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第36章


「ここよ。入って!」


 瞠目したまま棒立ちになっているピアットの背中を押した。ただでさえ立派な馬車で来てしまったために目立っているのだから、これ以上人目に付いたら困る。帽子を目深に被せておいて良かったわ。


カラン、カラン……


 ドアベルが鳴った。


「いらっしゃい! 先生。お待ちしていました。貸し切りにしておきましたよ。マスターも昼休憩に入ってらったので、内緒話しても大丈夫ですよ」

 

「ありがとう、クリント。お昼の一番の書き入れ時だっていうのに無理を言ってごめんなさい。この時間しかどうしても時間が取れなかったものだから」


「気にしなくて大丈夫ですよ。その分は十分過ぎるほど補填してもらえるんですから。マスターはむしろ喜んでいますよ。

 料理はいつもので良かったんですよね?」


「ええ。あれは最高に美味しいから、婚約者にも食べさせたいと以前から思っていたのよ」


「もうすぐ仕上がりますから、お好きな席に座って待ってて下さい。でも、今日はいつもの護衛の方はいらっしゃらないのですか?」


「外で待っていてもらっているの。だから、携帯できる食事を三人分お願いしてもいいかしら?」


「サンドイッチでかまいませんか?」


「ええ。お肉をたっぷり挟んだボリュームのあるのをお願いするわ。あと卵と定番の胡瓜のもね」


「了解です!」


 クリントが厨房の中に入ったので、私達はテーブルに着いた。

 私の正面に腰を下ろしたピアットは物珍しげに店内を見回した。侯爵令息でしかも大人気の音楽家の彼のことだから、これまで庶民のレストランなどに入ったことはないのだろう。


「ここはフォルティナのおなじみの店なのかい?」


「まあね。『ダブルソードスタイル(二刀流)』劇団の仲間達とよくここへ来るわ。 

 さっきの人ね、貴方は覚えていないみたいだけれど、『偽りの愛を謳った夫に殺された私は、悪霊となって蘇る』の准主役やっていたのよ」


「ヒロインの幼なじみで、彼女をずっと支える美味しい役どころの彼?」


 ピアットは信じられないという顔をした。そりゃあそうよね。

 あの役どころは親を亡くして孤児院で育ち、ヒロインの口添えで彼女の家の使用人になり、陰からずっと彼女を守り続ける、寡黙で素朴で一途な好青年。

 それに比べてレストランでコック兼ウェイターをしている彼は、明るくて華やかで社交的に見えるから。

 でも、容姿はともかく、性格は真面目で優しくて一途で頑張り屋。あのオペラの役そのままのような気がするわ。


 キャスティングした演出のロックスはそれをよく分かっているわ。さすが親友。それにだてに職業斡旋所の仕事をしてるわけじゃないわよね。人を見る目があるわ。

 本当にあの『ダブルソードスタイル(二刀流)』劇団の人達はその名の由来通りに様々な仕事を持ち、色々な経験をしているから、みんなそれぞれ違う考え方をしていて、話をしていても面白いし飽きない。

 創作活動はもちろん、商売にも役立つ情報を与えてくれて助かるわ。


 でも、そんな色んなタイプの人達が愛し尊敬し、夢中になっているのがピアットの音楽なのだ。本当にこの人は凄い人なんだな、と彼の顔を見つめながら改めて思った。


「フォルティア……何? 僕の顔に何か付いているのかい?」


 ピアットが頬を少し赤くして居心地悪そうに聞いてきた。


「お嬢様、見過ぎです。よく見飽きませんね? 十八年も側にいるのに」


 アンジェが呆れたように言ったから、私はそれを訂正した。


「あら、十八年も見ていないわ。この五年、ろくに顔を見ていなかったのだから。間近で見るのは本当に久し振りよ。前回会った時も夜で薄暗かったしね」


「ああ、たしかにそうですね。私はクッキーと花束を届けするためにまめにお会いしていましたから、すっかり失念しておりましたが。

 でも未だに私は不思議なのです。お会いするのはほんの僅かな時間でしたが、確かに私とは顔を合わせておりました。

 それなのに、なぜ『ありがとう』の言葉以外のお嬢様への言付けが無かったのか、未だに疑問に思っているのです」


 アンジェ、いいわぁ。皮肉が最高に効いている。ピアットが真っ青になったもの。私もそれに追随しないとね。


「それは私との関係を知られたくなかったからでしょう。さもなくば、私に興味がなったか、毎回同じ物ばかり寄越してくることにうんざりしていたのかも。

 いいえ、そもそも私に興味がなかっただけじゃないかしら?」


「違う、違う。どれも違う。

 伯爵と約束していたから君の名前を出せなかっただけだし、君の作ってくれたクッキーがあったから、僕はいつも気持ちを落ち着かせて演奏ができたんだ。それに、君が聴いてくれていると思えたから頑張ってこれたんだ。今思えば、あの時、君への感謝と思いの丈を伝えておけば、誤解を与えなくて済んだのだろう。でも、簡単に口で伝えるより、文字や音楽で伝えた方が僕の本気の思いがより正確に分かってもらえると思っていたんだ」


 ピアットは一気にそう言い募った。

 正直、なんてクソ真面目で不器用なの? と思った。

 口でさっさと言えば簡単なのに、わざわざ手間暇掛けて詩や歌や曲を作って思いを伝えようとするなんて。

 しかも結局何もこちらに伝わっていなかったし。彼の思いは確かに理解したけれど、それが自分に向けられたものだなんて思うわけがないじゃない。

 彼が王都へ行ってからは(なし)(つぶて)だったし。

 それでも、私も王都の学院に入りさえすれば隠れて少しは逢えるかもと期待していたら、週末毎に音楽活動をしていたから逢えずじまい。

 まあチケットは贈ってもらっていたから、一方的にピアットの姿だけは見ていた。けれど会話ができないこと自体は変わらなかったものね。

 多くのファンや彼に好意を持つ女性達に囲まれて微笑んでいる姿ばかり見せつけられて、そんな彼に自分が好意を持たれていると思える女性がいたら、それはかなりの自惚れ屋だわ。


 ピアノはどんなに練習してもまともに弾けなくて、連弾なんて夢の夢。そしてダンスは足を踏みまくりだった。

 完璧な彼にこんな不器用で鈍い自分は全く釣り合っていないと自覚をしていた。

 そもそも私は子供の頃から「野蛮な雌猿」とか『君に興味がない。僕の好みじゃないから』と言われていたのよ。恋愛の対象として見てもらっているだなんて思うわけないでしょ。

 あの歌を聴いて、彼に溺愛されている女性がまさか自分だなんて夢にも思えなかったわよ。


 ええ。分かっていますとも。それが貴方だけのせいじゃないってことくらい。貴方からの手紙を我が家が無いことにしていたのだから。

 それにそもそも私が臆病だったから悪かったのよね。


「私のことを好きなの? それとも嫌いなの? 」


 って勇気を出して聞けば良かったのに、それができずにただ一人で悶々としていた結果がこれだってことくらい。

 でもね、それでも貴方に腹が立つのよ!

 私の目が段々と苛ついてきたのがわかったのだろう。

 昔からいつも上から目線で私を見ていたピアットが、不安げにその青く美しい瞳を揺らしていた。 


「長い間誤解させていて本当に悪かった。済まなかった。ずっとずっと君が好きだった。

 でも自分が君に相応しい男じゃないと分かっていたから、もっともっと頑張らなくては思って、肝心の君との触れ合いを持たなかった。

 本当に馬鹿だった。ごめん。許してもらえるまでなんでもするから、捨てないでくれ」


 えーっ。捨てないでくれですって? あのピアットが! 信じられわ。


 私が驚き過ぎて何も言葉にできずにいたら、クリントが両手にサラダを盛った皿をトレイに乗せて現れてこう言った。


「お二人の間に何があったのかはよく知りませんが、こんなに必死に謝っているんですから一度くらいチャンスをあげてくださいよ。

 先生みたいに頭のいい女性にはわからないと思いますが、男なんて貴族だろうと平民だろうと、みんな馬鹿ばっかりだと思うので」


 と。

(注)テイクアウト用のサンドイッチは、留守番の護衛の分も含まれているので、三人分なのです。

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