしても復讐したいと言うのなら、代わりに僕がやる。
僕が君との婚約を解消されて、家からも除籍してもらえば、迷惑も少しは抑えられるだろうし。
そもそもこれは我が家がすべき復讐だ」
今度は私の方が喫驚した。まさか、ピアットが復讐するなんてことを言い出すとは思っていなかったからだ。しかもそれは私の為……のようにも聞こえるし。
でも、彼は色々と勘違いしている。
私はさっきクリントに言ったように、なんちゃって復讐をしようと提案したのであって、人殺しとか、犯罪に手を染めようと考えているわけではないのだ。
それに、その復讐は彼や彼の家族のためだけじゃない。我が家にも多少なりと関係があるからだし。
「まあまあ、落ち着いくださいよ、音楽家先生。脚本家先生は別に本格的な復讐をしようと言ったのではなく、単に合法的に嫌がらせや鬱憤晴らしをしようと言っていると思うので」
「えっ? そうなの?」
ピアットはぽかんと、魔の抜けたような表情でそう訊いてきたので、私は頷いた。
「アクジット商会や大聖堂なんていう巨大な敵に、たかが一令嬢に過ぎない私がそんな大層な復讐なんてできるわけがないでしょう。
それこそ、多くの人をさらに不幸な目に遭わせて、それを後悔しながら死ぬ羽目になるわ。大した復讐もできないまま。
もしそんな戯曲を書いたとしても、愚かで考えなしのそんなヒロインに誰も同情や賛同をしてくれないわ。だから課題としてその作品を提出しても、おそらく単位はもらえないと思う」
「それじゃあ、本当に嫌がらせをしたいだけなのかい?」
「ええ。そして、これ以上犯罪まがいの行為はするなと、警告ができればいいなと思っているのよ」
二人は唖然として私の顔を見たわ。そうよね。そう簡単には理解できないわよね。そこで私は、この国に来て気付いたことについて説明したのだ。
「十二年前に大陸では感染症が拡がってパンデミック状態になったでしょう?
クリントの母国のガリグルット帝国や私達のソフーリアン王国も。
それなのにこのテッサード王国だけはそれ程感染が広まらなかったそうよ。その事実を、この国に留学に来て初めて知ったの。
それがどうしてだったのか、とても不思議に思ってすぐに調べてみたのよ。
そうしたらね、流行病が隣国で発生した時点で、この国は他国に通じる街道を全て封鎖していたの。そして、人々が集まることも禁止していたわ。
つまりできるだけ人と人との接触を減らそうとしたのよ。
そのために、当然宗教のための集会も禁じていたわ。礼拝もね。
他国と違ってこの国は多神教の国で、一つ一つの宗教団体はそれほど力を持っていないらしいの。
つまりそれは大聖堂も同じだった。だから、この国の命令には従わざるを得なかったそうよ。
そしてその結果、感染拡大を最小限に抑えられたみたいなの。
つまり言い換えれば、他の国ではそれをしなかったから抑えられなかった、と言えるのではないかしら。
国にその知識がなかったせいだとも言えるけれど、大聖堂はテッサード王国でのことを把握していたわけでしょう? それならば他の国の聖堂でも同じ対策を取れば良かったのよ。
それなのにそれをしなかったということは、信者が流行病に罹ってもかまわないと思っていた、と考えてもいいのじゃないかしら。
だって、他国ではすでに流行病が発生していたというのに、信者には礼拝しろ、バザーを催せと促していたのだから。
今流行病が広がり始めているから、治まるまでは家の中で祈りを捧げて下さいとでも、もし聖堂が言ってくれていたなら、私やアンジェの母親は死なかったし、ピアットのお母様もあんなに苦しい思いをしなくて済んだかもしれないわ。そしてクリントのご両親も」
私の話に、ピアットとクリントは再び瞠目したのだった。




