思い出の場所での再会 2
「アルベルト様がそんなことを?」
「えぇ。それからも、一緒に踊っている他のお嬢さんより、あなたの事を見ていたわ。それまで同年代の異性に対してうんざりしていたあの子がよ」
ロザンナも最初の出会いを思い返す。確かにアルベルトは、どことなくつまらなさそうな様子だった。
「ここだけの話、あの子はあなたを正妃にしたいと思っている。でも、こればかりは自分で決められないから、毎日落ち着かないでしょうね」
王妃はこそっと、しかしロザンナにとっては重大なひと言を投下する。昨日の執務室で、顔の距離が近づいたあの瞬間が脳裏をよぎり、ロザンナは更に落ち着かない。
「国王、アカデミーの学長、宰相はもちろん力のある臣下も含めて話し合いがされているわ。スコットが頑張ってあなたを推しているけれど……」
王妃は気まずそうな顔をしただけで最後まで言わなかったが、ロザンナには伝わっていた。現状、花嫁に選ぶにふさわしいのはマリンとされているのだろう。前期の試験結果を考えると当然である。
「他に有力視されてる花嫁候補もいるけれど、私はあの子の母親だから……アルベルトが望む子と結婚して欲しい」
本音を言葉にした王妃と、ロザンナはじっと見つめ合う。
アルベルトの花嫁になりたい。でも結局はアルベルトが選ぶのはマリンかもしれない。
今を信じようとする力を過去の怯えが邪魔をする。最後の一歩を踏み出せぬまま、ロザンナは微かに唇を噛んだ。
言葉を返せなかったのはそれだけで、王妃とのお喋りはとても楽しく、飛ぶように時間が過ぎていった。
アカデミーに戻る時間を迎え、王妃に名残惜しそうに見送られながら、ロザンナは侍女と共に王妃の部屋を出た。
城の外へ出て、ロザンナの前を歩いていた侍女が「あら?」と困惑げに呟く。王妃の部屋で戻りの馬車の準備が整ったと声がかけられたため出てきたのだが、なぜかそれが見当たらないのだ。
侍女は近くにいた庭師に話を聞きに行き、すぐにロザンナの元へ戻ってきた。庭師が言うには、確かに馬車は止まっていたが、つい先ほど違う誰かを乗せて、城から出て行ってしまったようだ。
「再度手配致しますので、少々お時間を」と王妃の部屋へ戻る提案をされたが、ロザンナはたくさんの花が咲き誇っている美麗な庭園へと目を向け、「お庭を見て回っていてもいいですか?」と願い出た。
城内へと小走りでかけていく侍女の背中を少しばかり見つめてから、ロザンナは庭を散策し始める。
遊歩道を進みながら鮮やかに咲いている花々を目で楽しみ、時々胸いっぱいに息を吸い込んでは甘い香りに笑みを浮かべる。
途中でベンチを見つけて腰をおろし、先程の王妃との会話で出てきたアルベルトの十二歳の誕生日パーティをぼんやり振り返る。
あの日はロザンナにとっても特別な日だった。彼に指摘されたことで、自分が光の魔力を持っていることに気付き、今までにない人生を歩む切っ掛けとなったからだ。
遠くに視線を伸ばし、目に入った小道にあっとひらめく。見つけたのは、別館に続く道だ。
真白きディックが咲いていたあの裏庭へ、もう一度行ってみたい。一度考えてしまえば止められなくなり、ロザンナはそっと立ち上がり歩き出す。途中ですれ違った庭師に、散歩がてら別館の方まで行って戻って来ますと、侍女へ伝言をお願いする。
あの場所は今、どんな風になっているのだろう。別館への道から幅狭のレンガ道へと入り、懐かしさと共に胸を弾ませながら進んでいく。やがて、目的地である開けた場所に出て、ロザンナは「わぁ!」と歓喜の声を上げる。
唯一変わらないのは小屋だけ。かつては一つしかなかった魔法薬用のディックの花壇が、今は十以上も増えていた。
この白で溢れかえった景色の中にアルベルトを想像し、ロザンナは微笑む。エストリーナ家の庭師はこの花に手こずっているというのに、他の花同様こんなにも見事に咲き誇っているのは、城の庭師が優秀というだけではないだろう。きっとアルベルトが試行錯誤をし、いろいろと助言をしているからだ。
もしかしたら彼が自ら世話をしているかもしれない。優しく笑いかけながら水撒きをするアルベルトの姿を思い浮かべ、想像の中ですら絵になる優雅さにロザンナはたまらず口元を綻ばせた。
花壇と花壇の間の縦に伸びた通路を奥へと進む途中で、ざわりと花の揺れる音を耳が拾う。しかし、風は吹いてなく、ロザンナの周りも揺れている様子はない。不思議に思って振り返り、手前の花だけが変に揺れているのに気づいて首を傾げた。
数秒後、ハッとして辺りを見回す。光は眩く火は燃えるように、このディックは力に顕著に反応する。不自然な揺れの理由がそれならば、風の魔力を持った者が、……しかも力を発動させた状態で近くにいるはずだ。
「誰かいるのですか?」
表情をこばわらせてロザンナが問いかける。一拍置いて、強い風が波となって吹き抜けた。ディックを大きく揺らし、ロザンナの足もわずかに後退する。
林の中から姿を現したのは、騎士団の制服に身を包んだ大柄の男だった。騎士団員かとホッとしたのはほんの一瞬、すぐにロザンナは違和感を覚え、男をじっと見つめる。
にやりとした笑い方に歩み寄る姿、雰囲気すら粗野に思えた。この男性は本当に、品行方正であるべきとされている騎士団員なのかと疑ってかかってしまうほど。
「これはこれはロザンナ・エストリーナ嬢。ダメですよ、こんなひと気のない場所を、美しいあなたがひとりでふらついていては」
名前を呼ばれただけで、ぞわりと背筋が寒くなった。男が花壇の間の通路へ足を踏み入れどんどん距離が近づいていることにも、余計恐怖をあおられる。この人は危険。本能でそう感じ取りつつも、ロザンナはなんとかにこりと微笑みかけた。
「勝手にうろついてしまってすみません。すぐ戻ります」
ちょうど目の前で男が立ち止まったため、警戒心を悟られないようできるだけ冷静にその横を通り過ぎようとしたが、突風に襲われてロザンナの足が止まる。
「それは困るな。アカデミーから出てこないあなたがやっと出てきて、自分からひとりになってくれたんだから」
腕を掴み取った男の目が異様にギラつく。ロザンナは恐怖で体を竦ませた。
「間近で見ると、本当に綺麗な顔をしているな。アルベルトが入れ込むのも納得だ」
「離してください」と声を荒げて男の腕を振り払おうとしたが逆に力強く掴まれ、ロザンナは痛みに顔を歪める。
「現役の聖魔法師でもできないことを、あの年でさらりとやってのけるくらいだ。致命傷を与えて、また命をつなぎとめられてはかなわんからな。今度はしっかりと息の根を止めないと」
吐き出された醜悪な言葉にロザンナの鼓動が重苦しく響く。両親を襲ったあの事件にこの人は関わっている。そうはっきり感じ取り表情を強張らせたロザンナへ、男がにやりと笑いかけた。
「なあに寂しくないさ。すぐに父親もあの世に送ってやる」
男は左手でロザンナの腕を握りしめたまま、右手でゆっくりと鞘から剣を抜く。
恐怖で完全に動けなくなったロザンナの目に、振り上げられた剣が映る。それが躊躇いなく振り下ろされた瞬間、視界に別の誰かが素早く割り込んだ。
男の剣を短剣で受け止めるアルベルトの姿に、ロザンナの目に涙が浮かぶ。
「ロザンナに剣を向けて、ただで済むと思うなよ」
殺気に満ちたアルベルトの声に反応して、一気にディックの花弁が炎の色彩で染まっていく。
アルベルトから腹部に蹴りを繰り出され、衝撃と痛み、そして気迫に押され、男が大きく後退する。
「少し下がっていて」
掴まれていた手が離れたため自由になったロザンナも、アルベルトの要求に応じるようにふらふらと後ろへ下がっていく。
十分に距離を置いたところで、アルベルトが男に切り掛かっていく。いつか見た授業での一場面など比にならないほど容赦無く、隙のない動きで男を追い詰めていく。
男も、風の力も使って何とか押し返そうとするが、アルベルトにことごとく押さえ込まれ敵わない。
仰向けで倒れた男の右手をアルベルトが踏みつけた。そして冷たく見下ろしたまま短剣を鋭く振り下ろす。
ロザンナは息を飲んだ。アルベルトも男も、ロザンナも動かない。場に静寂が落ちたその数秒後、バタバタと足音を響かせて何人かの騎士団員が場に駆け込んできた。
敵か味方か判断できずロザンナは身構えるも、彼らの鞘に青色のクリスタルチャームが付いていて、そして「アルベルト様! ロザンナ!」と前に出てきた兄ダンの姿を見つけ、ホッと体の力を抜く。
「洗いざらい話してもらうからな。覚悟しろよ」
アルベルトに冷酷に告げられ、わずかに切りつけられた首筋から血を流しながら男が呻き声をあげる。
土に刺さった短剣を引き抜いてアルベルトが退くのを見計っていたように、騎士団員たちが男を取り押さえにかかった。
ふうっと息をつき、アルベルトは踵を返す。歩み寄ってくる彼をロザンナもじっと見つめ返した。
アルベルトと向かい合った途端、安堵でロザンナの足から力が抜ける。倒れそうになった華奢な体を、アルベルトは自分の元へとしっかり引き寄せた。
「怪我はないか?」
黒髪、そして瞳に混ざった赤い輝き、そっと視線を落として見つけた紫色のクリスタルチャーム。ロザンナはわずかに笑みを浮かべて話しかけた。
「……やっぱり、あの時の彼はアルベルト様だったのですね」
「あぁ。ロザンナが救った男は俺だ。礼が遅くなってすまない」
ロザンナは微笑んだままゆるりと首を横に振り、そのままアルベルトの背中へと手を回してぎゅっと抱きついた。
「ずっと気になっていたんです。彼は元気にしているだろうかって。アルベルト様のお役に立てて良かった」
男が騎士団員に連行されるのを見つめながら、アルベルトがロザンナを軽く抱きしめ返した。ふたりの元にやって来たダンが、神妙な面持ちで話しかける。
「二年前、宰相を襲ったのは自分だと白状しますかね」
「スコットがやつを覚えているし、白を切らせはしない。必ず罪を償ってもらう。そしてその後ろにいるヤツも引っ張り出してみせる」
アルベルトとダンの会話で、やはり先ほどの男は両親の事件にかかわったのだと確信する。
「アルベルト様、もしかしてずっと犯人を探してくれていたのですか?」
思い切ってのロザンナの質問に、アルベルトはやや間を置いてから口を開いた。
「実はあの時、俺はスコット夫妻が狙われていると知り、何とか阻止しないとむかったんだ。けれど敵はあの男の他に数人いて、情けないことに返り討ちをくらってしまった」
「……そうだったのですね」
「スコットたちはロザンナのおかげで命は助かったけど……、ロザンナが通りかからなかったら、違う道を通っていたら、少しでも遅かったら、なくてはならない存在を失っていたとしてもおかしくない。大切な人を傷つけた輩は、絶対に許さない」
あの事件は風化してしまったとばかり思っていたが、こんなにも身近に諦めずにいてくれた人がいたことに胸が熱くなる。
ふたりの傍に立っていたダンが花壇の方へと顔を向け、うっとりと呟く。
「それにしても、見事な光景ですね。まるで花が燃えているかのようで神秘的です」
言われてロザンナも目を向け、「わぁ」と声をあげる。咲き乱れるディックは、アルベルトの力に呼応して、花弁を真っ赤に染め続けていた。
目の前に広がる神秘的な光景と、ダンの興奮気味な様子。その二つが九回目の人生での兄との記憶と繋がる。あの時の兄が言っていたのが、まさに今この瞬間のことだったとしたら。想像が、またいくつかの点と点を結びつけていく。
九回目の人生でも、アルベルトがこの場所でエストリーナ夫妻を殺害した犯人を捕まえたとしたら。
しかし、ロザンナは兄から何も聞かされていない。それはきっと、スコットは亡くなっているため確たる証言もなく、それを良いことにあの男に白を切り続けられてしまい、罪を認めさせられなかったからかもしれない。
男に指示を出しただろうアーヴィングも、宰相となり強大な力を持っているため、引きずり下ろすのも難しい。
なにも解決できないまま、アルベルトはスコットの命を奪った男の娘を娶ることになる。
前回、マリンへ求婚する直前に自分に向けられた彼の眼差しを思い出し、ロザンナの胸が痛み出す。
きっとあの時、アルベルトは心の中でロザンナに謝罪をしていたのかもしれない。スコットの仇を取れず、申し訳ないと。
そして、王妃から聞いた通り、十二歳の誕生日パーティで既にアルベルトの心がロザンナに傾いていたとしたら、……好きになっていたとしたら。
「借りを返せた。これで心置きなくロザンナに結婚を申し込める」
彼が見せた優しい微笑みにロザンナの目から止めどなく涙がこぼれ落ちていく。これまでの思いを伝えたくて、さっきよりも強い力でアルベルトに抱きついた。
アカデミーにアルベルトと共に戻ると、ちょうどお昼の時間に入ったらしく人々の移動が起こっていた。
寮まで送るという申し出をありがたく受けて、ふたり並んで歩いていると、途中でマリンの一団と鉢合わせする。
ロザンナが急にいなくなったのは、やはりアルベルトからの呼び出しがあったからなのねと取り巻きたちが騒ぎ出す中、マリンが無表情でアルベルトの前まで進み出て来た。
「おふたりでどこに行っていらしたの? ロザンナさんだけずるいですわ。もちろん私も、今度どこかへ連れて行ってくださいますよね」
アルベルトはわずかに眉根を寄せるも、王子は候補者を平等に扱うという決まりがあるため、断りの言葉は紡がない。
このままマリンが食い下がれば、嫌でもどこかに連れていく約束をさせられることになるだろう。
ロザンナはアルベルトの前へと進み出て、マリンと向き合った。
「決してふたり一緒に出かけていたのではありません。たまたま帰りがけにお会いしたので、馬車をご一緒させていただいただけです。贔屓だなんてとんでもない。ただの偶然ですわ」
見当違いと笑い飛ばすと、マリンは不機嫌さを隠そうとせず顔を歪めた。しかし、思い切り睨みつけられても、ロザンナは攻撃の手を緩めない。
「以前、アーヴィングから提案をされたのですが、それの返事をマリンさんを通してさせていただきますね」
一旦言葉を切り、ロザンナは大きく息を吸い込む。そしてハッキリと告げた。
「私は、花嫁候補を辞退しません」
場が異様な静けさに包み込まれる中、ロザンナは最後にひと言「以上です」と笑顔で追加する。
「アルベルト様もここまでで結構ですわ。寮はすぐそこですから」
「わかった。それではまた」
すぐさまアルベルトは笑みを堪えきれない様子で頷いた。別れの挨拶をした後、アルベルトもロザンナもそれぞれに身を翻し、歩き出す。
これからもアルベルトのそばにいたい。諦め続けてきた思いを胸に強く抱いて、ロザンナは覚悟と共に前へ突き進んでいく。




