人生、九回目 3
ロザンナは焦りと共に、「わかりました!」と声を上げる。
「皆さんと踊らせていただきますから、順番に並んでください。絶対に喧嘩しちゃダメですからね」
女神の微笑みに、男性は揃って口元を緩めて「はい!」と返事をする。ロザンナは笑顔の裏に警戒心を隠し、最初に声をかけてきた男の手を取ったのだった。
結局ロザンナがダンスから解放されたのは、パーティーの終了時刻だった。
確か最初は五人ほどしかいなかった。しかし、五人と踊り終えてもダンスの順番待ちの列は無くならず、むしろ長蛇の列と化していたのだ。
「はぁ。疲れた」
ふらふらと大広間を出て、寮に向かって歩き出す。びくびくしながらダンスをしていたため疲労感は半端ないのだが、徐々に口元が緩んでいった。
なんとか命をつなぎとめられた。生き延びれたのはこれで三回目で、一度目も二度目も人生をまっとうしている。だからきっともう大丈夫。この先は、死の恐怖に怯えすぎることなく人生を楽しみたい。
アカデミーを卒業したらまずは何をしよう。浮かれた頭でそんなことを考えるが、社交界に顔を出して伴侶探しに勤しむくらいしか思い浮かばず、ロザンナはルイーズがちょっぴり羨ましくなる。
彼女は卒業せず、そのままここで魔法の勉強を続けることになっている。名家の生まれで優秀だったため花嫁候補にあげられたが、本人は色恋よりも魔法薬作りの方に興味があった。アカデミーに来て早々、アルベルトに学びたいのだと相談し、その後王子の計らいで試験を受けることができ、見事学ぶ権利を得たのだ。
幸せな結婚がしたい。だから伴侶探しは重要だけれど、できたらルイーズのように夢中になれるものを見つけたい。それがあったら人生がさらに楽しくなるはずだ。
新たな今後の目標を見つけ、「よし!」と拳を握りしめて気合を入れる。にこやかに大階段を降りようとした時、「ロザンナさん」と後ろから声をかけられた。
驚き足を止めて、呼びかけてきた彼女……マリンへと、ロザンナは体を向ける。彼女がアルベルトと一緒にいるのを大広間を出る前に目にしていたため、まさかとふたりで嫌味でも言いに来たのかと眉根を寄せたが、どうやらこの場には彼女しかいないようだった。
じっと見つめ合い数秒後、ロザンナはハッとしお辞儀をする。今はもう、彼女は王子の婚約者。気軽に接して良い相手ではない。
「マリン様。アルベルト王子とのご婚約、おめでとうございます」
頭を下げた状態でじっとしていると、「顔を上げてちょうだい」とマリンが話しかけてくる。しかしロザンナはその声音に引っ掛かりを感じ、すぐには動けなかった。やや間を置いてからゆっくりと上半身を起こして、探るような眼差しをマリンに向ける。
少し顎を逸らして自分を見下ろすマリンの眼差しは先ほどの声音と同じように高圧的で、ロザンナの心に怯えが広がっていく。
「アルベルト様はあなたではなく私を選んだ。この事実をちゃんと理解されていますよね?」
「え、えぇ。もちろんです。ですから私は先ほどおめでとうございますと、祝福の言葉を述べさせていただきました」
わざわざ何を確認しにきたのだろうかと不思議に思うロザンナへと、マリンがゆっくり歩み寄ってくる。
「それならあなたはどうして……、アルベルト様の花嫁になるのが叶わなかったというのに、そんなに楽しそうに笑っていられるの?」
「わ、私、笑っていましたか?」
「それはもう満面の笑みで男たちと踊っていたじゃない。みんなが私とアルベルト様よりもあなたに注目してしまうほどに」
ムッとした顔とトゲのある言い方から、ロザンナはマリンの心の内が見えた気がして、失敗したと眉根を寄せる。
今日の主役は自分たちなのに、それよりも目立っていたロザンナが気に入らないのだろう。もちろん、ロザンナにそんなつもりはまったくない。むしろ終わりがみえないダンスを苦行だと思って耐えていたくらいである。
しかしそう説明したところで、嫌がらせをされたと不満一杯になっているマリンは納得しないだろう。
「アルベルト王子がお選びになるのはマリン様だと分かっておりましたから、当然の結果として受け止めておりました。それに祝いの場には、暗い顔より明るい笑顔の方が相応しいですわ」
邪魔をした訳ではない。それは分かってもらいたくてロザンナは必死に言葉を並べたが、マリンの表情の曇りを晴らすことはできなかった。
「なぜ、ご自分が選ばれないと分かっていらっしゃったの?」
この人生が九回目なんですと正直に言えるはずもなく、ロザンナは、マリンの冷めた眼差しから目をそらす。
これまで繰り返してきた人生は、ロザンナの選んだ選択によってどれも微妙に異なってはいるが、変わらぬ点もある。そのひとつがアルベルトがマリンを自分の花嫁に選ぶところだ。変わらない。いや、変えられないものという前提で、この九回目もロザンナは生きてきた。
どう返したら良いか考えを巡らせていたが、マリンのスッと息を吸い込む音が耳につき、ロザンナは視線を戻す。怒りに満ちた顔に背筋が震えた。
「それは、今日は選ばれないと分かっていたということかしら。正妃は無理でも第二妃にはなんて約束でもしていたのなら、楽しめるわよね」
「まさか、誤解です!」
「ならどうして、あなたはあんなに熱心に妃教育を受けていらしたの? 必要ないはずよ」
それもさっきと一緒で、ロザンナ自身は熱心に学んでいたつもりはない。しかし悲しいことに、同じことだけを繰り返し学んでいるせいで、講義の内容はすっかり頭に入ってしまっている。それをマリンは、ロザンナが必死に努力をした結果だと勘違いしているのだろう。
そこまで考えて、ロザンナはもしかしてと思いつく。それが今回、いつも二番手だった最終試験の結果順位がマリンよりも良かった理由かもしれないと。最終試験の点数には、一年を通しての意欲や態度の評価点数も加算されるのだ。きっと講師の目にもロザンナはそのように見えていたのだ。
そうじゃないのにと頭をかきむしりたくなる衝動を必死に堪えて、ロザンナは訴えかける。
「王族の妃は私には荷が重すぎます。もちろんそんな話もありませんし、アカデミーに来てからアルベルト様とは挨拶程度しか言葉を交わしておりませ……」
「そんなの信じない!」
腕をきつく掴む乱暴な力と響いた金切り声に、ロザンナは言葉を失う。唖然としたまま、マリンの怒りに満ちた目を見つめ返す。
「あまり感情を荒立てないアルベルト様が、今日は不機嫌でした。男性と楽しそうに踊るあなたの姿を、嫉妬にかられた様子で見つめておられました」
「アルベルト様が? 勘違いですよ。そんなはずが……」
その瞬間、ロザンナの顔から血の気が引いていく。アルベルトが自分に対してそんな態度をとったことなどこれまで一度もない。しかしそれだけじゃなかった。よく考えたら、こうしてパーティー後にマリンに呼び止められたり、感情をぶつけられるたりするのも初めてだ。
乗り切ったと思い込んですっかり油断していたが、もしかしたら生きるか死ぬかの分かれ道は、過酷ダンスではなく今なのかもしれない。
そう考えた途端、自分が立っている場所が急に怖くなる。常々急だと感じていた大階段の上。ここから落ちでもしたら……。
「手っ、手を離してください!」
距離をおきたい。その一心でロザンナは自分の腕を掴むマリンの手を振りほどこうとするもなかなか離れず、焦りと恐怖が膨らみだす。
「いずれ、二番目三番目と妃が迎えられるのは覚悟の上。けれどどうしてもあなただけは嫌。正妃は私、アルベルト様からの寵愛を受けるのも私です!」
振り払えないどころか、爪が食い込むほどの力で両手で両腕を掴まれてしまい、ロザンナの動きも制御される。そのまま憤りをぶつけるかのごとく、マリンがロザンナを揺さぶりにかかった。
「やめてください! お願いです、マリンさん!」
「早くいなくなって。私とアルベルト様の目の前から、今すぐに!」
ロザンナは小さく悲鳴を上げる。それでもなんとか逃げたくてじりじりと後退していた右足がズッと階段から滑り落ち、ロザンナの体がぐらりと大きく傾いた。
急勾配の階段を見下ろしロザンナが恐怖に慄くのと、あれほどしっかり掴んでいたマリンの手から力が抜けたのはほぼ同時だった。しかも、まるで均衡が崩れるのを後押しするかのように、その手がロザンナを軽く押した。
冷めたマリンの顔を視界に宿しながら、ロザンナは諦めの気持ちと共に落ちていく。全身を打ち付けながら長い階段を転げ落ち、降りきったそこにある初代学園長の胸像が飾られた台座にぶつかる。
呻き声をあげながら霞む視界を天井へと向けると同時に、ロザンナを次なる痛みが襲う。
胸像の頭部がロザンナを狙うように落下し、続いた寒気を催すほどの大きな鈍い音に、上から見下ろしていたマリンの顔が驚愕と動揺で青白くなる。
「ロッ、ロザンナさん!」
繰り返されるマリンの叫び声と、階段を駆け下りてくる足音が徐々に遠のいていく。
終わった。暗転する世界に飲み込まれゆく中で、ロザンナはそう確信した。




