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第35章


「貴方の護衛って、近衛騎士なんですってね。しかも、私の護衛のゴルジュとボージュと友人だったなんて、驚いたわ」


 馬車に乗り込んですぐに私はピアットにそう言った。なんでも三人は学院時代に同じ騎士科のライバルだったそうだ。

 因みに今日の私の担当者は赤毛に緑眼のボージュだ。


「大聖堂が僕に聖騎士を付けると言ってきたから断ったんだ。聖人としての活動をするわけでもないのに、そこまでして頂くわけにはいきませんって。

 それでも大切な音楽の聖人に何かあっては大変だからとなかなか引いてくれなくて、凄く迷惑だったんだ。

 だけど王家が僕に対して後ろめたさがあったのか、それとも君の父上に対する詫びと感謝の気持ちだったのか、王家から護衛騎士を付けると言って下さったんだ。

 それでようやく諦めてくれたんだよ。アクジット商会の件が問題になり始めたから、そこを我が国の王家に突っ込まれたくなかったんだろうね」


 そうピアットが言った。

 なるほど。大聖堂は彼を守るというより、逃げ出さないように見張っていたかったのでしょう。けれど、あの商会との関係が暴かれると困るから仕方なく引いたのね。


 今回の騒動で、大聖堂側は夫人の薬の件を使ってピアットを脅迫できなくなった。

 だから、新たな脅しのネタを見つけたくて彼の情報を得ようとしているのだと思う。

 彼らは焦っているのだ。ただでさえ、上手い金蔓と縁を切らざるを得なくなってしまったのだから。

 しかも、せっかく広告塔を手にいれたと思ったのに、大聖堂のイベントに引っ張り出すことも当分できないとわかったからだ。

 ピアットのスケジュールはあと二年近くもびっしり埋まっていたからだ。それらをキャンセルさせたくても、到底大聖堂側には違約金など支払えないだろう。

 

 大聖堂になんかピアットを利用されては堪らないわ。ムューラント侯爵家だけでなく、我が家も大聖堂を恨んでいるのだから。

 人の心に寄り添うどころか、ただ一方的に献身とお金だけを要求してくる宗教なんて必要ないわ。

 しかも死の商人と手を組んで病に苦しんでいる人々からお金をむしり取るなんて、悪魔の所業だわ。あれは犯罪組織よ。

 

 でも、しょせんただの一令嬢である私が一人騒ぎ立てても、あの組織を壊滅させるなんて絶対に無理。

 でも「蟻の一穴」ということわざがあるでしょう? それを目指すつもりなの。

 か弱い令嬢でも、小さな穴くらいは開けられるかもしれないでしょ。

 今公演中のオペラは、アクジット商会の並びにオコール侯爵、そしてガリグルット帝国に対する嫌がらせをするための布石。

 そしていずれ大聖堂へも影響を与えるような、大波を起こすための新たな一手、それを打つつもりで、今新たなな戯曲を書いているの。

 とある宗教団体によって引き裂かれた恋人達の悲恋話なの。

 これは前作とは違って、はっきり言って実話だわ。ほんの一部の人にしか分からないと思うけれど。

 いいえ、むしろ分かってしまうと困るから、そこは上手く誤魔化すつもりなの。


 でもこの計画が漏れてしまうと、全てが水泡に帰してしまう。

 だから、これまでピアットにはずっと秘密にしてきた。けれどこの計画を進めるには、やはり彼の力を借りた方が成功する確率が上がると思った。

 それでも、もし聖騎士が護衛に付いていたら絶対に話せないし、どうしたらいいのかしらと思っていた。

 まあ、我が国の護衛騎士だったとしても、決して味方とは限らないとは思っていた。けれど、まだそっちの方が排除できる可能性はあると考えていたのだ。


「あの近衛騎士様、パリス=ディオルコス様というのよね?」


「はい。ディオルコス伯爵家のご令息です。貴族なのに我々平民とも気さくに付き合ってくれる懐の深い方です。

 文武に優れ、人徳もあって、エリート中のエリートです。こう言っては大変失礼なのですが、いくら音楽の聖人様とはいえ、王族ではない貴族令息の護衛騎士を任されたのが、意外でした」


 私の問にボージュがこう答えた。するとその疑問に答えたのはピアットだった。


「彼は自ら進んで僕の護衛騎士になってくれたんだ。僕、というより我が家に同情してくれたのだと思う。

 彼もアクジット商会や大聖堂の被害者だから」


「「「えっ?」」」


 私と同じくボージュやアンジェも驚きの声を上げた。


「パリス卿には、かつて生まれながらの婚約者がいたのだそうだ。つまり政略的な婚約だったらしいが、二人は幼なじみで本当に愛し合っていたらしい。

 しかし、十二年前、あの流行病に罹患して、その後遺症で三年後に亡くなられてしまったそうだ。

 聖堂に紹介されたアクジット商会から薬を購入して、当初は小康状態を保っていたんだが、膨大な薬代のせいで家が困窮していく様に、彼女は堪らなくなって、自ら命を断ったそうだ。

 彼女には下に弟と妹が二人ずついて、このままではまともに教育も受けられなくなるだろうし、パリス卿との婚約を解消するという話も出ていて、彼女は絶望したのではないかな。

 彼は婚約解消なんてする気は微塵もなかったようだが、元々政略目的の婚約だったために、彼の思いだけではどうしようもなかったらしい。まだ学生の身だったしね。

 彼はアクジット商会だけでなく、ガリグルット帝国の大聖堂へまで行って、もっと薬の値段を下げるように商会に話して欲しいと懇願したらしい。けれど、聖騎士に門前払いをされたらしい。

 

 彼は言っていたよ。


『私は彼女のために騎士を目指していたのに、結局を守り切れなかった。

 それなのに君は、自分の力で金を稼いで母親を守ってきた。尊敬するよ。

 しかし、そのせいで今度は大切な婚約者を失うことになった。

 それなのにこれからも大聖堂はまだ君を利用しようとしている。いくらなんでも浅ましい行為だし、酷過ぎる。許せないよ。

 奴らが近付いてこれないように、私が君を守るよ』


 ってね」


 あまりにも切ない話に思わず涙が溢れた。私達のような思いをした家族が他にもたくさんいることは分かっていたけれど、こうやって実際に話を聞いたことはなかった。

 遺族というものは自分の不甲斐なさに後悔ばかりしているから、なかなかその思いを他人には話したがらないものみたいだから。

 婚約者のご令嬢の苦しみ、悔しさ、哀しさが想像できて切ない。残されたハリス卿の無念さとやるせなさも。

 母親を亡くした時の気持ちが蘇ってきて体が震え、両手で自分の体を抱こうとしたら、隣に座っていたアンジェに抱き締められた。  


「フォルティナ……」


 私の正面に座っていたピアットが、心配げな声で私の名を呟いた。


「ごめん、悲しい話をしてしまって。メーラーファット様を思い出させてしまったね」


 私は首を横に振った。

 ああ。これはきっと、天が私達に味方してくれようとしているに違いないわ。今頃になって、同じ思いをしてきた人達と次々と巡り合わせてくれるなんて。

 もちろん、それでも用心はしないといけないけれど。

 私は涙をハンカチで拭いてから、ピアットの隣に座っているボージュに向かってこう言った。


「レストランに着いたら、私はピアット様とアンジェとで中に入りたいの。申し訳ないけれど、貴方にはディオルコス様と店の外で見張っていてもらってもいいかしら。

 聖騎士が陰から付きまとっている可能性も拭えないから。

 それに、ディオルコス様を疑っているわけじゃないけれど、これから私がしようとしていることは、彼も望んでいることでもあると思うのよ。

 だから今不快に感じても、後で許して下さると思うの。そのあたりを上手く伝えてほしいの。よろしくお願いね」


 ボージュなら上手く対処してくるでしょう。

 彼と今日はお休みのゴルジュは代々我が家に仕えてくれている家の人間で、私にとっては少し年の離れた兄のような存在だ。

 真面目でストイックなゴルジュと、陽気で人当たりがいいボージュ。護衛の中でも彼らのことは一番信用している。剣の腕も人間性も。だからお父様が私に付けてくれたのだ。

 彼らの婚約者さん達には大変申し訳なかったけれど。

 



 そんなやり取りをしているうちに、やがて馬車は下町のごちゃごちゃした、裏通りの一角で止まったのだった。


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