第16章 ピアット視点②
僕は自分が皮肉屋で屈折した性格だということを、子供の頃から自覚していた。
それでもフォルティナに冷たくしたり、照れ隠しのための憎まれ口を利いた後は一応反省をしていたのだ。
でもそんなことは所詮単なる自己満足に過ぎなかった。愚かな僕はそのことに気付かなかった。
フォルティナに向かって素直に好きだとか、大切だとか、感謝しているとか、君のおかげで今の自分があるんだとか、ちゃんと言っておけば良かったんだ。
だけど照れ屋の僕はどうしてもそんなキザな台詞を口にはできなかった。
傍目には、女性の扱いが上手いスマートな男だと思われているようだが、それは違うのだ。
どうでもいい相手だから軽口をスラスラと言えたのだ。相手にどう思われようが気にしなかったし構わなかったからだ。
しかし、大切な人にはいい加減な言葉は吐けなくて緊張した。だから必死になればなるほどまともに言葉が出てこなくなっていった。
そこで仕方なく愛する婚約者への思いは、全て詩にしていたのだ。文字でなら素直に彼女へ思いを綴ることができたので。
後になって考えれば、文字でならば素直に自分の思いを伝えられたのだから、手紙で気持ちを伝えれば良かったのだ。
彼女からはまめに手紙が届いていたのだから、その返事に思いを記せば好かったのだ。
なのにポンコツな僕はそんな単純なことにも気が付かなかった。
僕はただただ婚約者のフォルティナを思いながら、いくつも詩を書き、曲を作っていた。
そしてこっそりと彼女を思いながら自作の詩に適当なメロディーを乗せて歌っていたのだ。
そして、そんなもどかしい思いをしていた四学年、十六歳になった頃のことだった。
学院内の音楽祭の前夜祭の時、僕はピアノ演奏のリハーサル前に何気なくピアノを弾きながら、自作のバラードを口ずさんだ。
すると歌い終わった途端、音楽ホールは物凄い歓声と拍手の渦に包まれた。
これまでも多くの演奏会で喝采や賞賛を受けていたけれど、それ以上の歓呼の声と拍手をもらって喫驚した。一体どうしたんだと。
彼らの中には感激したのか、涙ぐんでいる女性徒までいた。
「ムューラント君、君の今の弾き語りは本当に素晴らしかったよ。今の楽曲は何と言う題名なのかな。そんな素晴らしい歌をこれまで聞いたことがなかったのだが」
詩人としても名高い教授にこう訊ねられたが、この詩には、というより自作の詩や曲に今まで題名を付けたことがなかったので困ってしまった。だから苦笑いをしながらこう答えた。
「えーと。すみません。まだ題名は付けてはいません」
すると教授は目を丸くした。
「君が作ったのか? 詩も曲もか?」
「はい。曲の方は今即興で作ったのですが」
そう僕が答えると、なぜかホールの中は再び騒然となった。そして無意識に歌った歌を学友達に絶賛され、明日の本番でも披露するべきだと言われた。
声楽科の誰かに歌って欲しいと頼んだのだが、誰も頷いてはくれなかった。彼らが言うには、僕より上手くが歌えるとは到底思えないそうだ。何大げさなことを言っているんだ。
「君がそんなに歌が上手いなんて知らなかった。知っていたらうちの科が引抜いたのに」
声楽科の教授がこう呟いた。すると作曲科の教授までもが、
「今からでも遅くないから、作曲科に転科しなさい。君には作曲の才能がある」
と言い出したので、僕の担当のピアノ科の教授が必死に他の教授達を牽制していた。本気に勧誘しているわけがないのに、と呆れてしまった。
しかし、結局翌日の音楽祭本番では、みんなに勧められ、背を押されて、急遽『君に伝えられない素直な気持ち……』というひどく恥ずかしい題名を付けてしまった歌を、大ホールで弾き語りする羽目になってしまった。
その結果、昨日に上回る歓声と拍手の渦が沸き起こったのだ。
そしてその日のうちに、この音楽祭に訪れていたレコード会社の人間に声をかけられたのだった。
もし、あの音楽祭にフォルティナが来ることができていたとしたら、あの曲は彼女のために作ったものだと伝えられたのではないだろうか。
タラレバなど今さら言ってもどうしようもないが、あの日来てくれる予定だったのに、妹のリリアンが熱を出したために、母親代わりの彼女は家を空けることができなかったのだ。
東の大国には鬼門という言葉があるそうだが、僕にとって彼女の妹のリリアンは鬼門のような存在だったと、後になってしみじみそう思った。
その後、自分で作詞作曲した歌を自らピアノで演奏しながら歌った『君に伝えられない素直な気持ち……』という陳腐なタイトルのレコードが発売された。
青春の思い出になればいい。どうせ売れやしないだろう。こんな恥ずかしいタイトルの楽曲なんて、と思っていた。
ところがこのレコードが空前絶後の大ヒットとなった。
そのレコード一だけで家の借金を大方返済できたくらいに。
その時、新聞や雑誌やラジオ局から散々インタビューを受けた。この曲は誰か思い人がいて作ったのかと。
あの時に照れずに、あの詩は自分の婚約者のこと思って作ったのだと明言しておけば良かったのだ。
そうすれば、僕の思いはフォルティナに伝わっただろうし、従姉を思って作ったなどと最悪の勘違いを人々にされることもなかったのだ。
しかしまずは彼女に直接逢ってそのことを話してから公表しよう、なんて悠長なことを考えたのがいけなかった。
あれほどまでに彼女に逢えなくなるほど超多忙生活になるとは、全く予想だにしていなかったのだ。
一番大好きで一番大切にしたかったフォルティナ。そんな彼女を一番苦しめることになったのがまさか自分だなんて!




