第33章
ピアットの話は衝撃的だった。これまでの私の悩みや苦しみは一体何だったのだろうか。
私達は共に初恋の相手だったようだ。しかも、互いに脇目を振らず、しつこいくらいに一途に相手を思ってきたようだ。
それなのにどうしてその思いが全く通じなかったのか、謎過ぎる。
喜びよりも、驚きの方が勝ってしまい、私は唖然となって何も言えなかった。
ただ驚愕して目を見開いたままピアットを見つめていたら、彼が困った顔をしてこう言った。
「君にようやく逢えたのだからもっとたくさん話をしたかったんだが、今日は公演の初日だし、疲れているだろう?
それに君のメイドのアンジェと護衛騎士の彼にずっと待たせるのは悪いから、話の続きは次にしよう。
君を送りたいんだが、その許可を与えてはもらえないだろうか?」
彼に送らせるということは、私の住まいを教えるということだ。これまで彼と連絡が取れないように逃げ回り、住所を教えなかったのに。
でも、仲間達の前で婚約者だと紹介してしまったのだから今さらという気もした。
それに、これからはもっと会話して気持ちを伝え合うべきだと言ったのは私の方だったし。
とは言え簡単に優しくしたらつけ上がりそうなので、尊大な口調でこう返事をしてやったわ。
「仕方ないから許可してあげるわ」
と。
翌日目が覚めてみると、すでに昼をずいぶんと過ぎていた。
夜中近くに学生寮に帰ったのだが、興奮がなかなか治まらなくて、ようやく眠りについたのは明け方近くになってしまったからだ。
そして目覚めて一番最初に目に付いたのは、テーブルの上に置かれていた花瓶。そこにどーんと生けられていた真っ赤な大輪の薔薇と可憐なかすみ草の花だった。
昼前にピアットが大きな花束を抱えて寮の管理棟を訪れたのだという。
これまで、私は彼から直接に贈り物を手渡された経験がない。なぜ起こしてくれなかったのかと、思わずアンジェを責めてしまった。
しかし、これから打ち合わせがあると急いでいたから、待ってもらうわけにはいかなかったと説明された。
「近いうちにまたお見えになるとおっしゃっていましたよ」
と彼女に呆れられてしまった。
昨日まで散々ピアットから逃げ回っていたのに、突然手のひら返しされても困るわよね、と私は反省した。
とはいえ、彼の初恋の相手が私で、ずっと思っていたのだと、手紙ではなくて直接本人の口から聞かされたのだ。嬉しくないはずがないじゃないの。
一度でいいから好きだと言ってもらいたい、と長年願い続けてきたのだから。
でも落ち着いて考えないと、また痛い目に遭うかもしれないわよね。そうよ、冷静に考えないといけないわ。
だって、急にあんな柄でもないことを言い出すなんて怪し過ぎるもの。裏になんか思惑があるに違いないわ。
昨日の歌劇の成功を直に見て、もしかしたら著作権を私に譲ったのが惜しくなったのかもしれない。それでよりを戻そうとしているのかも。
私は必死に悪い方へ悪い方へと考えを持って行った。そうしないと素直過ぎると言われる私は、再び以前のように、利用されてばかりの愚かな女に成り下がってしまいそうで怖いのだ。
しかし、その翌日から彼からの手紙が毎日のように届けられた。
ツアー中で忙しいだろうに、短いけれど丁寧な文字で愛を囁いてきた。
ツアー初日には、ルーカス様から手渡されたチケットでコンサート会場に足を運んだ。相変わらず素晴らしい演奏で怖いほど盛り上がっていた。
特にラストの弾き語りではみんなが一つになっていた気がした。
その後、私も歌劇『偽りの愛を謳った夫に殺された私は、悪霊となって蘇る』の再演が決まったことで、その準備と大学の授業で多忙な日々を過ごしていたが、毎日返事を書いていた。それがとても不思議な気持ちだった。
これまでの四年間は、一度も返信がなかったのだから。まあ、そレは妹やメイド達に隠されていたからだけれど。
だからピアットの方も今頃不思議な感覚になっているに違いないわ。
だって、以前彼に届いていた私からの手紙というのは、彼の手紙に対する返信ではなかった。それゆえに、内容が全く噛み合っていなかったはずたから。
そう思うと、私達は今初めて真実のやり取りを交わしているのかもしれない。
このまま婚約を続けるのか、それとも解消するのか、それはこの交流をしばらく続けた後で結論を出すのも悪くないと、改めて思った。
そして再会して半月後、ピアットから先触れが届き、大学の学生寮の客室で会うことになった。
彼が手にしていたのは、今度は白を基本にしたガーベラの花束だった。白のガーベラは「希望」とか「期待」。
そしてあれだけあるのだから、おそらく四十本なんでしょうね。その花言葉は「あなたに永遠の愛を誓います」
まあ、彼が花言葉に詳しいとは思えないけれど、もしかしたら作詞をするために調べたことがあるのかもしれないわね。恋の歌もずいぶん作っているし。
それにしても、花が似合う男性って本当にいるのね。寮監の年配の女性がうっとりと見つめていたわ。
わかるわ。見慣れている私でもドキドキするものね。だって、こんなに近くで彼を見るのは四、五年振りだもの。
たしかに十か月ほど前には目の前で婚約破棄を突き付けた。けれど、あの時はろくに顔なんか見ていなかった。
それに前回は夜だったし、思いがけない再会で正直パニックっていたから、見つめる余裕なんてなかったものね。
少女から女性になれば体型も雰囲気もガラリと変わる。それは少年から青年になる時も同じなのだろう。
けれど、一気にこんな風に色気だだ漏れになるなんて想定外で、どういう顔をしたらいいのかまるでわからない。
いやいや、アルカイックスマイルを浮かべればいいのか。貴族令嬢としての基本私よね。私は目を少し細めて口角を上げてピアットに挨拶をした。
でも彼はそれがお気に召さなかったようで、少し悲しそうな顔をした。でも無視よ。簡単に靡くわけがないでしょ。
ピアットは上着の内ポケットから封筒を取り出して、それを私達を隔てるローテーブルの上に置いた。
「半月後のピアノコンサートのチケットだ。四枚入っている。君とアンジェ、護衛騎士の分だ。
もし君が来られなくても、せめて彼らのうち一人でも聞きに来てくれると嬉しい。もちろん友人に譲ってもかまわない」
「スーパープレミアなチケットを四枚も? では、父達へは送っていないの? まあ、この国まで聞きに来るのは難しいでしょうけれど」
彼との約束はそもそも三枚だ。どんなに小さな催しだろうと、大きな会場でのコンサートでも、必ず我が家の家族分は送ってくると。もちろんツアーの場合は別だけれど。それはたとえこちらが行けなかったとしてもだ。
「もちろんすでに送らせてもらったよ。それとは別だ。アンジェ達のチケットはこれまでの感謝の気持ちだ。
いつも君を無事に僕の所へ送り届けてくれたことに対する礼だよ。それに、クッキーも届けてくれただろう? この国に来てからも。
ハードスケジュールで心身共に疲れ切っていた時も、あれを食べると元気が湧いてきたんだ。君と一緒に演奏している気持ちになれたから。
あのクッキーがなかったら、僕は多分まともな演奏はできなかったと思う」
思いも寄らないピアットの言葉に私は全身が震えた。
本当はね、クッキーは私が届けたのよ。演奏もちゃんと聴いていたのよ。変装をしてね。
嫌でも貴方の曲が耳に入ってくるのだから、逃げ回っていることも馬鹿らしくなって、開き直ってしまったのよ。
まあ、クッキーはストレス解消のためによく作っていたし、習慣になっていたから思わずコンサート前に作ってしまっただけだった。
まさかそんな惰性で作っていたクッキーが、彼のやる気の素になっていたとは思いもしなかったけれど。




