アルベルトの選択 2
「アルベルト王子がいらっしゃいました」
それぞれの思いに終止符を打つかのように学長の声が響く。音楽が奏でられ、彼の入場の知らせにロザンナの鼓動が高鳴り出す。
ゆっくりと押し開けられた扉からたまらず目を逸らすと、再びルイーズの手がロザンナの背中に優しく触れた。
「気持ちをしっかりね」
言いながらポンポンと軽く叩かれ、ロザンナはルイーズに笑いかける。
「ありがとう」
やがてアルベルトが姿を現し、広間の至る所から女性の黄色い声が上がる。戸口で一度足を止め短く息をついてから、彼は前へ進む。表情はひどく険しく、ロザンナの胸まで苦しくさせた。
眼前を通り行く彼へ礼を尽くすように、心を込めてロザンナは頭を下げた。明るい旋律に虚しさを覚えた時、ロザンナの伏した視界の中にアルベルトの靴が映り込む。前回同様彼は目の前で動きを止め、爪先がロザンナへと向けられる。
ロザンナはゆっくりと顔をあげて、アルベルトを見つめ返した。前回は分からなかった彼の葛藤が伝わってきて、……ロザンナは小さく笑いかける。「私は大丈夫です」と伝えるように。
「ロザンナ」
焦がれるようにその名を口にすると同時に、アルベルトがロザンナをきつく抱きしめた。それを見て、ロザンナの取り巻きたちが「きゃっ」と黄色い声を上げる。
「ア、ア、アルベルト様!?」
抱きしめられた瞬間、頭の中が真っ白になった。緊張で身動きすらできないロザンナと改めて目を合わせ、アルベルトは力強く言葉を紡ぐ。
「これ以上は耐えられない。お前以外を選ぶなんて無理だ」
そう言って、彼はロザンナの前に跪いた。自分に向かってそっと差し出された手を、ロザンナは唖然と見つめる。
「ロザンナ、俺と結婚してくれ」
言葉は形式張ったものではないが、間違いなく求婚されている。嬉しさよりも、過去と未来を無理やりねじ曲げてきたアルベルトの手をこのまま取ってしまって本当に良いのだろうかと、ロザンナの中で不安が膨らむ。
「お待ちください!」
そんな中、マリンが苛立った声を大きく響かせる。アルベルトのために開けられていた道へと彼女は飛び出して、止めようとする騎士団員をがむしゃらに振り払いながらふたりに向かってずんずん進んでくる。
アルベルトはその様子をちらりと横目で見るも、差し出した手を引っ込める様子はない。ロザンナは彼の手と迫りくるマリンを交互に見つめたのち、覚悟を決めてアルベルトの手に自分の手を重ね置いた。
「喜んでお受けします」
ロザンナが発したひと言でアルベルトは安堵の笑みを浮かべ、一気に場がわき上がる。しかし、飛び交う声はふたりを祝福するものだけじゃない。マリン本人とマリン側から非難の声が上がり、それにロザンナ派が噛みつくように反論すると同調の声が大きく膨らむ。
ロザンナの手を掴んだままアルベルトが立ち上がると、駆け寄ってきたマリンがアルベルトの腕を掴んだ。
「アルベルト様! 何かの間違いですよね? 妃に一番ふさわしいのは私だと、講師たちからもお墨付きをもらっています」
アルベルトに必死に訴えかけてから、続けてロザンナを睨みつける。
「図々しいわよ! そこは私の場所。いつまでアルベルト様の隣りにいるつもり?」
確かに、アルベルトの隣りに立って幸せいっぱいに笑うのはマリンのはずだった。怒りに震えた声にロザンナが体を竦ませた時、アルベルトがマリンに向かって不機嫌を隠さずに話しかけた。
「図々しいのはどっちだ。花嫁が決まった今、いつまで気安く俺に触れている。不敬極まりない」
マリンは息をのみ、アルベルトから手を離してふらりと後ずさった。しかし、その顔は納得などできないかのように歪んだままだ。
ロザンナは繋いだ彼の手へと視線を落とす。見つめ続けていると、きゅっと彼から軽く握り返され、勢いよく視線を上げた。すぐに目が合い微笑みかけられ、アルベルトの手をとったのは自分なのだと強く実感する。生きているのは今この瞬間。過去じゃない。
ロザンナは息を吸い込み、マリンへ顔を向ける。
「アルベルト様は私をお選びになった。この事実をどうか理解し、受け入れてください」
粛々と告げて最後に深く頭を下げたロザンナの姿に、マリンは唇を噛む。これ以上事を荒立てたくない。このまま引き下がってほしい。そう願ったが、マリンの怒りはやはりおさまらない。彼女はくるりと身を翻し、その場にいる人々へと大声で話しかける。
「私は彼女より優秀よ! 先生たちだってそれを認めている。でも彼女は違う! これまでずっと、私との差を父親の力で埋めてきた。そうやって自分の思い通りに事を進めてきたのです。女神だなんて笑っちゃうわ!」
マリンの取り巻きたちが彼女に同調し、ざわめき出す。「信じられない」と誰かが声をあげたことで、生徒たちの間に一気に動揺が広がっていく。学長が「静かに」と呼びかけても、全く効果はない。
すると、ルイーズがマリンの前へと飛び出し、怒りをぶつける。
「何を根拠にそんな事を言っているの! ロザンナは自分の力で頑張っていたわ! 毎日のように出されていたメロディ先生からの課題も手を抜かなかったし、テスト前なんて寝不足でフラフラだったわよ!」
学長の声では駄目だったのに、ルイーズの叫びでざわめきが一気に静まっていく。そんなな中、女子生徒がまたひとり声を上げる。
「ロザンナさんは本当に素敵な女性です! 負傷者を前にみんな足が竦んで動けなかったのに、進んで治療にあたった姿は女神そのものでした! 騎士団員の方々ならよくわかっていると思います」
緊張しながらの発言は聖魔法のクラスで友人となったピアだった。そして室内で警備として立っている騎士団員たちも次々と首を縦に振る。幸いにもみんな第二騎士団員だ。
再びざわめきが起きた。周囲から嫌悪感の含んだ視線を向けられ、完全に自分が不利な状況であるのをマリンは感じ取る。けれど怯んだのは一瞬だけ、収めきれない怒りに任せて、マリンはロザンナに掴みかかろうとする。
反射的に体を硬くしたロザンナの前へとアルベルトは進み出て、マリンの手を掴み取る。捻り上げたあと、床へと突き飛ばした。「連れて行け」とのアルベルトの命に従い、すぐそばに立っていた騎士団員がマリンの腕を掴んでやや強引に立ち上がらせる。
「触らないでください!」と騎士団員を睨みつけたり、「私を選ばなかったことを絶対に後悔しますわよ」とアルベルトに怒りをぶつけたりしながら、マリンは騎士団員に引きずられる格好で大広間を出ていく。
「見苦しいな」
アルベルトのぼやきを聞いて、ロザンナは複雑な気持ちになる。確かに、髪を乱して食い下がるマリンの姿は見ていられなかった。彼女の取り巻きたちも、最後は困惑顔だった。
大広間を出る直前に自分に向けられたマリンの怒りに満ちた眼差しを思い出してロザンナが身を震わせた時、学長が「静粛に」と手を叩いて学生たちの注意を引いた。
「少しごたついてしまったが、今日がめでたい日に変わりはない! 皆さん、アルベルト王子とロザンナさんに盛大な拍手を!」
わっとわき上がった拍手に包まれ、ロザンナは戸惑うようにアルベルトを見上げた。アルベルトはロザンナの腰へと手を回し、温かな拍手に対して「ありがとう」と微笑み返す。ロザンナもそれに倣おうとするが、照れが邪魔してうまくいかず、はにかむだけに終わった。
止まらない拍手に煽られるように演奏にも熱が入り、やがてアルベルトにエスコートされ、ロザンナは踊り出す。
「私を選んでくださって、ありがとうございます。夢のようです」
本当はマリンを選ばなくてはいけなかったのではと想像し、それでも選んでくれた彼の気持ちが嬉しくてたまらない。本当に夢のようだ。いつか覚めてしまうのではと考え、ロザンナはハッとする。
ここで、めでたしめでたしとはいかない。アルベルトが花嫁を選んだ後、生きるか死ぬかの更なる山場がロザンナには訪れるのだ。両親も生きていて、アルベルトの花嫁になれ、聖魔法師への夢も持っている。まだ最期を迎えたくない。
急に怖くなって、ロザンナはアルベルトに触れている手に力を込めた。あわせて、何か危険なものはないかと落ち着きなく周囲を見回す。
アルベルトは足を止めて、ロザンナを力強く抱きしめた。
「俺の方こそ夢のようだ。この瞬間をどれほど願っていたことか。最近、執務室に顔を出せなくてすまなかった。この前城で捕まえた男とアカデミーのとある講師陣がなかなか口を割らなくて」
城で捕まえたというのはロザンナを襲ったあの男で、とある講師陣はもしかしたら妃教育に関わるメロディ以外の教師たちのことかもしれない。アルベルトが何を聞き出そうとしているのかまではわからなくても、何かしらの自分と関係しているだろうとロザンナは察する。
そして、しばらく彼が自分の目の前に現れなかった理由に、見限られた訳ではなくて良かったと今更ながらホッとした。
「まだすっきり解決したわけじゃないのが心苦しいが、もうロザンナを離せない。何があっても揺らがず、俺のそばにいてくれ」
アルベルトの真剣な声が熱を伴って心に広がり、ロザンナはしっかりとアルベルトを抱きしめ返した。
「あなたを慕う気持ちは決して揺らぎません。これからもあなたを想い続けます。ずっとおそばにいさせてください」
歓声が飛び交う中、ロザンナははっきりとアルベルトへの思いを言葉にした。




