人生、十回目突入 3
「アルベルト王子への挨拶がまだだった。失礼する」
それだけ告げて、急ぎ足でアーヴィング親子の元を離れた。掴まれた肩が痛くて「お父様」と抗議すると、じろりと鋭い眼差しが向けられロザンナは顔を強張らせた。
「娘をあんなに褒め称えたら、こちらの負けを認めたようなものではないか。私は絶対にそんなの嫌だぞ」
ぶつぶつ文句を呟く父へ、ロザンナは小さくため息をつく。
「何に負けると言うのですか? 誕生日を祝う場ですもの、アルベルト様だって来客がいがみ合っているより、楽しく笑っている方が良いに決まっているでしょ?」
この場が花嫁選びの第一関門だと聞かされていないことを逆手に取ってロザンナが言い返すと、スコットは「うぐぐ」と小さく呻いた。本当のことを言おうかどうか苦悩する様子を冷めた目でロザンナが見つめていると、突然「どうしましたか?」と声がかけられた。
スコットはパッと表情を輝かせ、逆にロザンナは息を飲んで声のした方へと爪先を向ける。
「アルベルト王子! 十二歳のお誕生日おめでとうございます」
「ありがとう」
アルベルト王子は大袈裟にお辞儀をしたスコットへと、ふわりと笑みを浮かべる。幼い時から本当に綺麗な顔よねとロザンナはついつい魅入っていたが、アルベルトと目が合ってしまい、なんとなく気まずくなり顔を俯かせた。
「あぁ、紹介が遅れました。私の娘のロザンナです」
父から自慢げに紹介され、ロザンナは慌ててスカートを掴み、敬意を表すべく先ほどよりも深く膝を曲げて挨拶をした。そこで黙り込んだため、父から何か喋るようにと横からさりげなく肘で腕を突かれ、ロザンナは渋面になる。
特に喋ることない。困っていると、アルベルトが口を開いた。
「スコットから話は聞いていましたが、本当に可愛らしい方ですね」
「……お、恐れ入ります」
「そうでしょう! しかも、ロザンナは可愛いだけじゃないんですよ」
ロザンナの消え入りそうな声はスコットの舞い上がった叫びにかき消される。
「今度ゆっくりお話しできる機会をいただけたら喜ばしい限りです」
続けてのお願いは声をひそめてこっそりと、そして最後にスコットはアルベルトへ茶目っ気たっぷりに微笑みかけた。
そんなスコットの気安い態度にロザンナはひやりとするも、アルベルトが無邪気に笑ったことで、あぁそうだったと思い出した。
このような場では毅然とした表情を崩さないアルベルトだが、ほんの一瞬でも素を見せてしまうほどに、彼は父に心を許しているのだ。
自分にはわからないような絆がふたりの間にあるのかもしれないと考えたところで、アルベルトがロザンナへと向き直った。
「ロザンナ嬢、後ほどぜひ、私と踊ってください」
「はっ、はい! 喜んで」
少し緊張気味にロザンナが返事をすると、「それではまた」と囁いてアルベルトは別の来客の元へ歩き出した。
「ロザンナ、お褒めの言葉をもらえて良かったな! あの感じからして、間違いなく好印象だぞ!」
「……そうかしら」
興奮状態の父に、ロザンナは素っ気なく返す。毎回、「可愛らしい方ですね」と褒めてくれるし、ダンスも誘われる。もちろん印象が悪かったら言ってはもらえないだろうけれど、父のように浮かれることはロザンナにはもうできない。
きっと今も同じようなことを言ってるに違いない。ロザンナは白けた顔でそんなことを考え、他の父娘に話しかけているアルベルト王子から視線を逸らしたのだった。
約束通り、ロザンナがアルベルトとのダンスを終えた後、スコットが久しぶりに顔を合わせたらしい友人とのお喋りに没頭し始めた。父の傍らでただニコニコ笑っているのに疲れたロザンナは、「ケーキを頂いてくるわ」とその場から離脱する。
しかし、ケーキや焼き菓子などがたくさん並べられたテーブルへとひとり向かう途中で、それほど食べたくないと小さくため息をついて足を止めた。
室内を見回すと知っている顔がいくつかあるが、今から友達になっておきたいと思える面子ではない。
どうしようかなと思いを巡らせた時、開けられた大窓から風が吹き込み、花の甘い香りを運んできた。途端、とある場所が頭に浮かび、ロザンナはちらりとスコットの様子を確認する。
そんなに場所も離れていないし、すぐ戻ってきたら問題ないだろうと考え、そのままこっそりと館を抜け出した。
別館に来る途中に通ったレンガ道まで小走りで戻ると、そこで見かけた脇道へと躊躇いながらも足を踏み入れた。前回の人生で、のちに王立騎士団員となった兄のダンから、別館へ向かう道を逸れたところに、真っ赤に燃えているような花弁を持った花が見事に咲き乱れている神秘的な空間があると聞いたのだ。
勝手に歩き回るのは良くないことと分かっている。しかし、今後城に入る機会はあれど、こんな奥まった場所まで来るのは難しい。そのためロザンナにとっては今しかなく、完全に好奇心がまさってしまっていた。
先程よりも幅の狭いレンガ道を、別館の方から微かに漏れ聞こえてくる演奏に気を取られながら進んでいく。木々の壁の向こうに現れたのは、花壇が一つと一棟の小屋。すぐさまロザンナは花壇へと駆け寄る。
「まぁ素敵」
そこに咲いていたのは真っ白な花。大きな花弁を持つそれは実家で咲いているものと形状が酷似しているが、この色は初めて目にする。兄の言う燃えるような花弁ではないが、これはこれで綺麗だ。
カークランドは花業も盛んなため、これからどんどん新種の花が生み出されていく。その先駆けとして、城内で研究が行われていたとしてもおかしくないと、そばに建つ小屋を見ながらロザンナが考えていると、突然「おい」と背後から鋭く呼びかけられた。
「こんなところで何をしている」
警戒心に苛立ちが混ざったかのような声音に、ロザンナの顔から血の気がひいていく。
しかし、黙っていても怪しまれるだけだと覚悟を決めて、身を翻す。
「ごめんなさい!」
顔もあげずにそのまま地面にひれ伏し固まっていると、耳のすぐそばでジャリッと靴底が砂を噛み、ロザンナは体を強張らせた。
「……お前、確か、宰相の娘か?」
問いかけられ、ロザンナはギョッとし顔を上げる。最初の鋭い声音では気づかなかったが、続いた声には聞き覚えがあったからだ。
「ア、アルベルト様」
そこにいたのはアルベルトだった。互いにキョトンとした顔で見つめ合っていたが、ふっとアルベルトは表情を緩めて、気怠げながらも手を差し出してきた。
「いつまでそんな格好している。ドレスが汚れるだろ」
「え? あぁ、そうですね。うっかりしていました」
ロザンナは戸惑いながらも、アルベルトに手を貸してもらって、立ち上がる。ドレスについた砂を払い落としていると、再びアルベルトから「なぜここにいるんだ」と探りが入った。
「単なる好奇心です」
「好奇心?」
「はい。あの道の先には何があるんだろうって。そんな風に、アルベルト様は好奇心にかられたことはありませんか?」
「ない」
即答され、ロザンナは「そうですか」と半笑いになる。不審に思われているのはアルベルの表情から読み取れるも、兄からいずれ聞く話を今の自分が口にするわけにはいかず、ロザンナは早々に話題を変える。
「ところで、アルベルト様こそどうしてここに? 会の主役がいないと話にならないのでは?」
「単なる休憩だ。招いた立場でこんなこと言うのも悪いが、息が詰まって仕方がない」
苦しげに打ち明けられ、ロザンナは別館で目にした光景を思い出す。あの場が婚約者候補の選定の場だと知らされていないのは、きっとロザンナくらいだろう。誰もがみんな、娘の売り込みやアルベルトのご機嫌とりに躍起になっていたからだ。
その中心にいたのだから、笑顔の仮面の下で毒のひとつやふたつ吐いていたとしてもおかしくない。
「でしょうね」
つい気軽な口ぶりで同調してしまい、すぐにロザンナは「失礼しました」と頭を下げた。勝手に敷地内をうろついたのだから怒られてもおかしくない状況で、しかも初めての展開に先も読めず、もっと気を引き締めるべきだったと後悔する。
叱られると身構えるも、わずかに間を置いてから発せられたのは小さな笑い声だった。
「そのままで。その方が気が楽だ」
アルベルトが警戒心を解くように、表情を和らげた。それにつられてロザンナもわずかに肩の力を抜くが、彼の微笑みに胸の奥底がうずいた気がして、そっと背を向ける。
ドレスの裾が汚れるのも気にせず花壇の前にしゃがみ込んで、雑念を追い払うように真白き花を黙って見つめる。
不意に一輪の花がきらりと光を弾いた。思わず目を見開くと同時に花弁が透き通り、しかしすぐ元の白へと戻っていった。
「ア、ア、アルベルト様、今花が、ほんの一瞬、消えました」
あたふたしながら肩越しに訴えかけたロザンナの隣に並ぶように、アルベルトがしゃがみ込む。
「この花が、ディックだと分かるか?」
「あぁ、やっぱり! 色は初めて見ますけど、私の家の庭にもたくさん咲いています」
「観賞用としてが一般的だけれど、最近、魔法薬の素材としても注目されているんだ」
「……なるほど。それがこれなんですね」
「そう言うこと」
ディックが魔法薬用として用いられていることが一般にも知られるようになるのは、あと三年くらい先の話。しかしロザンナはこれまで薬学に興味を持たなかったため、素材としてのディックを目にしたことはなかった。
興味深く見つめるロザンナの真剣な横顔に、アルベルトはわずかに笑みを浮かべてから、おもむろにディックへと手を伸ばした。
「観賞用と違って、この花は顕著なんだ」
彼が花弁に手をかざした瞬間、白から透明へ、透明から炎のような揺らめきへと変化していく。
「燃えてる!」
「燃えてはない。そう見えるだけ」
アルベルトが手を引くと、やがて花も元の白へと戻っていった。兄が見たのはこれかと納得すると同時に、どうなっているのと興味が膨らんでいく。
「すっごく面白い!」
「だろ?」
「私にもできますか?」
「魔力持ちなら反応する。やってみたら?」
ロザンナは目を輝かせながら頷き返し、花と向き合った。微力ながら、ロザンナもアルベルトと同様に火の魔力を有している。
先ほどの燃え盛る花を想像しながら、恐る恐るディックに手をかざす。胸を高鳴らせながら反応を待っていると、徐々に花は透明へと変化し、眩い光を放ち始めた。
ロザンナが「あれ?」と呟くのと、「おっ」とアルベルトが声を弾ませたのはほぼ同時だった。
「お前、光の魔力が使えるんだな」
「……光? 火じゃなくて?」
「いや。火ならさっきのがそうだ。その輝き方は、明らかに光だろ」
ロザンナはポカンとした顔をアルベルトに向ける。アルベルトも驚いた様子でロザンナを見つめ返した。
そんなもの持ってない。……持っていないはずだ。なんだか急に怖くなって、ロザンナは立ち上がり、後ずさる。
改めて自分の両手を見つめると、「あっ」とアルベルトが小さく呟き、視線を館の方へと向けた。
「演奏が止んだ。そろそろ戻らねばならないらしい」
言われて気付いたが、確かに先ほどまで微かに流れていた音楽が聞こえない。そして、急にスコットのあわてふためく姿が頭に浮かび、そろそろ自分がいないことに気づく頃ではとロザンナは顔を青ざめさせた。
「実はお父様に黙って出てきてしまったの。私も戻らないと」
「だったら一緒に戻るか?」
「いえ。遠慮させていただきます!」
アルベルトと一緒に戻ればスコットは大喜びするかもしれないが、花嫁候補が大勢いるのだから後々の火種になりかねない。それだけはなんとしても避けなくては。
「それではお先に!」
はしたないと思われようが、どうでもいい。走りやすいようにスカートを掴み上げて、ロザンナはパタパタと駆け出した。
「おいおい。良いのかそれで」とアルベルトは苦笑いを浮かべる。一応お前も、俺の花嫁候補になりたくてきたんじゃないのかとぼやきそうになるも、そんな思いは小さな笑い声と共に消えていった。
「面白い女だな」
ぽつりと思いを口にしながら何気なく花壇へと目を向け、アルベルトはぎくりと顔を強張らせた。
「……嘘だろ?」
ディックの花が一輪、輝きを放ち続けている。普通この花は、アルベルトが試してみせたように、魔力を感じたその時しか反応を示さないものなのだ。魔力の発動を止めればすぐに元の姿に戻るというのに、しかしその花はいまだに眩いまま。
「確か、ロザンナって言ったっけ」
ロザンナの魔力に反応し続けているディックを見つめながら、アルベルトは興味深そうに目を輝かせて、微笑みを浮かべた。




